胸のポッチやスカートの短さなど見たいならもっと見て頂戴と思えるほど、私は見られることへの快感を感じずにはいられませんでした。
堂々と歩けば歩くほど、人というのは私のことを見ないものでした。やはり、羞恥心といった恥ずかしい思いをしている人に対して人は一種の優越感を抱き、好奇の目で見るものだと思いました。
でも、私は堂々と歩きたかった。それは清々しさというか晴れ晴れとした気持ちになれたからだった。だが、この気持ちもいつまでも持続するものではなかった。
それは中華街である南京町に入った時にそれがわかりました。
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