めくるめく官能世界に程遠く
夜中の10時過ぎ、まゆみの知り友さんが、酒のニオイをぷんぷんさせて泣きながらやっ
て来た。
以前、りょうを試食に招いた料理教室の主婦。
まゆみは、当時、試食に誘われたことをりょうから聞かされずにいて、孤立したような
寂しさからひどく落ち込み、憤まんやるかたなかったものの、大人の女性らしく冷静に振
舞おうと、平静を装い、言いそびれたりょうの謝罪を受け入れていた。
まゆみは、元々、料理教室を通して旨味も深みも物足りない国籍不明の創作料理を広める
主婦に、あまりよい印象を持ってはいなかった。
ハンバーガーで育った味音痴の若い主婦や男性が美味しい美味しいと褒めそやすのは勝手、
しかし、同じ若くても母親譲りの舌を持つりょうにだけは、料理教室の主婦の料理をはっ
きり不味いと言って欲しかったけれど、りょうが主婦の料理に批評めいた言葉を発しない
のが、彼の年上の女性への優しさの表れと理解していただけに、辛く、
男女関係や金銭トラブルの噂もある主婦に、りょうが近付かないよう促しても、りょうに
は話半分に受け流されて、当時のまゆみは余計に心を痛めていた。
その天敵にも似た主婦が我が家の玄関に・・・・まゆみは我が目を疑った。
暫くして、これまた酒のニオイがひどいご主人が駆けつけた。
奥さまを見つけるや、怒りに震え、拳を握りしめ、大声で喚き散らした。
奥さまの髪を掴み、拳を頭上に振り降ろした。
りょうは、堅い頭蓋骨を2度3度殴ったご主人の手の方を心配し、同時に、ご主人が奥さま
を真に憎んではおられないと確信した。
ご主人が奥さまを引きずって外へ出ようとしたので制止、
「ここは私達の家、彼女は我が家の大事なゲストです。貴方が誰であろうと、彼女を無理
やりこの家から引きずり出す権利も自由も貴方にはない、お引き取りを」
やめればよいものを、ご主人がりょうの胸ぐらを掴んだので、これ幸い、宙に飛ばして玄
関先でうつ伏せにねじ伏せた。
「うぐっ、てめえー、クキッ、フギャー」、彼の腕が脱臼したかもしれないと思ったけれ
ど、自宅に押し入った暴漢への正当防衛の範囲内と妙に納得。
「住居侵入、暴行、脅迫、まゆさん、警察、110番」
「はい」、まゆみが電話しようとすると、
「やめてください、お願いですからやめて」、我が家にやってきた料理教室の主婦だった。
主婦に寄り添うまゆみがりょうを見ながら頷いた。
そんな虫けら絶たんでしまえ、とは、どうやら言っていないようなので、手腕を離して間
合いを開け、傘立てに立てかけてあった10ポンドハンマーの柄を引き抜き、急迫不正の侵
害に備えた。
奥さまに抱きかかえられてご帰宅されたご主人の後ろ姿が何とも哀愁をそそった。
奥さまが再度来宅された。
「ごめんなさい、警察沙汰にしたくなかったものですから」
「ご家庭のご事情をお聞かせ願っても、私達には何の益にもなりません、お訊きしたいの
は何故、我が家に夜更け来られたのか、それだけです」
「まゆみさんの家が一番来やすかったから」
まゆみとりょうは顔を見合わせ、首を傾げたけれど、夜中の酔っ払いを相手にしても無駄
と、りょうが樫の木片手に夜更けの道を自宅まで送った。
人騒がせな一夜に、どっと疲れ、風呂場でふたりしてこっくりさん。
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