高明寺へ行くための、祖母への口実はこうだった。
夏休みに寺の古文書を借りてまとめた、「平家落人伝説」の続きを、冬休みの宿題でやり
たいので、資料をもう一度見たいとお願いに行く、と学生の本分である勉強の名目を掲げた
のだ。
祖母は少しばかり怪訝そうな顔をしたが、勉学という大義名分には逆らえず了承した。
二時間くらいで帰ると言って、午後二時きっかりに、僕は尼僧の綾子の住む住家を訪ねた。
玄関のチャイムボタンを押すと、まるで玄関戸の向こう側で待っていたように、戸はすぐ
に開いた。
昨日の顔とは全然違う、喜びと嬉しさの表情を露わにした笑顔で、僕を居間に招き入れて
くれた。
「嬉しい…」
僕が来ることを信じて用意していたのか、温かいコーヒーを出してくれ、今にも泣き出し
そうな顔で、正面から僕を見つめてきた。
僕は、綾子に今日改めて会った時の、言葉を考えていなかった。
だから居間で、綾子が淹れてくれたコーヒーの湯気を見るまで、何も口に出して話せなか
った。
だが、まだ病み上がりのはずの、綾子の色白の顔が、昨日、祖母と訪ねた時とは全然違う
明るさに満ちていることは明らかだった。
それと、ハナから僕のことを、祖母の孫という目で見ていないということも、鈍感で単細
胞な僕にもわかるほどだった。
「ほ、ほんとに、身体はもう何ともないの?」
コーヒーを一口啜って、ようやく言えたのはそれだった。
「昨日ね、あなたが突然に来てくれて、あなたの顔が見れた時…」
「え…?」
「病気で弱ってた私の身体の中に、深い山奥のね、谷川の澄んだ水が沁み渡ってきたよう
な気がしたの」
戸惑いの気分でいる、僕の目の目の奥を覗き込むような表情で、色白で細面の顔をはっき
りと朱色に染めながら、綾子が言ってきた。
「そ、そんな…奇麗な考えで、僕はここへ来たんじゃないよ」
どこからかそよとした風が吹いて、綾子の化粧と女の体臭のような匂いが、僕の鼻孔を刺
激してきて、妖しい動悸を湧き立たせてきた。
それは昨夜の祖母を抱いた時のような、純でしおらしい気持ちではなく、病気上がりの綾
子への不埒不遜な情欲の思いだった。
綾子の法衣の胸の辺りの僅かな膨らみが、僕の邪な心の歯止めを外そうとしてきているた
が、その思いを制御し抑制する気持ちは、若い僕にはもうなかった。
座布団から腰を上げ、黒い座卓を廻り込むようにして、僕は綾子の傍に近づいた。
身を捩じらせもせず、綾子は僕を受け止めるように両手を差し出してきた。
さらさらとした、袖頭巾の感触が僕の頬を撫でてきて、法衣の襟の奥からまた綾子の匂い
が僕の鼻先を強く突いてきた。
顔と顔が見合す間もなく、僕は綾子の唇を強く塞ぎにいった。
綾子の濡れたような柔らかな唇の感触と、つるっとした歯の感触を、僕は舌の先に感じた
のと同時に、口の中で彼女の息の熱さを知った時、僕の頭のどこかが弾けたような気持にな
った。
「綾子の大学ノートを思い出した」
唇を離して、綾子の袖頭巾の下の耳の辺りに囁くように言った。
この半年近くの僕の女性遍歴の記憶の中で、綾子が何のためにかわからなかったが、赤裸
々な表現で書き綴った日記は、十六の僕を幾度も、淫猥で未知の興奮の世界へ誘ってくれた
のだ。
僕を見つめていた綾子の切れ長の目が、一瞬、空中で泳いだようになり、白い顔に急に赤
みが指し、恥ずかし気に顔を俯かせていた。
「ほんとだよ。何回も興奮させられた」
追い討ちをかけるように言ってやると、僕の両腕を掴み取ってきて、赤らんだ顔を胸に埋
め込んできた。
「妹さんは元気にしてるのかな?」
「えっ、ええ…」
「三人で寝た時の、あれはよかったな」
「………」
「綾子は、妹、栄子さんだっけ?彼女に抱かれてる時、すごく感じてたな」
「そ、そんなこと…き、聞かないで」
「竹野のこと、まだ覚えてるよな?」
「…………」
「縄で縛られるの、好きだったんだな?」
僕の胸の中で、綾子の身体が恥ずかしさのせいか、段々と萎んでいっているようだった。
僕の手が綾子への言葉嬲りをしながら、彼女の法衣の襟の中に潜り込んでいた。
ブラジャーはしていなくて、綾子の柔らかな乳房がすぐに掴み取れた。
「あ…ああっ」
綾子の滑らかな感触の肌と、マシュマロのように柔らかな乳房が、手に心地よかった。
綾子、ともう一度名前を呼び顔を上げさせると、瞳のくっきりとした目が潤んでいるよう
だった。
室の隅に置かれているストーブの熱気と、僕と綾子の体内温度の上昇のせいもあって、僕
の額から汗が滲み出ていた。
「竹野って男いたよな?」
乳房を揉みしだかれながらの、僕からの問いかけに綾子は切なげな顔で目で頷いてきていた。
「そいつのこと好きだった?」
目を瞬かせて綾子が、首を二度ほど振った。
細長い首が、法衣の襟を際立たせて妖艶に見せていた。
僕と二人きりでいる、この場にそぐわない僕からの、意地の悪い問いかけに、綾子は少し焦れ
だしてきているようだった。
「俺のことずっと思ってたっていうけど、男なら誰でもいいんじゃないかい?」
綾子の白い法衣の襟は、もう相当に乱れていて、片側の乳房は薄黒い乳輪と乳首まで露わにな
ってしまっていた。
僕の問いかけに、綾子の顔が忽ち、悲し気な表情になって、目から涙が出てきそうな感じだっ
たので、
「ごめん、今のは言い過ぎだな」
僕は素直に詫びの言葉を言って、もう一度唇を、悲し気に震えている綾子の唇に近づけていき、
優しく重ねていった。
ストーブと人の熱気で温もり切った室で、僕は綾子の袖頭巾以外の衣服のすべてを脱がし、僕
も素っ裸を晒し、毛の柔らかな絨毯に身体を密着させて横たわった。
十六の少年と五十代半ばの尼僧の、男女二人は、お互いがお互いを貪り合うように、身体を幾
度も上下させたりして、激しい抱擁を繰り返した。
さすがに僕のほうは、病気明けの綾子を気にかけて、何度か彼女に気遣いの言葉をかけたりし
たのだが、彼女は首を激しく振って、僕から片時も離れないようにしがみついてきていた。
燃え上りの激しい綾子の下腹部は、触れた僕も少し驚いたくらいに、滴り濡れ切っていた。
僕が驚いたことはもう一つあった。
綾子を仰向けにして挑もうとしていた僕を、彼女自らが身体を動かせてきて、いきなり四つん
這いの姿勢をとってきたのだ。
二ヶ月ほど前、僕が綾子と彼女の妹の栄子の二人を同時に抱いた時、僕に背後からのつらぬき
を受けた時の刺激と興奮が、今も記憶にはっきりと残っているからと、恥ずかし気に打ち明けて
きて、その体位を自分から望んできたのだった。
僕のほうには、その時の記憶は鮮明にはなかったのだが、つらぬかれた本人の言葉に、僕も逆
らう気持ちもなく、綾子の細い背中を見下ろす体位で応じた。
僕が腰を律動させるたびに、綾子は、いいの、いいのと幾度も悶えの声を挙げ、袖頭巾の頭を
上下左右にうち震わせていた。
綾子をつらぬきながら、昨夜の祖母のことを、僕はまた思い出していた。
祖母と綾子の二人を同時に愛するのはどうだろうという思考が、僕の性格の裏側から湧き出て
きていたのだ。
昨夜の僕は、祖母に対して、自分らしくもなく、妙にセンチメンタルな気持ちになっていた。
綾子の日記では、祖母と彼女は一度、いや、何度かは肌と肌を合わせ、悦楽の境地に浸ってい
るはずだ。
前に国語教師の俶子と祖母の三人で、図らずも肌を交えた時の興奮は、僕の記憶にもしっかり
と残っている。
もしかしたら、今日がそのチャンスだったかも知れなかったが、綾子の病気上がりもあったか
ら、次回の楽しみにと、僕はつらぬきの行為に専念した。
綾子の顔が見たいと、今度は僕が要望して、態勢を変え、彼女を仰向けにした。
「は、恥ずかしい…私」
そういった綾子は、汗を滲ませた顔を上気させ、息も絶え絶えの表情だった。
「身体は大丈夫か?」
「こ、今度…あなたにいつ会えるか…」
「近いうちにまた来るさ」
「きっとよ」
「ああ、きっとだ」
もっと激しくと思っていたが、綾子の息の荒れ具合と、病後間もない身体に無理強いはできな
いと、それから間もなく、僕は優しい気持ちになり、労わる気持ちのまま果て終えた。
暫くは熱気の充満しきった居間で、二人はぐったりとした身体で、絨毯の上で並ぶようにして
身を横たえていた。
「私…ね。今ある人から結婚を申し込まれているの」
天井のほうに目を向けながら、綾子がポツリとした口調で言ってきた。
「そう…」
僕も目を天井に向けて短く返しながら、ふと、同じようなことを言っていた、国語教師の俶子
の顔を思い浮かべていた。
「お寺の檀家の副総代の人で、私よりも七つも年下の人なんだけど、三年ほど前に離婚してい
る人。去年の夏前くらいから、それとなくプロポーズみたいなことされてたんだけど、妹の夫の
不始末のことやら、色々あったでしょ。…あなたとも知り合えた」
「いい人ならいいじゃん。まだ綾子も先は長いんだから」
そう応えて、十六の少年の言葉ではないな、と僕は胸の中で苦笑したが、綾子が幸せになって
くれたらと、この前の俶子の時と同じ気持ちになっていた。
「それでも、私…何故だかあなたのこと、忘れられそうにない」
「何言ってんだよ、こんな十六のガキのことなんか、きっぱり忘れたらいいよ。そもそも、こ
んなガキのどこがいいのか、俺、わからん」
僕は正直な自分の気持ちを言った。
「ほんと、とんでもなく歳の離れたあなたを、こんなに思ってしまうなんて。剃髪して得度し
た資格なんてまるでないと、自分でも恥ずかしく思ってるんだけど…わかったのは、男と女って、
理屈じゃないってこと」
「…だよな。俺も綾子を知ったりして、何か激動の半年間だったような気がしてる」
「あなたはね、自分ではまだ気づいていないのかも知れないけれど、女の持って生まれた母性
本能を揺さぶる何かを持っているの。だから年齢関係なしに、女の人にあなたは愛される…今の
時代の言葉で言うと、フェロモンっていうのが、生まれつき備わっている気がする。…そして、
私もそれに嵌ってしまっている」
「そうなの?」
尼僧の綾子に説教みたいにそういわれても、僕自身にはさっぱり意味もわからないし、当然に
そういう自覚すらなかった。
「要するに女の人にモテるってことか?…なら嬉しいことだ」
「悔しいけれど、何故か、あなたを憎めないのね。それと何故か、まだ十六というあなたの年
齢が見えなくなるの」
これまで自己分析などしたこともない僕は、綾子に褒められているのか、不思議がられている
のかよくわからなかった。
何か、綾子を抱いたということを忘れてしまうような、変な気持ちのまま、またの再会を約束
して、僕は彼女の泣きそうな顔に見送られて辞去した。
家に帰ると、居間で祖母が洗濯物を畳んでいた。
身体にぴっちりっとした黒のタートルネックのセーターと、ジーンズ姿のせいもあってか、祖
母の小柄な身体が、ひどく小さく見えた。
ただいま、は言ったが、僕は何とはなく、祖母に接近しないようにして、台所の冷蔵庫からミ
ネラルウォーターを取り出して、帰り支度をするために、僕の室に行こうとした。
「綾子さん、元気にしてた?」
背中に祖母の何気ない口調の問いかけの声があり、少し驚いたように僕の足は止まった。
「あ、ああ、す、少し痩せて見えたけど、声は元気だったよ。婆ちゃんにもよろしくって」
「そう、私も先週から行ってないから、一度行ってあげないと。…で、宿題の資料か何か借り
てこなかったの?」
どきりとさせられる祖母の言葉だったが、
「ああ、無理して色んなもの頼んじゃったので、また次に来るまで用意してくれるって」
それから何秒かの、微妙な間があったが、
「何時の列車なの?」
というあっさりとした祖母の声に、僕は胸を撫で下ろして、
「晩飯食ってからにしようかな?」
と内心で、せめてもの罪滅ぼしの気持ちで祖母に言った。
「まぁ、大変。何か作らなきゃね。何がいい?」
祖母はそういって慌てたように立ち上がり、台所に駆け寄っていった。
キムチ鍋にうどんを入れた温かい料理で、僕は腹を満腹にして、最終の一つ前の列車で、何だか
奇妙な感じの奥多摩旅情に別れを告げた。
祖母は勿論、駅まで見送りに来てくれて、列車の窓の前で、何か口を動かせながら、本当に涙を
浮かべて手を振ってくれた。
翌日、学校に出ると、靴脱ぎ場で、背中にぶつかってきた奴がいた。
振り返ると、長い髪を後ろに束ねた紀子で、わざとぶつかってきた感じだった。
ご機嫌斜めの顔だというのが、すぐにわかった。
自分を誘わずに行った、僕の奥多摩行きを怒っているのかと思ったら違った。
偶然かどうか、二人の上下関係を何となく示すように、紀子の靴箱の真下が、僕の靴入れになって
いる。
紀子は挨拶の声もかけず、すたすたと廊下を歩いて行った。
その日の昼休みに、紀子の不機嫌な原因がわかった…。
続く
た
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