28苦悩の梨と闇夜の始まり
私が予想していた通り、如何にも老舗料亭といった部屋には、4つの膳と、その前に座る3人の男性がいました。
うち1人はご主人さまでした。
格好を崩している2人に対して、向き合っているご主人さまは私に背を向けて正座しています。
男性たちは初老ですが、ご主人様より、少し若そうにも見えます。
奥の男性の一人はどこかで見た顔です。確か昔の偉い人の血縁者で、時々TVで棒読みに話すのをニュースで見た人?・・・です。
「それをこちらのお客様に。」
私は、襖を作法通りに閉め、ご主人さまに言われるまま、お客様の膝の横に盆の品物を運びました。
袱紗の下の物は、大きさに対して思ったより軽いのが意外でした。
(何かしら?お金では無いみたい。)
少し予想を裏切られたので、表情に出ないように作り笑いをしてしまいました。
「この女性は?」
「昔から私が目を掛けている男の婚約者でしてな。
丁度今日から海外に行っておるので、留守中私が預かって、これから色々と仕込もうと思っております。
里美、お客様に、ご挨拶しなさい。」
「里美です。これからよろしくお願いいたします。」
ご主人さまが、私に膳に着かず、そのまま2人の男性の間で、酌をするように命じると。
TVで見知った男性は会釈もせず、黙って杯を差し出しながら、
「さて、今夜は、どんな嗜好ですかな。」と、TVと同じに、あまり表情を変えずに話しました。
「先日、先生方のご趣味を聞き及びましたが、この通り、丁度折り良く初物も手に入りましたので、持参いたしました。」
先生の横の男性が袱紗を取ると、白い桐箱と、その上に載った、不似合いな黒いビニールの袋が現れました。
「ご趣味に合うと良いのですが。」
杯を干した先生は、桐箱を抱え上げると、蓋を取りました。
桐の薄板で作られた箱には、一枚の書類に万年筆と遮光マスク、そして私が始めて見る、不思議な形の物が入っていました。
鏡の様に磨き上げられ、明かりを映した卵型、否、洋梨型の調理道具のような金属器で、
縦に4つの切れ込みが入っていて、蔕の部分にワインオープナーそっくりな、螺子が切られた取っ手が付いています。
「ほほう、Pear of Anguish か。」
興味をもったのか、先生の表情に初めて変化が顕れました。
「さすが、良くご存知で。そう、苦悩の梨でございます。」
「骨董品は私も一つコレクションしているが、実用品は初めて見た。」
「ある職人に、復刻させたものですが、色々と工夫させてあります」
「なるほど。で、この使い道は?」
「これから、里美がご接待いたしますので、今夜は是非お試しください。
ただこの女は、先程お話した初物。本日が初仕事ですので、不調法がありましたらお許し下さい。」
「後で面倒な事は困るよ。」
「勿論です。さあ、里美、それを読んで、差し上げなさい。読み終わったら最後に自分で名前を書きなさい。」
私が、ご主人さまに命じられ、読み上げた文章は、次のような物でした。
「私、○○里美は、平成○○年○月○日より○月○日までの1日間の間、○○○○様並びに○○○○様によって施される、
如何なる精神的及び肉体的苦痛を伴う行為に対し、その行為を自ら意思で受け入れたものと了解し、
その結果には、後日一切の異議申し立てを行わない事を、ここに誓約いたします。」
最後の私の署名欄があり、私は、催眠術にでもかけられた様に、霧の箱を下敷きに、万年筆で署名をしてしまいました。
先生が誓約書を受け取ると、満足そうに一読し箱に置くと、次にビニール袋を手に取り引き裂きました。
引き裂かれた黒いビニール袋からは、大型犬用の首輪が現れました。リードの付いた、赤い首輪です。
「里美、首輪を自分に着けなさい。」
私はこれから何をされるのかと思うと、首輪を受け取ったまま、混乱してしまいました。
顔が赤くなり、動悸が激しくなったのが自分でも、はっきりわかるほどです。
でも、体の芯が濡れているのもまた、はっきりとわかりました。
ああ、私は本当のマゾの変態になってしまったのです。
先生が、私の手から再び首輪を自分の手に取り戻すと、私の首に装着しました。
少し緩い感じに締められたのが、不思議と優しく感じました。
ご主人さまも私に近づいてきて、私の眼鏡を外し、背後から遮光マスクを掛けました。
目隠しをされた直後に、唇に堅い紙、そうです、あの誓約書が押し付けられたのが判りました。
捺印代わりのキスマークを誓約書に写したのでした。
そして、私は長い長い1日間の暗闇に突き落とされました。
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