怠惰な生活を貪る日沼の目には優理子の閃光のような動きを捉えることは出来なかった。
何が起こったか理解する間もなく、鳩尾に激痛と共に息が止まり、その場に崩れ落ちた。
疾風の如くパソコン台に駆け寄った優理子は、パソコンに集中している小峰が振り向く間もなく
首筋を打ち据え床に転がすと、USBスティックを残らず奪い取る。
坂本にはいち早く身をかわされたが、目的を果たした優理子は坂本を睨み据え、壁際に飾って
ある竹刀を手に取り片手で構えた。
「こんにゃろ~!ふざけやがって!」
床に寝そべっていた石田と中谷もようやく異変に気付き、飛び掛かって来る。
右手に何本ものUSBスティックを握り、左手一本しか使えない優理子だったが、この二人程度
ならそれで充分だ。
流麗な竹刀さばきに石田と中谷は一瞬後に床をのたうち回っていた。
「あなたたち、絶対に許さない! これは犯罪よ…もう学校でどうこうと言う問題じゃない。
このまま警察に行くから覚悟なさい!」
床に打ち伏せた石田を優理子は片足で踏みつけ、怒りを爆発させる。
日沼がよろよろと立ち上がった。
「くそ…私を騙したのか…」
「当り前よ…誰があなたみたいな最低の男の言いなりになんてなるものですか!
刑務所で私にしたことを反省しなさい!」
優理子のあまりの剣幕に日沼は動揺している。
「ま、待ってくれ…謝るから…反省しているから…警察だけは勘弁してくれ…
この通り…許してください…」
恥も外聞もなく日沼は泣きそうな顔でその場で土下座を始める。
「ククク…しょうがねぇな…物騒だから縄を解くなと言ってたのに、日沼のオッサンは色仕掛けに
負けて解いちまうんだからなぁ…お陰でかきたくもない汗をかくことになりそうだ。」
一歩下がっていた坂本が苦笑しながら優理子の剣の間合いギリギリのところまで歩み寄った。
優理子は身構えた。
石田や中谷らとは違い、坂本は武道の高段者とも思える威圧感があった。
先ほど小峰を打ち据えた時に優理子の剣をかわした敏捷さと言い、今も優理子の剣の間合いを見切った
戦術眼の良さはかなり喧嘩慣れしているようだ。
片手一本でこの坂本を退けることが出来るか、優理子は五感を駆使して坂本の力量を図った。
*****
小谷奈緒はようやく八木先生の自宅を探り当て、家の前に立っていた。
生徒の奴隷に堕ちた身で清冽で毅然とした優理子を訪ねるのを躊躇う気持ちも強かったが、
新任早々三日間も休んだ姉のような八木先生が気がかりだった。
門の前のチャイムを鳴らそうとした瞬間、家の中から大きな物音が聞こえた。
(えっ?…)
物音とともに怒声が響く。
家の中で何か暴力的な争いが起きているのは間違いない。
(まさか、強盗とか?…)
門扉は開いていた。
玄関に駆け寄りドアノブを回すと鍵は掛っていなかった。
もし強盗の類なら奈緒は自分の存在を悟られてはならないと思った。
奈緒は息を殺して家の中に入って行った。
「あっ!」
玄関から廊下を通ってリビングを覗いた奈緒は思わず声を上げた。
あの慎ましやかな八木先生が全裸で竹刀を構えている。
床には見知らぬ裸の中年男が平伏し、八木先生の足の下で押さえつけられているのは
間違いなく石田憲次だ。
小峰良太と中谷も床に打ち伏せられている。
そしてその八木先生と対峙しているのは、誰あろう坂本勝彦だった。
「えっ…小谷先生なの?」
坂本と睨み合う優理子はその視界の端に奈緒の姿を捉えた。
何が起きているのか戸惑い、動揺している風であったが、優理子には百万の援軍が
到着したように思えた。
坂本との間合いを保ちながら小谷先生の傍までにじり寄った優理子は、右手に持っていた
USBスティックを彼女に委ねた。
「小谷先生、事情は後で説明するわ…これを持ってすぐに警察へ行って!」
小谷先生が出て行ったら、出入口を押さえて不良どもを釘付けにするのは容易い。
塞がっていた左手も使い両手で竹刀を握ったからには、たとえ相手が坂本でも楽勝だ。
「私もこいつらを叩きのめしてからすぐに行くから…さぁ、早く!」
しかし、小谷先生は優理子の思惑とは裏腹に部屋を出て行こうとしなかった。
「どうしたの! 早く警察へ行って頂戴!」
思わず声を荒げる優理子に奈緒が震えている姿が目に入った。
「ククク…小谷先生は警察には行かねぇよ…何せ生徒思いの良い先生だからな。」
坂本がニヤニヤ笑いながら小谷先生に手を差し出す。
そして優理子は信じられないものを見た。
優理子の傍らから離れフラフラと坂本に歩み寄った小谷先生は、やっとの思いで
取り戻したUSBスティックを坂本に返してしまったのだ。
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