年号が平成から令和へと移り変わったように時は進み、卓は少年から成人へと歳を重ねて数年が経っていた。
自分に教えを与えてくれたお姉さん達、夜の蝶たちは半数以上が入れ替わり、情事を躱し続けてきた女性歯科医との関係も潮が引くように解消を迎えて久しい。
卓のセックスに対する観念は相変わらず揺るぎがなく、今日もほとんど日課のようになってしまっている人間ウォッチングを、混み合う電車内で続ける。
性的欲求が満たされない女性というのは、匂いで分かる。具体的に特有の体臭がするというのではなく、その女性が発する目に見えない何かを受信するという感覚だろうか。
もちろん年齢に関係なく生理周期によるファロモンの変化は否めないが、慢性的、特に性の経験値の高い中年女性の欲求は目を見張る物がある。
それは非常に凄まじく、恐らく本人が自覚している以上であることを気付いてもいない。
冷えた夫婦関係、今さら相手にするには気持ちが乗らないとか離婚を経験したとか、そもそも婚姻経験がないままに年齢を重ねてきた女性も珍しくない。今宵も卓の目に叶った女性が吊り革を掴みながら、電車の揺れに身を任せていた。
扉から中へ移動して端から3番目辺りの吊り革だろうか、きちんとした濃い灰色のスカートスーツを着こなし、髪の毛も後で纏めている。やや疲労を横顔に張り付かせ、タイトスカートに皺が出来てしまっている。
1日の疲れを体に滲ませているが、滲み出ているのはそれだけではないようだ。慢性的に抱えてしまっている性的欲求に慣れすぎて、もはや本人も気付いていないのかもしれない。
卓はさり気なく彼女の背後に立ち、体を近づけていった。誰だって体を密着されたとしたら、愉快ではいられない。それが愛する相手ではないのなら、尚更である。卓は下半身を少し浮かせ、できるだけ押し付けないように、不快感を最小限にすることを心掛け、体温だけを伝えていた。
自分の体に密着する相手が気になり、女性が首をひねってチラチラと卓を窺い見てくる。鼻筋が通って意思の強そうな目元、丸い額の下に綺麗な眉毛の形が知的に印象を与えている。若い頃は男性の目を引いたであろうことは想像に硬くないが、卓は年齢を重ねた姿の今のほうが、むしろ好きだと思った。
30代後半から40前半といったところか、この年頃の女性は置かれた立場や、メイクひとつで印象がガラリと変わるから分かりづらい。どちらにしても潜在的に欲していることは間違いなく、卓は自分の嗅覚で外したことがない。
女のプライドで張り巡らせていた壁が卓を確認したことでやや崩れ、前に向き直る。下半身を浮かせる対応が功を奏し、しかしながら完全には警戒心を解くまではいかない。
睫毛が長く爽やかな見た目の青年といった卓を見て、嫌悪感が薄らいだにすぎない。車両が急に揺れたことで吊り革を掴む人達は良かったけれど、それでも惰性で体が斜めに傾いてしまう。それをいいことに卓は両手で女性の腰を掴み、体をさらに密着させる。
反動で体の傾きが戻ってもそのままくっつかれ、女性はやや居心地悪そうな反応を見せる。けれど拒絶を示すまででもなく、どちらかと言えば人の目を気にした羞恥心だということを、卓は見抜いていた。
世間体を気にした羞恥心と女のプライド、自制心と自己嫌悪がせめぎ合い、干からびてひび割れた大地に雨が降り注ぐいだように、枯渇した欲求の大地に久しぶりに潤いが訪れる女性。
あんなに若い子に浮足立つ違った角度からの羞恥心に自分を抑制し、叱咤する。なぜか自分の腰に置かれた手を離してくれない疑念はあるものの、何をしてくるわけではない状況を、どう捉えればいいのかが分からない。
ただ伝わってくる体温に、年甲斐もなくドキドキさせられる自分が恥ずかしい。中間管理職の立場になって若い部下を扱っているけれど、陰で男日照りだ揶揄されていることを耳にして、ショックを受けた。もちろんおくびにも出さないけれど。
若い頃は私を取り合う男がいたくらいモテた時代だって、確かにあったのだ。女だからと舐められたくなくて仕事に没頭し、男達は去り、同期たちは次々と伴侶を手に入れていくのを見てきた……。仕事に生きるとは、こういう事なのだと気づいたときにはもう、30も半ばになっていた。
それから数年が経った今、生き遅れた自分に若い男の子と体を密着するご褒美くらいがあったとしても、罰は当たらないわよね………。
そんな言い訳を自分に述べながら、今年の秋にも39歳を迎える今井咲は、疲れを滲ませた顔の下に興奮を隠し、メイクの下の素顔の紅潮を自覚する。
きっと吊り革を掴める位置にいるわけでもなく、何かに掴まろうにも成す術がなかったのだ。ちょうど目の前に私がいて、腰に手を置くしかなかったに違いない……。無理がある持論を都合よく解釈することで自分を正当化し、今まで同じ位置から動かなかった背後にいる青年の手が、腰の横に少しだけずれただけでハッとする。
もう何年も咲が感じたことのない、興奮だった。
その手が少しづつ下へとずれて、お尻を包み込むなんて予想外である。咲は動揺を覚えながら拒絶と嫌悪、色情が入り混じった複雑な気持ちの中で息を飲む。そして、またもやハッとして顔を上げる。
じりじりとタイトスカートを摘む青年の指が生地を引き寄せ、スカートの丈が短くなっていく。
もうこれ以上は……咲がそう思ったときにスカートの裾が掴まれたことを感じ、手が侵入してくる。
今までの興奮が一気に覚め、パンストの上からお尻に触れられる気持ち悪さに身震いをする。それも最初だけで無闇やたらと這い回るような触り方ではなく、困ったことに愛撫という表現がぴったりなのだ、
卑猥な心地良ささえ感じていると、股の下に伸ばされた指が……。動かされる指にシートに座る人達の視線が気になり、思わず俯いてしまう。当たり前だが誰も気づいてはいないのだけれど、恥ずかし過ぎる。いい歳をした女が痴漢に遭い、恥部を弄られているのだから。
下着とパンストが擦れ合い、特有の布ずれ感を起こしながら的確な位置を指の腹が撫でてくる。
もうここまでくると、咲は冷静ではいられなかった。
指先を引っ掛けるように動かし、上下に撫でてはのの字を書くように軽く押し当ててくる。
少し丈の短くなったタイトスカートの前に自らの手を移し、他人の手による誤摩化ことはできない快感に、握りしめた指に力が入る。
カタンッ……カタンッカタンッ……とレースの継ぎ目を噛む車輪の音も、聞こえてはいたが認識してはいない。
減速した電車が駅へと近づく。
ホームに待ちわびた人達の姿を、咲は見ることが出来ずにいた…。
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