めくるめく官能世界に程遠く
欄外余白:英語力は何のため
りょうには忘れられない一つの思い出がある。
大学に入りたての頃、好奇心からインターネット上の外国人と日本人(主に女性)が英
語でコミュニケートするフォーラムサイトを覗いたときのこと、一人の若い外人女性が
三十三間堂の或る仏像の名前を知りたいと訊ねていた。
英語に堪能な日本人女性の誰も答えようとはしなかった、答えようとしなかったのでな
い、誰もその仏像を知らなかったのだ。
その若い外人女性は三十三間堂中央入口から向かって左側の像といい、マリア像に重ね
合わせて慈愛の印象を持ったという。
りょうは修学旅行で、八方目の目をしたその仏像に出会っていた。
お堂のどこにいても見られているようで、心のうちを見透かされているように思えてな
らない鮮明な記憶があった。
それほどにその像は厳粛な気高さを持っていた。
骨と皮ばかりにやせ細ったその女性の像は摩和羅女(まわらにょ)。
観音菩薩の眷族(けんぞく、血がつながている親族)の一人で、二十八部衆(観音信仰
信者を守護する者)の一人。
日頃英語など使わないから、機械翻訳のたどたどしい英語で彼女に自分の記憶を説明した。
えらく感動され、もっと知りたいので友達になって欲しいと言われたけれども、新渡戸
稲造のように英語に堪能でもないし、本意が伝わらずに間違った印象を持たれても困る
ので丁重にお断りした。
日本の女性が飛びつき好んで英語で応答するのは、新宿がどうの、原宿、六本木がどう
の、果ては「嵐」がどうのと、女性雑誌まがい話題ばかりで、せっかく堪能な英語力が
ありながら、日本文化の奥深さを伝える素地もないのだろうかと悲しくなってしまった。
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