いつもと違う駅から電車に乗って登校するのは、気分的には幾らか新鮮になれる。
紀子の家の紀子の室で、身体をぶつけ合うように寝て、いつもより一時間も早く起こされ
て、紀子の手作りの朝食を食べて、おまけに手作り弁当を持たせてもらっては、登校の途中
で少々、ベタベタされても、我慢はしなければならなかった。
昨日、近所の叔母さんから結果的に、密告通報され、僕と商店街を腕組みして歩いていた
ことが、東北に出かけている母親にバレ、多分、こっぴどく叱られているはずのくせに、紀
子はまるで意に介していないように、駅までの道中と、電車に乗ってからも、ずっと僕の腕
にしがみついてきていた。
「なぁ、お前また、母親にチンコロされるぞ」
駅までの道中で、歩く足を早めたり緩めたりして、何とか腕を引き離そうと僕は画策した
のだが、相手が陸上の選手では足で勝てるわけがなかった。
諦めた素振りをすると、今度は口攻撃で、
「私たちって、間違いなく不良だよね?」
「不純異性交遊ってどのくらいの罪になるのかな?」
「学校であなたとのこと、噂になったらどうすればいい?」
「あなた、私のこと、ただ好きなだけ?」
以下にも深刻そうな顔で、次々と問いかけてくるのだが、本人はほとんどといっていいく
らい、気にしていないのが見え見えだった。
満員電車では、さすがに口は開いて来なかったが、混雑状態でどんなに乗客に押されても、
僕の腕だけは離そうとしてこなかった。
乗客で、僕と同じ制服の男女の何人かがいて、中には同じクラスの者や顔に覚えのある者
が何人かいたりした。
その大半が僕のほうを見て、訝りや奇異な目で見てきてたりして、僕のほうが気が気では
なかったのだが、紀子のほうは一向におかまいなしだった。
学校前の駅を降りると、紀子の友達の何人かが彼女に寄り付いてきて、さすがに僕から離
れざるをえなく、校門までの道をいつものようにゆっくり歩けた。
校門を入った時、校庭のほうが朝から、何かざわめいているようだった。
校庭の端に三本桜の木があるのだが、そこに人だかりがあり、男女入り混じった十数人前
後の生徒が、誰かを囲むように輪を作っていた。
見るともなしに人の輪に目を向けていると、後ろから肩を叩いてきた生徒がいた。
同じクラスのひょうきん男の恒夫だった。
学校内の情報収集能力にも長けている恒夫が、
「朝の早くからご苦労なこった。あれ、細野多香子だぜ。今度、彼女が行く大学の新聞部
みたいなサークルがあって、男女含めて、何人かの新入生をピックアップした特集をやるの
に、母校での写真が必要とか言って、こんな朝早くから来てるってわけだ」
僕は唖然とした顔と目で、滔々と喋る恒夫の顔を見ていた。
こいつは絶対に芸能記者になるべきだと、僕は思った。
校庭の人の輪が乱れて、真ん中にカメラを幾つも首から吊り下げた男と、二、三人ほどの、
パーカーやダウンジャケット姿の男たちがいて、その中心に学校の制服を着こんだ、細野多
香子の白い顔があった。
校舎の玄関に向かって歩いている僕と、多香子を中心にした人の輪の方向が同じようだっ
たので、僕は彼らをやり過ごそうと、歩くのを止めた。
悲劇、というのでもないが、僕にとっては少し気まずい鉢合わせのような場面が唐突な感
じで生じた。
人の輪に囲まれて歩いている、多香子がふいに僕に気づき、手を腹の辺りで小さく振って、
にこやかな笑みを見せた時、
「雄ちゃん」
と突然、後ろのほうから、大きな呼び声があった。
目を瞑って僕は振り返った。
開けた目に、何かを片手に持って、僕のほうに向かって駆け出してきている紀子が見えた。
振り返った顔を元に戻すと、足を止めた多香子の色白の顔の表情が、はっきり見えた。
真顔の表情になっていて、目にはっきりとした訝りが浮かんでいた。
何事につけ無神経で、他人の目を気にしない紀子が、僕の真ん前に立ってきて、片手に握
った小さなものを前に差し出してきた。
僕の生徒手帳だった。
昨日、制服姿で紀子の家を訪ねた時、僕が脱いだ服とズボンを、紀子がハンガーに掛けて、
壁のフックに吊り下げた時か、朝、眠い目でズボンを穿いた時に落としたものだろうが、選
りに選って人の多いこんな場所で渡してこなくても、と心底に腹が立った。
お陰で、登校してきた何人かの生徒たちの、奇異か不思議そうな視線を幾つ受けたのかわ
からなかったが、もう一度多香子のほうに目を戻すと、真顔と刺すような強い眼差しは変わ
らないままだった。
主犯の紀子のほうは、僕に笑顔で生徒手帳を渡した後、あっけらかんとした顔で、一緒に
いたグループに溶け込んでいった。
僕の横で、ことの一部始終を、ポカンとした顔で見ていた恒夫が、
「何で、お前みたいな単細胞で、ズボラな怠け者がモテるんかねぇ。世の中わからんわ」
と呆れたような関西弁を残して、玄関に歩いて行った。
見ると、多香子の姿もどこかに消えていた。
六時間の授業は、何一つ耳にも頭にも入らなかったのは、当然の結果だった。
夕方、外泊と学校での朝のゴタゴタがあって、ひどく疲れた気分で帰宅した僕に、昨日に
届いている、俶子の長文メールを読む気力はなかった…。
続く
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