購買で買ったアンパンと野菜ジュースを、教室でボッチで食べてたら、一人の男子生徒が
僕の傍に寄ってきた。
同級生で三上恒夫という生徒で、背が百六十センチあるかなしの小柄で、「まだ中学生」
というあだ名をもじって、「マダチュウ」呼ばれている、誰とでも気さくに喋れる、明るい
性格をしていて、あだ名も体を表すではないが、鼠のようにいつもあちこち動き廻って、校
内情報には誰よりも詳しい男子だ。
僕と同じ帰宅部に属しているのだが、部活情報収集のためか、校門を出るのはいつも遅い。
それだけで僕を友達だと思っているのか、他の生徒は名字で呼ぶのに、僕だけは名前で呼
びつけてくる。
「雄一って、モテるんだなぁ」
僕の前の椅子に座り込んできて、羨ましそうな目で僕を見て、いきなりそう言ってきた。
「は…?」
何のことだかわからずに、恒夫に目を向けて聞いた。
「今度卒業する三年生の細野多香子っていう美人生徒いたろ?」
好奇心満々の目で、恒夫が僕の顔を覗き込むようにして聞いてきた。
「あ、ああ、校内アイドルナンバーワンだった」
何度か学校内で顔を見かけたことはあるが、一度も言葉を交わしたことのない、美人で有
名な女子生徒だ。
奇麗な髪を肩の近くまで垂らし、背も百七十センチ近くあり、スタイルもモデル顔負けに
よく、色白で人形のような整った顔立ちをしていて、校内の男子生徒間の美人ランキングで
は一年の時からずっとベストスリーに入ってるということだった。
ランキングの二位には紀子がいる。
細野多香子は学校の成績もよく、六大学のどこかに進学するとかいうのも騒がれていたが、
芸能界のアイドル専門のプロダクションからも、誘いの手が伸びているという噂もあるよう
だった。
「それがどうしたって?」
素直に疑問の表情で恒夫に尋ねると、
「何言ってんだよ、お前、惚けやがって」
怒ったような目で恒夫が僕を睨んできた。
「今はもう三年生は、大学や就職で学校へ来てないけど、前に来た時、校内新聞の奴が、
細野多香子に、去り行くアイドル、とかいう名目でインタビューした時にな、憧れの人って
いますかって聞いたら、この学校に、しかも在校生でいるって言って、何と、お前の名前を
出したんだとさ。お前、知らないの?」
「知るわけないだろ。一回も喋ったことないのに」
「ま、こりゃあ、新聞部の奴に今朝聞いたばかりの情報だけど、女子生徒の間では、もっ
と前から出廻っていたらしいぜ。こういうことは、女の情報網はすごいからな。来週の新聞
には出るみたいだよ」
「関係ねえよ、そんなこと」
「駅前の喫茶店で、人を探す顔で入ってきたお前に、長く見つめられた時、身体に電気が
走ったっていう、おまけのコメント付きだぜ?」
「覚えてねえよ」
「ああ、同じ帰宅部なのに、どうしてこんなトッポイ男がモテるんだろうね。嫌だ、嫌だ」
恒夫はそんな捨て台詞を残して、どこかへ立ち去っていった。
アンパンの最後の一切れを齧りながら、僕は紀子の不機嫌な顔を思い起こして、合点がいっ
たように目を窓の外に向けた。
それから三日ほどが過ぎた、週末の金曜日の下校時に、珍しい人からの電話を僕は受けた。
紀子の叔母の真澄からで、タイミングよく区立図書館の前を歩いている時だった。
建物の横の芝生公園に僕は入って、ベンチに腰を下ろした。
「お久しぶり、元気にしてた?」
少しハスキーがかった、大人の女性のre落ち着いた声だった。
「は、はあ、久しぶりです」
そう応えながら、何故か益美の家の室内にある、狭い覗き部屋にいる自分を、僕は思い起
こしていた。
「色々とお忙しいようで、こちらのほうは随分とお見限りね」
冷やかすような嫌味を言われ、それに反論しようとした矢先に、
「あなたと紀子の通ってる高校って、北沢高校?」
と益美は意外なことを口にしてきた。
「そうだよ」
「そこの生徒で、何年生だか知らないんだけど、細野多香子って子、知らない?」
僕は思わず喉を詰まらせ噎せ返ってしまった。
「あら、知ってるの?」
「い、いや。今日、二回も聞く名前なんで、ちょっと」
「どういうこと?」
深呼吸を二度ほどして、今日の昼休みにクラスメートから聞いた話を、あくまでも他人事の
ように僕はかいつまんで話した。
「何かね、こちらで話を聞いた時、虫の知らせっていうのか、ちらっとあなたの顔が浮かん
だのよ。やっぱりモテ男君は違うわね」
益美は一人で感心したように、電話の向こうで声を唸らせていた。
わけがわからず、茫然と黙り込んでいる僕に、改めて気づいたように、益美が細野多香子の
事情を、まだ関心抜けきらずのような声で説明してくれた。
多香子は裕福な家系の生まれで、祖父というのが、日本の大手商社の副会長とかで、益美の
亡夫の長年の友人だったことで、益美とは今も深い交友関係のある人物で、その孫というのが
多香子だということだった。
目に入れても痛くない、大のお祖父ちゃん子でもある、その孫娘が、最近、ひどく思い悩ん
でいることがあるといって、祖父に打ち明けたというのが、彼女が僕のことを一人の男性とし
て意識し出してから、気持ちが鬱になっているということのようだった。
裕福な家庭に生まれ、自身の持って生まれた美貌と教養の高さで、何一つの不自由もなく、
ハイソサエティな環境の中で育ってきて、数多くの頭脳明晰で、優秀な男性が群がってきてい
るはずの、多香子が初めて自分から好きになった男性というのが、図らずも、あの紀子に言わ
せれば、単細胞で鈍感でデリカシーの欠片もない、僕だったということだった。
「その子、私も小さい頃に何回か、お祖父ちゃんが家にも連れてきて、知ってるんだけど、
いい子になってるでしょ?」
益美のその問いかけに、
「あ、ああ、学校のアイドルランキングでずっとトップにいて、成績も優秀らしいよ」
と正直に答えてやった。
「あら、あなたはあまり意識していないようね。あっ、そうか。紀ちゃんがいるか」
「あ、あれはただの同期生ってだけだよ」
「私に怒ってどうするの?…そうか、紀子は私の姪でもあるからね。この話は私ではお役に
立てないって断るか」
「いや、益美のほうの面子もあるだろうから、一度くらい顔立てても…俺はいいよ」
僕の性格の裏側が、ふいに頭の中に擡げてきていた。
電話の向こうで少しの間を置いて、
「それでこそ、あなたね」
僕の邪な意図を察したように、益美が短く返してきて、後の段取りは私に任せて、と言って、
「横道ばかり走ってないで、たまにはこの熟女もお忘れなく、ね」
とあっけらかんに言って、益美の電話は切れた。
展開がどうなるかは読めなかったが、一つだけはっきりと言えるのは、このことが紀子に知れ
たら、僕は間違いなくナイフで彼女に刺し殺されるだろうということだった…。
続く
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