朝、目を覚ますと、多香子は横にいなかった。
スマホを覗くと、まだ八時前だった。
寝ぐせの一杯ついた頭を掻き掻きしながら、室を出て階段を降りて、昨夜、美味しいすき焼きを
鱈腹食ったリビングにいくと、白のブラウスに紺のロングスカートというシンプルな身なりで、花
柄のエプロンをした多香子が、忙しなげに動き廻っていた。
顔の化粧も済ませているようで、白い顔に赤い唇が美しく映えていた。
「おはよう」
と声をかけると、僕がいることに気づいていなかったのか、驚いたように振り返って、
「あら、おはよう。何、その頭。顔洗ってきて」
可笑しそうな笑みを浮かべながら、コーヒーカップにコーヒーを注いでいた。
洗面所で顔を洗って鏡を見ると、髪の毛が寝たままだったり、ピンと針金のように右左に立って
いたりして、雷が落ちたようになっているのを見て、自分でも笑いたい気持ちになった。
頭に水を塗してドライヤーをかけたが、半分は元に戻っていなかった。
便器に座って小便を済ませて立ち上がり、水を流そうと便器にもう一度目を向けると、奥のほう
で、何か小さな紙の袋のようなものが見えていた。
顔を覗き込ませると、封をされた薄い水色の紙袋で、それが何かは僕にはすぐにわかった。
女性の生理用品だった。
多香子が生理になったのか?
少なくとも昨夜のことではない。
僕とあれだけ激しく絡み合った時には、多香子のほうに、そんな素振りは何もなかった。
多分、今朝のことだと思われたが、小さなその紙の袋一つだけで、僕の頭の中に、良からぬ発想
が、朝の早々から浮かび出てきていた。
少し高級な喫茶店のモーニングセットのような、多香子の手作りの朝食を、昨夜の激しい運動に
せいもあって、僕は全部平らげていた。
窺い見るような表情で僕を見る多香子に、
「ああ、美味しかった」
と満足げな顔で言ってやると、子供のように嬉しそうな笑顔を見せてきた。
「あなたのこと、まだすき焼きが好きってしか知らないから、チーズトーストはちょっと迷った
んだけどよかったわ」
「チーズは好きだよ、俺。それにこのサラダのドレッシング美味しいね」
「これからあなたのこと、一杯勉強しなけりゃいけない」
「俺の嫌いなのはね、オクラとモロヘイヤとゴーヤ。チョコレートも先ず食べない」
「チョコ以外は、みんな身体にいいものばかりなのに。粘っこいものが嫌なのね」
「性格、淡白なんでね。あ、ぜんざいが大好き」
話しながら、僕は便所で思いついた、不埒な発想を切り出す、タイミングを計っていた。
「意外とと言ったら失礼だけど、多香子は家庭的なんだね」
「そう?何もしないお嬢さんだと思ってたんだ?」
「学校ではマドンナだと知ってはいたけど、自分のことを思うと、憧れてはいけない人だと、思っ
てたからね」
「マドンナ扱いされるのが、ほんとに嫌だったわ」
「俺は今、目の前にいる多香子が好きなだけだからね」
「嬉しい…」
「ところで、多香子、生理になった?」
言い出すタイミングに窮して、僕はストレートに多香子に目を向けて尋ねた。
多香子の目に驚きの表情が浮かび、白い顔に流れるように朱が指していた。
「ど、どうして?」
「便所の隅に落ちていた」
そういって、僕はジーンズのポケットから、薄水色の小さな紙の袋を差し出した。
多香子の顔の色の朱がさらに濃くなっていた。
「い、一日早いんだけど…今朝、急にね」
「昨夜、俺が張り切り過ぎたかな?」
半分は冗談口調だったのだが、
「そう…かも」
と多香子は返してきて、細い首筋の辺りの朱色を、また濃くしていた。
ここからが、僕の演技になる。
「こんな…」
そういって、僕は椅子から立ち上がって、ゆっくりと応接間のソファに足を向けた。
ソファに座り込んだ僕に、予想通り多香子は付いてきていた。
「いや、こんな美味しい朝食を食べた後で、言うことじゃないから、もういい」
多香子が声をかけてくる前に、僕は真顔になって口を開いた。
「気になる。何か言って」
僕の横に、不安そうな顔で座ってきた多香子に、
「多香子の生理が見たい…」
「えっ?」
「お前の生理になったあそこが、どんなだか見たい」
「そ、そんな…」
「無理ならいい」
「よ、汚れてるのよ」
「だから、嫌ならいいって言ってるだろ」
「…………」
「ごめん、俺が悪い」
「…い、いいわ。あ、あなたが見たいというのなら…」
「こんなこと、女の人に言うの初めてだ。…昨夜の余韻が、まだ残ってるのかな?俺」
「ど、どうすればいいの?私」
多香子への籠絡作戦は成功したが、実際にどうしたいのか、ということ迂闊にも考えてはいな
かった。
「こ、ここでいけない?」
戦国の武人小説にも、いざとなると女のほうが強くて、腹も座ると書いてあるのを読んだこと
があるが、今の多香子がまさにそうだった。
或いは僕の突飛で、卑猥極まりない倒錯的な申し出に、彼女自身にも同じ思考に、故意に陥っ
てくれたのかも知れないと僕は思った。
多香子はソファから立ち上がり、室を出て行って、手にバスタオル何枚かを持って戻ってきた。
ソファの上に、多香子は持ってきたバスタオルを重ねて敷き並べると、
「脱ぐわね」
と短く言って、さすがに僕から視線を逸らし、ロングスカートのホックに手をかけた。
細長く白い足と、白のショーツが現れ出て、僕は少し目を見張らせた。
多香子はもう気持ちを決めきっているのか、僕のすぐ前で立ったまま、ショーツに手をかけ、
そのまま下に下ろしていった。
薄水色の生理帯が、多香子の白い股間に貼りついているのが見えた。
僕の横に敷かれたバスタオルの上に、多香子は下半身だけを晒した裸身で、横向きに座ってき
た。
手を伸ばせば触れるくらいのところで、多香子は僕のほうに、白くて細長い足を向けてソファ
の上に載せてきた。
多香子の股間は、薄水色の生理帯を挟み込むようにして閉じられていた。
「恥ずかしい…」
僕に目を合わさずに小さな声で言って、多香子は長いソファの上に、ブラウスを着込んだ上体
を後ろに向けて倒していった。
言い出しっぺの僕だったが、その有様は、目を一点に集中させて、喉を鳴らして生唾を何度も
呑み込むという、多分、何とも形容のしがたい体たらくというか、情けない姿だったと思う。
両手で顔を包み隠している多香子が、
「あ、あなたが外して…き、汚いから手を汚さないでね」
とくぐもったような声で言ってきた。
多香子の足がゆっくりと開いてきて、薄水色の生理帯が、僕が手を差し出せば届くところに見
えていた。
恐る恐るの思いで、僕は手を伸ばし、生理帯の端を摘まむように持って、ゆっくりと開けた。
生理帯の柔らかな生地のところに、赤い血が筋状に見えて、周辺に黄色っぽい沁みのようなも
のが点在して見えた。
多香子自身の美しさと、持って生まれた気品の良さのせいもあってか、それほどの不潔感とい
ったものはなかった。
鼻先で嗅いだわけではないが、酢のような匂いが少し鼻についた。
股間の肉襞が少し開いていて、桜色の濡れた皮膜に血が少し滲んでいた。
こんなものかというのが、第一感の感想だったが、恥ずかしさを堪えて足を開いてくれた、多
香子にはその表情は見せられず、
「ありがとう、すまなかった」
と礼の言葉を述べて、多香子に手に持った生理帯を返した。
「何か…私まで変な気持ちになってきちゃったわ」
確かに多香子の顔は、風呂上がりの後のように赤く火照っていた。
「キスしてやろうか?」
優しい声で言ってやると、多香子は嬉しそうに顔を綻ばせて、身体と顔を僕のほうに、にじり
寄せてきた。
ブラウスの肩を抱いてやると、多香子も僕に同じようにしてきて、顔と顔が自然に触れ、唇と
唇が吸いつけられるように重なった。
僕の口の中に多香子の熱っぽい息が入ってきて、今しがたの、僕の不埒な思い付きの行為で、
彼女が少し気持ちを昂らせていたことを知った。
多香子の手作りのモーニング朝食も美味しかったが、キスの味も僕には、極上のデザートとな
った。
軽井沢の観光スポットを、多香子があれこれと僕に説明してくれたが、僕があまり気乗りして
いない表情を見て取ったのか、強引には誘ってはこなかった。
帰りの新幹線もまたグリーン車だったので、さすがに僕も、この旅行費用の応分の負担を申し
出たが、
「私の高校生活最後の旅行に、お付き合いししてくれたんだからいいわ。素敵な夜もプレゼン
トしてくれたし」
と笑って固辞してくれた。
軽井沢観光を、僕の我儘みたいな気持ちでキャンセルして、帰りの新幹線に乗ったのは、十時
少し前だった。
電車が東京駅に着く少し前、
「あーあ、もう一年、あなたと一緒に高校生活してみたかったなぁ」
多香子が窓の外に目を向けながら、残念そうな声で呟いてきた。
「そういえば、大学は六大学のどこだっけ?」
「早稲田」
「都の西北かぁ」
「そうだ、あなたも来年受験でしょ?」
「まあ…」
「早稲田に来たら?」
密かに東大を目指してるとは、さすがに僕も言えなかった。
「会えなくなるの、寂しい…」
窓に向けていた顔を僕に向けてきて、多香子は切なそうな表情で、いきなり手を握ってきた。
「SNSとかあるし」
「あなたの生の声や、匂いを感じていたいの」
ここでいたわりや思いやりの気持ちを出して、会う手段をどうこうと、こちらから話すのは避け
るべきだと、僕の本能が僕の頭を必死に制御していた。
「会いたくなったら、また会えばいい」
精一杯の言葉を僕が言うと、
「あなたって、クールなのね」
と多香子は口を噤むような表情で、僕を可愛く怒った目で睨んできた。
東京駅で多香子からの昼食の誘いも断り、彼女と別れた後、喧噪な駅構内を一人歩きながら、た
め息のような息を何度もついていたのだが、色々な人の顔が揺れるペンライトのように浮かんでき
ていたのだ。
多香子という女性を知ったことで、何か自分の男子としての、スキルが見えてきているような気
持が、少し僕の頭の中に擡げかけてきていた。。
山手線に乗り換えて、自分の住む家の近くの駅を降りた僕は、区立図書館横のいつもの、僕だけ
の安息地である芝生公園に来ていた。
昨日からずっと一緒にいて、愛のようなものを確かめ合った、多香子がどうこうというのでは毛
頭なく、何か違う人の声を聞きたいと、僕は無性に思っていたのだ。
誰もいないベンチに腰を下ろし、スマホを見ると、正午を五分ほど過ぎていた。
空腹感もそれほどなかったので、意味もなくスマホを弄っていた僕の頭の中に、最初に二人の顔
がほぼ同時に浮かんでいた。
年の功を優先して、僕はスマホ画面に名前を出してプッシュした。
予想通り、一回のコールで相手は出た。
「婆ちゃん…」
「どうしたの?」
祖母の驚いたような声が耳に響いてきた。
畑に来ていて、お昼で小屋に戻ったらすぐに、スマホがなってびっくりしたのだと、祖母は嬉し
そうに言った。
「何もないんだけどね、急に声聞きたくなって」
「何もないというのが、あなたは何かあるのよね」
見透かされたように、祖母に言われたが、図書館に来ている、とだけ言って、僕は近況だけ話し
て、
「婆ちゃんの声聞きたかっただけ」
と言ってスマホを切った。
少しハスキーがかった、祖母の声を聞けただけで、僕の気持ちが、何故か少し落ち着いた。
さて、次は厄介な相手だ。
こちらも偶然か、一回のコールだった。
「よう」
「何…どうしたの?」
祖母と同じ見透かしたような声だった。
部活で学校に来ていて、昼食中ということだった。
「図書館に来てた」
「あら、やる気満々じゃん。よしよし」
昨日からの多香子とのことがあったので、僕の声のイントネーションに、何となく疚しさのよう
なものが出たのか、
「何かあったの?」
と紀子が、得意の女の勘を働かすような声で聞いてきた。
「何にもねぇよ。煩い声でも、ふいに聞きたくなっただけだ」
「ふぅん。喜んでいいのかな?私。あ、三時に私終わるから、どこかでお茶する?」
「あ、あぁ、午後から母親の買い物のお供で、秋葉原へ行くことになってるんだ。掃除機が壊れ
たって」
「そう…」
妙にしおらしく残念そうな声だったが、さすがに昨日の今日で、紀子の顔を真面に見る勇気は僕
にもなかった。
「また、いつか、コーヒーくらいなら奢るよ」
僕のこの余計な一言に、紀子がピラニアのようにすぐに食いついてきた。
「じゃ、明日の学校の帰り。部活休みなの」
「あ、あぁ、でもいつものとこじゃなく、違うとこにしようぜ」
「何、気にしてるの?」
「な、何も気になんかしてねぇし」
「次期マドンナ候補のお誘いだぞ、ありがたく思え」
冗談口調の声に押し切られて、僕は渋々といつもの喫茶店を約束させられた。
何か風に飛ばされている風船のような、ふらついた気持ちで帰宅すると、家には誰もいなかった。
リビングのテーブルの上にメモ。
(お父さんと買い物デート 母)
食欲もなかったので、二階の自分の室に上がり、ベッドに倒れ込む。
枕の横にノートパソコンが置きっ放しになっていたので、何気にスイッチを入れて立ち上げる。
友達の少ない僕なので、メールの類もほとんどないのが常だったが、同じ人物から三回もメール
が届いているのが、目に留まったので開けてみた。
国語教師の沢村俶子からのメールだった。
一通目はともかく、二通目と三通目は、間違いなく僕の心に、大きなドリルを突き刺してくるく
らいの衝撃で、驚愕と愕然の淵へ落とし込むような内容だった…。
続く
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