「ちょっと琥珀ー?早く来なさいよ」
客室のドアで、母が苛立った声で呼んでいる。
「待って、もー少し!あっ、先行ってていいからっ」
琥珀は鏡に映る自分の姿を見つめて、ああでもない、こうでもないと、セミロングの髪をいじくっている。
「お姉ちゃんどうしたんだろ。いつもはボッサボサのくせにね。」
「さあ?朝ごはん食べに行くだけなのに。何気合い入れてんのやら。」
昨夜はあまり眠れなかった。
目を閉じると城太郎の笑顔や、浴衣からのぞく首筋を思い出して、なかなか寝付けなかった。
琥珀はあんなにきれいな男の子に会ったのは初めてだった。
からかいや冗談なしで話しかけてくる男子というのも周りにいなかった。
城太郎の美しい外見と大人びた神秘的な雰囲気は、あのほんの数分で、琥珀の心を虜にしてしまったのだった。
朝食を取る大広間には、きっと城太郎もいるはずだ。
そう思うとボサボサの髪で行くわけにはいかない。
琥珀は鏡の中の冴えない自分の姿に、ため息をついた。
白い肌にセミロングの黒髪。
化粧っ毛のない顔は確かに目立つような美少女ではないけれど、琥珀は黒目がちな印象的な瞳をしていた。
本人は気づいていないけれど、磨けば光る、原石のような少女だった。
どうにか身支度を調えて大広間へ向かったけれど、城太郎の姿は見当たらなかった。
客の出入りがあるたびそわそわして落ち着かない。
彼は昨日、この旅館の客だと確かに言った。
だからまたすぐに会えるものだと、期待に胸を踊らせていたのだが、結局、城太郎が姿を表す事はなかった。
本当は、この旅館の宿泊客じゃなかったのかもしれない。
もしかしたら今日の朝早く、帰ってしまったのかも。
勇気を出して、アドレスとか聞いておけばよかったな。
1日中、頭の中は城太郎でいっぱいだった。
そして夕方、芦ノ湖観光を終えて旅館に戻ってきた時。
本館から離れをつなぐ渡り廊下で、昨日の、浴衣の少年の、後ろ姿を見つけた。
「城太郎君!」
城太郎が振り替える。
思わず声をかけてしまってから、琥珀は我に返った。
話しかけてみたはいいけれど、どうしたらいいのだろう。
昨日のささいな出来事なんて、城太郎は忘れてしまっているかもしれないのに。
「琥珀、ちゃん。どうしたの?」
「あっ、朝ごはんの時、大広間にいなかったから…」
とっさに言って、後悔。
これでは1日中城太郎のことを考えていたことを、見透かされてしまう。
城太郎は微笑んで、渡り廊下の先を指差した。
「俺が泊まっているのはこの先の離れなんだ。
ご飯も部屋出し。」
「へー!すごいね。セレブだね!」
無邪気な反応に城太郎はクスクスと笑いながら、言った。
「離れ、見てみたい?おいでよ。ちょうど琥珀ちゃんに見せたいものがあるんだ。」
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