ショーが始まり、若い順にM女は責められていった。
それは見ていて興奮するものではあったが、ある面安心して見ていられた。
責められる女性は、パートナーである男性を信頼して、その身を委ねているのが分かった。
男性は、例えば股縄にしても、無理に割れ目に直接するのではなく、穿いているショーツ越しに食い込ませるなど、相手の身体に不必要な怪我を負わせることがないような配慮をしている。
その分、後でそのショーツを脱がせて、その裏側のいやらしい染みを女性自身にも、また見ている観客にも示して、女性に羞恥で消え入りそうな表情をさせて精神的な責めをした。
乳首が責めにしてもそうだった。
一度に強力な洗濯ハサミで挟んだりするのではなく、ネジ式の乳首挟みから始め、軽い洗濯ハサミ、大きめの洗濯ハサミと取り替えていく。
途中で女性に
「どうだい?耐えられるかい?」
と声を掛け、それに対して女性も
「まだ、大丈夫よ」
「あっ、ちょっと、ちょっとだけど痛いの..」
と可愛く甘える言葉の往復に、観客も息を飲みながら大いに興奮していた。
それは、森とゆうかが好きな、SMの経過と成長の姿であり、森はとても満足していた。
森もゆうかも、SMについては、夫婦で手首を軽く縛る程度のものから、女性を残酷な死に追いやる拷問まで研究したつもりであったが、やがて二人で主従となる前提だったから、今回のショーのようなある面ほのぼのとしたSMの方向へと進むつもりだった。
森は、ステージで両手を広げて吊られ立たされ、乳首に挟まれた洗濯ハサミに吊るされた重りを少しづつ増やされながら、パートナーの男性に甘え、ショーツの股間を濡らしている若い女性に、ゆうかの姿を重ねていた。
しかし、ゆうかは今現在ステージのショーで責められてる女性のことより、舞台脇の床の上に直に座らされている熟年の女性が、気になって仕方なかった。
順番を待つ他の女性達は、観客席の前の方の椅子に、それぞれのパートナーと並んで席を与えられている。
それなのに、熟年の女性だけは舞台脇の板敷に、後ろ手に縛られ乳房の上下にも縄が巻かれた緊縛姿のまま横座りし、1人放置されていた。
顔もずっと俯いたままで、舞台を見ていない。この場を楽しむために連れて来られているのでは無いことは、確かのようだった。
その姿は、やがて訪れる屠殺の順番を待つ動物のようでもあった。
顔の下半分は布で覆われて、やはりはっきりと分からない。
しかし、舞台からの明かりに照らされて見える顔の上半分は、ゆうかが幼い頃から見続けていた母に間違いないように思えた。
ゆうかにとって、両親は性に対して厳格だったように思える。
二人がキスを交わすところも、抱擁する姿も見たことは無い。
思春期ともなると、ゆうかが家の中でも下着姿などでいようものなら、母は厳しく叱った。
だからゆうかは、性については絶対に隠すもの、と意識していた。
図書館から借りた本のアンドロメダの挿し絵も、叔母の家から持って帰っSMのエロ本も、密かにするオナニーも、全て母の目から隠さねばならないものだった。
だから、高校生となり、自分の下着を自分で買う自由が与えられても、ゆうかは母と同じように貞淑な女性が身に付ける模範的な下着である綿の臍丈まである大判ショーツを穿いていた。
白いだけに、そのクロッチ部分は汚れが目立つ。
中学生になってからは、自分の脱いだショーツのクロッチに染みや汚れがあったら、洗濯機に入れる前に、手洗いするように教わった。
大判ショーツ?
今、舞台脇の板敷に横座りして投げかけている熟年の女性も、穿いてるのは白い大判ショーツではないか?
ゆうかの疑惑はますます濃くなった。
※元投稿はこちら >>