続きです。
子供を育てるために、帰りが遅くなることも珍しくない毎日。それでも、子供たちのごはんや、洗濯、掃除などは、時間を見つけては、きちんとしてきました。
子供たちが遅くまで、私の帰りを待ってくれていることもありましたが、たいていは、長女が母親代わりをして、長男と一緒に寝てくれていました。遅くに疲れて帰る私にとって、たとえ会話ができなくても、そういう長女のしっかりしたところが頼もしくもあり、二人の寝顔を見るだけで、心が癒やされ、明日も頑張れる力がわいてきました。
でも、それは、私にとって都合のいい、
一人よがりな自己満足感であって、仕事にかこつけて、子供たちのことを、本当は何もわかっていなかったんだと思います。思春期を迎えた子供たちは、どんなに辛いことがあっても、心配をかけまいと、私に話したい気持ちをこらえ、自分たちで抱え、何とか乗り越えてきたのだと思います。私も、何となく子供たちが
悩んでいることがある、と感じたことはありました。でも、この子たちは利口だから…と、信じていたと言うと聞こえはいいかも知れませんが、忙しい自分を言い訳に、何かに気づいていながら、子供たちを放っていただけでした。
長女が中学校へ通い始めるようになり、
次第にすれ違いが起こり始め、長女と口論することも増えてきました。私は思春期だから…と都合のいい理由をつけて、
自分だけ納得していました。クラブ活動もありましたが、長女の帰りが私より遅くなったり、髪を染めり化粧もし、服装も派手になっていきました。初めのうちは、私も強い口調で、「あなたがそんなことでどうするの?」と、長女を叱りつけましたが、もう私の言うことには耳をかしません。
ある時、仕事中に、長女が通う中学校から電話がありました。要件は、長女がいじめをしている…しかも主犯格…殴る蹴る、無視、嫌がらせはもちろん、恐喝してかなりの金額を巻き上げている、とのことでした。私は仕事を早退させてもらい、学校へ向かいました。私は、あんなに利口でしっかりしていた長女が、なぜそんな馬鹿なことを…と信じられない気持ちより、裏切られた気持ちでいっぱいになり、長女に対する怒りを抑えられませんでした。
中学校へ着くと、相談室に案内されました。中には、悪びれた素振りもなく、足を投げ出し、ふんぞり返り椅子に座る長女と、5、6人の女の子がいました。私は、長女のした過ちはもちろん、反省のない居直った傍若無人ぶりに、情けなさや恥ずかしさはもちろんですが、怒りを抑えきれず、長女の髪を掴み、「あんたって子は!人間として恥ずかしくないの?いつからそんな情けない子になったの?」と怒鳴りつけ、思いっきり頬を平手打ちしました。長女は無言でしたが、
すごく鋭く冷たい目で私を睨みつけていました。長女は、今まで私に言いたいことも言えず我慢してきたこともあったでしょう。長女は言えなかったのではないのです。
『どうせ私はあんたにとって、都合よく使える奴なんでしょ?』
『あんたは私のことなんて、心配してないじゃない!あんたに迷惑かけてるから怒ってるだけなんじゃない?』
今思えば、見たことのない長女のあの眼は、私の浅はかな身勝手さを見抜いた、
それでいて私に自分の気持ちをわかってもらいたいのではなく、私に何の期待もしていないという、長女なりのサインだったのかも知れません。馬鹿な私は、
無抵抗で睨みつける長女に対して、さらに感情的になり、罵声と平手打ちを浴びせ続けました。何を言ったかは、全く覚えていません。ただ、長女に対する怒りにまかせ、大声を出し、涙を流しながら、何度も長女の顔を平手打ちしました。
それ以降、長女はいじめはもちろん、他人に迷惑がかかることは一切しなくなりました。しかしそれは、反省や改心をしたわけではなく、もっともらしいことを聖人のごとく偉そうに並べる私に耐えれなかったのでしょう。私への無視はもちろん、家で顔を合わせることが次第に減りました。
本当に改心をしなくてはならないのは私であることは、私自身が気づいていました。母親だということを理由に甘え、長女に原因を全て押し付け続けました。
私と長女の関係が悪くなり、家の中には常に張りつめた、冷たい雰囲気でいっぱいでした。馬鹿な私は、駄目な長女を引き合いに出し、中学生になった長男に期待するようになりました。長男は私の期待に必死に応えようと、勉強もクラブ活動も頑張ってくれました。ああ、この子は私の言っている意味がちゃんとわかっている…私はまた、都合のいいように解釈し、長男には期待をかけました。私が誉めると、照れくさそうにはにかむ、いかにも思春期の男の子らしさを感じていました。しかしそれは、私の想像とは全く逆で、私に対する罪悪感、地獄から救い出して欲しい…監視に気づかれないように、必死に本心を隠しながら、私に救いの手を求めるサインだったことは、その時の私には全くわかりませんでした。
※元投稿はこちら >>