店の入口の扉が静かに開いた。
(ふふ…やっぱり来たな。)
谷井はレジには入らず、その前に置いたパイプ椅子に座り、予想通りの
訪問客を待ち構えていた。
先ほどは少女の清清しさに気後れし詰めを誤った感があるが、今は余裕の
素振りで自然と卑猥な笑みが浮かんで来る。
何しろ谷井は彼女に対して絶対的な切り札を握っているのだ。
少女は谷井と目を合さないかのように無言でレジの前を通り過ぎ、
そそくさと奥の大人の玩具売り場まで進んで行った。
(おや、まずはわしのことは無視かい…まぁいいか…)
余裕の谷井は煙草に火を点け一服し、寛大な気持ちで少女を見守った。
恵理子はしばらく目を皿のように辺りを探し回ったが、当然目的のものは
見つかるはずもない。
床はもちろん棚の隙間や陳列棚の上まで覗き込んでも大切な生徒手帳は
見当たらない。
谷井には恵理子が落胆していく様子が手に取るように分かった。
途方に暮れた恵理子が伏目がちの目で谷井の方をチラチラ見始める。
(そろそろ気がついたかな?)
谷井は煙草を灰皿に押し付けて、おもむろに声を掛けた。
「お嬢さん、何かお困りかな?」
思い詰めた表情の恵理子は、ビクッと肩を揺らし、俯いたまま
しぼり出すような声で谷井に尋ねた。
「あ、あの…私…落し物をしたみたいで…
その…何か落ちていませんでしたか…?」
「ほぉ…落し物ねぇ…何も無かったと思うがな…
一体何を落としたんです…?」
「い、いえ…何も無かったなら結構です…
あ、ありがとうございました…」
落ち着きなくその場から逃げ出そうとする恵理子に谷井は続けた。
「まぁ、そんなに慌てなくても…もっとゆっくりして行きなさいよ。
…ねぇ、深沢恵理子さん。」
名前を呼ばれて振り返った恵理子の頬はみるみる内に紅潮する。
「やっぱり、やっぱり拾ったんですね…私の生徒手帳…
返して! 返してください…」
恵理子は谷井の前まで引き返し、感情的に声を高めてしまう。
「まあそんなに怖い顔をしなさんな…暴行魔のお嬢ちゃん。」
「暴行魔…?」
「そう…さっきあんたに突き飛ばされた時に腰を打ってねぇ…
痛くて痛くてたまらんよ。」
「そんな…あれはあなたが私の腕を掴んだから…」
「手が触れたくらいでわしを突き飛ばした上、無抵抗な老人を何度もバッグで
叩くのかい?」
「ち、違う…私、怖くて…」
思わぬ言いがかりに恵理子は言葉が詰まった。
谷井は話すのも無駄とばかりに恵理子を突き放す。
「はぁ…まだとぼけるつもりかね。素直に謝ってくれれば穏便に済まそうと思ったけど、
仕方ない、後は警察の判断に任せようかねぇ。」
「け、警察…!?」
「一部始終はレジの防犯ビデオに映ってるから、証拠として提出させてもらうよ。」
防犯カメラと言うのは全くの嘘だった。
まして警察沙汰になって困るのは谷井の方だ。
しかし恵理子の顔は警察と聞いてはっきりと動揺が表れている。
「名門・光教学院の女生徒がアダルトショップなんかに出入りして、無抵抗の老人に
暴力を振るったなんて、一発で退学モノだよねぇ…
しかも防犯ビデオにはあんたがエロDVDやバイブにうっとりしてるところも
しっかり映ってるから、まっとうな人生は歩めなくなっちまうぞぉ。」
老獪な谷井には世間知らずの女子高生を言いくるめるのは赤子の手を捻るより簡単だ。
あぁ…痛い、痛いと今にも泣き出しそうな恵理子の前で大げさな身振りで腰をさする。
「…あ、あの…ご、ごめんなさい、本当にごめんなさい。」
呆然と佇んでいた恵理子が突然谷井に頭を下げた。
もともと白かった顔色が紅潮した後、今はすっかり青ざめている。
(いける…!)と谷井はほくそえんだ。
「今更謝られてもねぇ…
早くお家に帰って弁護士の手配でもした方が良いんじゃないの?」
「こ、困るんです…警察にだけは行かないで…」
恵理子には警察なんて交通安全以外無縁の存在だったし、犯罪者扱いされるのも
初めての経験だった。
実際、目の前の初老の小男を殴ったのは事実だったし、こんな恥ずかしいお店に
行ったことを他人に知られたくない。
恵理子の頬に涙が伝った。
「ぐふふ…あんたが心から反省して謝罪してくれるなら、わしも鬼じゃない。
許してやってもいいよ。
前途洋々たる恵理子ちゃんの将来を台無しにするのは忍びないからなぁ。」
谷井は俯いた恵理子の顔を覗き込むように優しく声を掛けた。
(えっ?本当に…?)
暗闇に一筋の光明が差したように、恵理子はすがるような視線を谷井に向けた。
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