めくるめく官能世界に程遠く 前途は多難、それもまた楽しからずや
若造をおもんばかってだろうけれど、ご主人と二人だけで密会したらしいと、美熟女の知
り友がわざわざ教えに来た。
密会と言われると、正直、心穏やかではないけれど、話には尾ひれが付き物、ゴシップ紛
いのことになると、俄然、頭の回転が速くなる女性の言葉に一々気を揉んでも、心身を擦
り減らすだけ。
別居とはいえ、ご夫婦には間違いはなく、込み入った話を聞かされても、あまり楽しくな
いし、直接本人の口から云われるまでは、見ざる聞かざる言わざるに徹しようと決めた。
(それでよい、少しは成長したか)
「ちょっと、聞いた?ご主人の車に乗ってたんですって、あなた、奥さんと付き合てっる
んでしょ、のほほんとしていいの?、気をつけなさいよ」と、知り友のお仲間まで。
「はあ、どうも、ありがとうございます、気をつけます」
何に気を付ければいいのだろう、美熟女に?ご主人に?それとも不倫を?
(その全部と思え)
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「ねえ、耳に入ってるんでしょ、あの人とのこと」
「えっ、ああ、うん、聞いたよ」
「どうして訊ねてくださらないの、知りたくないの」
「ご主人のことは、事情をよく分からないし、何とも言えないからね。大事なことなら話
してくれると信じてる」
「そうだったのね、あーよかった、私はまた、つまらない女に思われたんじゃないかって、
怖かったわ」
「つまらない?冗談でしょ」
「だってー」
「だってもあさってもなーいーの、どこにいても一心同体だよ、仮にそんなふうに思うな
ら、世界一素敵な人を好きになった僕はどうなるさ、つまらない女を選んだ大バカになる
わけ」
「そんな」
「だからね、先ずはそういう自虐は捨てて、自分を大事にしてくれないと」
「分かったわ、ごめんなさい」
「分かればよろしい、えっへん」
「まっ、うふ」
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「それで、あらためて訊くけど、ご主人のことは、どうするの、離婚するのしないの」
「もちろん、離婚よ、調停が終われば、全てすっきりするわ」
「そう、僕はそれだけ知れば十分、あと他には」
「あの人ったらね、見違えるほどいい女になったな、今迄のことは謝る、酒も絶つ、手を
あげるのも無しにする、だから元の鞘に収まろうぜ、なんて言いながらラブホまで連れ込
もうとするのよ、もう最低な男、呆れ果てたわ、だから言ってやったの、彼のおかげよ、
勘違いしないで、あなたとはもう関係ないし、二度と顔も見たくないからって」
(ははーん、それでか、酒が飲めないと聞いて安心したのは)
「へえ、すごいね、ご主人のことを初めて聞いた、その場をちょっぴり見てみたかった気
も」「やめて、思い出すだけでも嫌、気分がわるくなるわ」
「でも、更にいい女になっているのは事実だよ、滅多にいない魅力的な女性だからね、ご
主人、ダイヤとガラスの違いが判らなかったんだと思う、多分」
「あなただけよ、そんなこと言う人、学歴ないし、仕事もミスが多くてしょっちゅう迷惑
掛けてるし」
「そんな学歴とか、仕事とかで魅力を測れるなら、女性はいらないよ、有能なセックスロ
ボットを愛せばいい」
「あなたって、ほんと変わってるのね」
「そうかな」「そうよ、私なんか選んで、滅多にいない魅力的で素敵なおバカさんだわ」
「喜んでいいんだか、悲しんでいいんだか」「あはは」
「研究室に置き忘れた実験データファイルに挟んであった写真を見て、研究室の連中が、
いい女だと騒いでいたよ、付き合いたいから姉貴を紹介しろというのもいたし」
「ま、写真を持ち歩いているの、恥ずかしいわ」
「冗談に、俺ちょっとシコってくる、なんてのもね、はは」
「まあ、どうしましょう、顔を合わせられないわね」
「内外両面共、丹精込めて磨けるテクの男が相手なら、もっといい女になれるはずだよ」
(おい、余計なことを言うな、自分がゴミ箱行きになったらどうすんだ)
胸の中で小さくなって、こうべを垂れ、涙を床にポトポト落とした。
「イヤよ、あなたがいいの」
「余計なこと言ってしまって、ごめん」
「お願いだから不安がらせないで」
独り我慢に我慢を重ねて生きて来た美熟女に、必要とされてるのは自分なのだ実感。
「離さないから、離れないように」
泣き止むまで呪文のように唱え、小刻みに振るえる両肩をずっと抱き締めていた。
(山あり谷あり、前途は多難、それもまた楽しからずや)
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