熊野は先ほどから記憶の底を手繰っていた。
この女が拡声器で晒していた住所、名前…何か覚えがある。
(○○市○○台×丁目…ん?○○台の池野…、ああそうだ…!)
もう3~4年経つだろうか…親会社が請け負った新築住宅の水道工事に
不具合があって、修理に行ったのが確か池野邸だった。
ムシムシした梅雨時だったと思う。
その家の主はまだ30歳そこそこの優男で、こんな若造が贅沢な注文住宅を
建てやがってとムカついた覚えがある。
しかも新婚だと言う。
次第にはっきり記憶が甦る。
その時、その新婚の若妻が汗だくで作業している熊野に冷たい飲み物を
出してくれたっけ。
「ご苦労様…蒸し暑い中大変でしょうけどよろしくお願いします」
楚々とした佇まいは初々しく、品のある顔立ちは知的でもあり可憐でもあり、
熊野は年甲斐もなく胸をときめかせた。
(まさかあの時の奥さんか…!?)
同時に熊野の胸に苦く不愉快な感情が去来する。
あの日作業を終えた時、洗濯室の片隅のつい立ての陰に女物の
下着が干してあるのを見つけた。
長引く雨に庭に干すことも出来ず室内干しをしていたのだろう。
(あの奥さんのパンティ…!)
熊野は誘惑に抗い切れず、一枚をポケットに入れた。
しかし運悪くその場面を夫に見つかってしまったのだ。
温和で優しげな人物ではあったが潔癖だった。
下着泥棒のような破廉恥行為は許せず、まして盗まれようと
していたのが新婚の妻のものだとなれば強硬に警察に通報すると言う。
これまで何度か警察の厄介になっていた熊野なので今度捕まれば
実刑を免れない。
「出来心だったんでさぁ…旦那さん、許してくだせぇ…」
30歳近くも年の離れた若い男に熊野はペコペコ頭を下げた。
それでも足りないと見ると土下座して、床に額を擦り付けん
ばかりに謝った。
「土下座なんかしてもだめですよ、許せないものは許せない」
「そう言わず…これこの通り足だって舐めますから…」
熊野は憐れみを乞うように夫の足に縋りつき、夫が履いている
スリッパを舐めようとまでした。
「止めてくださいよ、気持ち悪い!」
夫が足を引こうとした弾みに爪先が熊野の顔面に当たり、熊野はそこに
もんどりうって倒れたのだ。
若妻が悲鳴を上げた。
彼女には夫が熊野を足蹴にしたように見えたのだ。
「あなた…もうやめて…出来心だって言ってるんですから許してあげて…」
そう彼女がとりなしたお陰で熊野は警察に通報されるのだけは免れたのだ。
今、熊野は工事現場のプレハブの事務所に友美と谷本を前にしている。
すでに始業時間は過ぎており、労務者たちは渋々作業を始めている。
「マジかよ…熊野さんと友美にそんな縁があったとは驚きだぜ」
熊野の話を聞き、さすがの谷本も感心している。
しかし最も驚いているのは友美だ。
友美もまたその日のことを思い出している。
彼女には優しい夫が暴力を振るうのを見ていられなかった。
いつになく夫が感情を高ぶらせたのは、下着を盗まれようとして妻である
自分が穢されたと感じたからだと思った。
その気持ちは嬉しかったが、自分のために夫が他人に怪我を負わせ、
怪我を負わせ罪に問われることになれば一生後悔するだろう。
だから男を庇う結果になったのだが、男がした恥ずべき行為は決して
許せるものではない。
おぞましさに鳥肌が立ち、男が飲んだコップも男が触れた下着も
忌まわしく、すぐに処分した。
その男が今、谷本の友人として目の前にいる。
「クク…俺も熊野さんも友美とはパンティが取り持つ縁って訳だ。
だが今やパンティを穿く暇もない肉便器になっちまったとは
皮肉なもんだなぁ…」と谷本が笑う。
「俺は忘れねぇよ…あの小賢しい若造に受けた仕打ちをよ…
土下座させられ、足舐めさせられてよぉ…終いには蹴り殺される
かと思ったぜ…」
そ、そんな…土下座も足を舐めるのもみんなあなたが自分からした
ことじゃない…それに足蹴にしたのも物の弾みだったって…
友美は夫からそう聞いている。
しかし谷本は構わず追い詰めて行く。
「無抵抗の熊野さんに暴力を振るうとはお前の旦那は最低だな。
クク…お前、最低の旦那に代わって熊野さんに謝れよ」
これまで谷本の言いなりに何人もの男に凌辱された友美だったが、
夫の気持ちを考えるとそれだけは出来ないと思った。
悪いのは全て熊野だ。夫は友美のために熊野を責めたのだ。
それは何よりも友美を大切に思ってくれているからに他ならない。
熊野に屈すればそんな夫の思いをぶち壊すことになる。
「い、嫌っ…こ、この人だけは…!」
しかし谷本はニヤニヤ笑いながら次の企てを巡らせている。
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