誕生日、大阪のライブハウス、木曽路から飛騨へのツーリング…
と過ぎて行き、真由美が夏季休暇で帰省た時に色々と考えて覚悟を決めたようで、東京へ行くのを受けることにしたようだ。
「師匠。私、東京へ行ってみます。」
「そうか。」
「家に帰った時に友達が師匠と同じように、会社がお金を出してくれて色々経験出来るんだったら、そんなチャンスはなかなか無いんだから、もし自分で失敗だったなって思っても、行かないで後悔するより行って後悔した方がイイんじゃない?って言ってくれて… 」
「後悔先に立たずってやつだな。(笑)」
「何か悪い予言をされてるような気がしないでも無いんですけど。(笑)」なんて、真由美から報告を受けた。
月日が過ぎ、段々と真由美が旅立つ時が近付いてくる。
「師匠。私にはまだ解らないんですけど、師匠は東京に何があると思いますか?」
「東京なんて何でもあるだろ。でも、俺が1番思うのは数なんだよな。」
「数?」
「そう。塵も積もれば山となる じゃ無いけど、やっぱり東京は数なんだよな。」
「まぁ、人は多いですからね。」
「兄ちゃんの仕事でもそうだけど、この辺でやったところで、たかが知れてる。」
「ですかね。」
「 だけど、東京だと先ずはそこそこの数が出る。そうすると、周りに広まり段々と輪が広がって行く。」
「そうですね。」
「まぁ、水に石を投げた時の波紋と同じようなもんで、最初に投げる石が軽いと直ぐ消えてしまうけど、いかに波紋が消えないような重い石を投げられるかだな。」
「数か… 確かにそうですね。」
「100人のライブ100回するのと、1万人のライブ1回するのと同じだ。(笑)」
「1回1万人を100回出来たら凄いんですけどね。(笑)」
「それを探すチャンスが転がってるのも東京だ。(笑)」
「私に探せますかね?」
「大丈夫だよ。(笑) 1万人のライブで思い出したけど、あの人が世界で初めて1人で1万人に囲まれてライブやった時に、ギターとアンプを無線で繋ぐとか、マイクのヘッドセットだとか色々模索して成功させた。それが今では普及して世界中でセンターステージが当たり前のように行われてるんだから、業界への貢献度って凄いもんだと思うな。(笑)」
「波紋が消えない石か… 」
「ハーモニカのホルダーだって使い勝手が悪かったのを、今のように世界中で使われているように考案してメーカーに作って貰ったらしいからな。」
「へぇ~、そうなんですか。」
「特許を取っとけばどうなってたんだろう?って本人が笑ってるってのが凄いんだけどな。(笑)」
「そんな石が転がってるかなぁ?(笑)」
「転がってるのを拾うだけじゃダメだぞ。それを磨くのが大事なんだからな。(笑)」
いよいよ、真由美が旅立つ。会社の送別会、「F」でのプチお別れ会なんてのをして、新たな生活へ向かって行った。
そこからが驚きだったが、弁当の配達に独居老人の安否確認を売り込み文句にして地方部での契約数を増やしたり、レンジで温める際に漬物やサラダ等の冷たい物は温まらない仕切りを作ったり、弁当の容器を改良して押し寿司では無いけど、ハート型のおにぎりが作れる容器なんてのを考案して売り出したり等と、僅か1年で兄ちゃん所の事業本部長にまでなった。(まぁ、兄ちゃんが社長になったってのもあったんだけれど、何よりも真
由美の若さと女性目線、発想力ってのが会社にとって大きかったようだ。)
ある時は、新たな顧客獲得の為に夜の商売をしてる人にリサーチをかけ、そんな中ひょんなことからネイルってモノに着目して携帯のデコレーションってのに応用する事を思いつき、小さなスパンコールや鋲なんかを作って売り出し、それが携帯の普及と重なって、オリジナルの飾りをしたい若者に注目されてかなり売上げがあったそうだ。
また別の話しでは真由美が食品サンプルを作ってる会社へ行った時に寿司のサンプルを見て
「海外の人って、日本って言うと寿司、侍、芸者って言うぐらいに好きですから、コレをお土産に持たせてみるのも面白いかもですね… 」って言ったのがきっかけで、そこの会社がやってみたら本当に売れたようで、そこから工場見学が増え、製造体験なんてのも出来たらしい。
ある日、真由美が連絡して来た。
「師匠。先週ゴールデン街に行って来たんですけど、ラーメン屋さんが出来ました。(笑)」
「串カツじゃ無くて、真由美の言ってたラーメン屋か。」
「でも、師匠の言ってた串カツはアチコチでチェーン展開してます。やっぱり師匠の見てる先の方が大きいです。」
「何言ってるの、色々やってるのは聞いてるぞ。もうすぐ兄ちゃん抜かして社長にでもなるんじゃないか。(笑)」
「いえいえ、それはありませんけど。ゴールデン街のお姉さんが、久しぶりに師匠に会いたいって言ってましたよ。(笑)」
「おっ、出会ったの?何回か行ってるけど、あれから出会ってないもんなぁ。」
「この前誘って貰った時は行けなかったんで、今度は一緒に行きたいですね。(笑)」
「そうだな。(笑) そう言えばな、今度は赤坂のライブハウスで演るっていってたぞ。」
「赤坂ですか。」
「まぁ、大きさは江古田より狭くなるって言ってたけどな。」
「そんな所あるんですね。赤坂なら私の居る所からでもそこそこ近いですね。(笑)」
「で、本題は?」
「あっ、そうだ。師匠のことですから、来年の桜○は行くんでしょ。」
「あぁ、当然な。」
「私も行きたい。」
「俺は5日間休むぜ。」
「えぇっ、5日もですか?」
「だって、せっかく行くのにゆっくりしたいじゃん。」
「まぁ、そうなんですけど… 」と、仕事の件では無く翌年の大きなLIVEの話だった。(笑)
翌年、夏のLIVE当日。桜○フェリーやシャトルバスの発着場から特設会場まで歩いて向かうのだが、その手前ではグッズの販売や記念本の写真撮影。
ツアーでもないのにLIVEのラッピングがされたトラックが置いてあり、記念撮影等で人が溢れかえってる。
「師匠、これは凄いですね。」
「ホントだなぁ。」
真由美と連絡を取り、正月明けから色々と考えて、此処までやって来た。
前日に大阪から飛行機で宮崎へ入り、母ちゃんの従姉妹の居る町のホテルまで移動。
チョッと手土産を持って来たので酒蔵まで挨拶に行く。
友達と行くって言ってたので、女の子と行ったら驚いてたがファン仲間だと分かって
「こんな田舎までようこそ。」と笑っていた。
当日必要な飲食物の買い出しと冷凍等の準備。町に小さな飲み屋街があるので前夜祭と称して晩御飯と少し飲み歩きをした。
朝、その町から鹿児島のフェリー乗り場が近いので電車で移動。
そこから発着のシャトルバスを予約しておいたので、会場までやって来た。
明日はLIVEが終わったら逆の順でまた宮崎の田舎町まで戻り、そこの温泉に入ってゆっくり1泊して、翌日に飛行機で帰る予定だ。
ツアーで取ると高くて結構キツ目の旅程だし、個人で取るにしても鹿児島は飛行機もホテルも厳しそうだったので、大阪から宮崎入りの移動を考えた。(もう1日は、疲れを癒す本当の休日だ。)
到着後、グッズで欲しい物があったので、買いに行ったら限定数がありギリギリだった。
(後にオークションで十数倍の値段が付いていた。)
会場方面へ向かうと、チケットのアルファベットでゲートが区分けされていて途中で並ぶ事に…
入場まで4時間近く此処で待機になる。
「師匠。言ってたように色々と用意しといて正解でしたね。(笑)」
「まぁ、想定はしてたけど、これ程までとはな。あと心配なのはトイレだけだな。」
って、俺のリュックには簡易の三脚椅子にビニールシート、雨具、タオルにシャツ、真由美の日焼け対策グッズ等々。
真由美は例の(真由美考案の)背負子で保冷や冷凍した飲食物を持って来た。
周りを見ると、重たいのに大きなクーラーボックスを持って来てる人や、そうかと思えば軽く考えてギター1本で来てるのも居る。
中にはパイプ椅子を持って来ている奴なんてのも居た。(色々居るなぁ。)なんて思ってると、上空にヘリコプターが飛んで来た。
テレビ局がニュースやワイドショーなんかに取り上げるのに撮影に来たようだ。
確かに、この並んでる列にも新聞や雑誌に載せるのかインタビューや撮影をしてる人達が居た。
「師匠。こんなのに映ったら大変ですね。」
「何で?」
「だって、私と来てるのバレるじゃ無いですか。」
「同じファン仲間だから一緒に来てたって別にイイじゃん。」
「でも、奥さんとか… 」
「ファン仲間と行くとは言ってあるけど、男とか女は言ってないし、別に会社だって同じアーティストのファンで一緒に行ったぐらいで目くじら立て無いよ。」
「そうですかねぇ… 」
「そんなもんにイチイチ文句言われてたら逆にキレてやるさ。(笑)」
「じゃ、大丈夫か。(笑)」と言って、真由美が周りの人達と一緒にヘリのカメラに向かって手を振ってた。
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