不快な梅雨が終わると茹だるような真夏の暑さが到来し、そのも灼熱の日々も過ぎ去った。季節はさらりとした空気の秋へと移り変わり、目についた紅葉樹であろう街路樹の葉も色付いてきた。
毎週ホットヨガに通ってくれていた彼は、ある日を堺にぱったりと姿を見せなくなってしまった。
当初は彼の身に何かがあったのだろうかと心配をしていたけれど、過ぎゆく時と共に意味のないことだと、やっと気付いた頃には肌に当たる風がもう冷たくなっていた。
あれからも彼との時を重ね、束の間の夢のような日々に何の疑いも持たなかった。けれどあれほど夢中になっていたというのに、まるで魔法が解けた気分だった。本当に何に熱を上げていたのか、熱を帯びた気持ちを冷却する今日までの時間は、自分が冷静になるには必要だったのだろう。
誰にも触れられなくなった身体も相変わらずそのプロポーションを保ち、ヨガスタジオで仕事としてその身を晒している。その姿は通って来てくれる大半の女性たちの模範となり、自分もそうありたいと願う彼女たちの憧れとなり続けている。
けれども少数の男性も参加されて、ホットヨガの本来の良さを理解してくれるのはありがたいと思っているけれど………。誠実そうなその顔の下に邪な別の顔を隠している者もいることを、杏奈は知っている。
本人は上手に隠しているつもりだが、つい出してしまうあの一瞬のいやらしい目付きだ。女はそういうことには敏感に気付き、緊張をしながらも害がない限りは仮面の下に警戒感を隠せるのだ。
うつ伏せになって両手を前につき、上半身を逆に反らすポーズは胸を強調させるから、密かに邪な気持ちを抱く者にはお誂えの餌食になる。ヨガのポーズには性的な目で見れば、普段は見ることのできない身体の部分を見せつけるものも少なくないのだ。
男がそうであるように、女の杏奈にも性欲はありる。ただ男のように、露骨に見せないだけたちが悪いのかもしれない。花と猫を愛し、杏奈の自宅には愛猫が口にしても害のない植物の鉢を飾り、休日には猫を陽様に乗せてカフェオレのカップを手に、本を読むことが癒やしの時間になっている。
結婚を避けているわけではないが、自分の年齢を考えるとひとりの時間を長く過ごしてきただけに、そのペースを乱されることに抵抗を覚えるのも事実。でも……自分を持て余す夜があるのも嫌な話、また現実だった。男のように簡単に相手を求めるのはハードルが高く、それだけのために素直になる女なのように杏奈は器用でもない。
そんなときに、彼は現れたのだった。
杏奈の気持ちを掻き乱し、身も心も彼のセックスに溺れた日々は何だったのかと、今はそう思えるほど穏やかだった。
ある日の午後、杏奈は思い立って本屋へと足を向け歩を進めていた。東京郊外のこの地には広い土地を利用した大きなガソリンスタジオや大型電気店、ショッピングモールが国道沿いに立ち並んでいる。杏奈は駐車場に仕切りのないコンビニや、飲食店などが隣接するその隣にある大型の本屋に立ち寄った。
数冊の小説を手に雑誌の並ぶコーナーを目にしながら、歩いているときだった。向こうからこちらに向かって進んでくる人を視界に捉えていたが、すれ違うだけの十分なスペースはある。ぶつからない自身はあったのに、身体を避ける杏奈の方へ相手が寄ってきたのだ。
棚に並ぶ雑誌を物色するのに余念がなないのか、その相手はぶつかる直前になって初めて気付いたように立ち止まった。杏奈も同様に立ち止まり、やや困惑した顔を向けて相手が誰であるかを、そこで初めて気が付いた。
あの、彼だった………。
カフェでもあったらよかったけれど付近には見当たらず、仕方なく隣にあるファストフード店に入ってコーヒーを片手に向き合う2人。
元気だった……?どうしていたの……?
彼に聞きたいことはいくらでもあたったが、言葉少なに聞くのがやっと。
………うん、最近忙しくて……ちょっと顔を出せなく
て、ごめんね……
身体を重ねるだけの男女でしかなく、付き合っているわけでもないのだから謝らなくてもいいのにと、微笑を浮かべる。
年齢差のある杏奈たちは客観的にみたら、どういう関係に見えるのだろう。どこかの先輩と後輩、上司と部下、あるいは仲の良い親子とか………。
他愛のない会話で穏やかな時間が流れ、それなのに気持ちが満たされていくのを杏奈は感じた。
分かっている、所詮は恋ではなく自分の理想に恋をして、現実離れをしたセックスに身を浸して酔っていたのだ。
二回りも回りも離れた彼とそのペニスに酔いしれるなんて、どうかしていたのだ。睫毛が長いその色白の顔に笑顔を浮かべ、見詰めてくるその瞳はいつ見ても愛おしい。何を話していたのかも覚えていない、でも心が温かかった。
お尻に根っこが生えたようにその場を過ごし、いつまでも居たかったけれど、杏奈から切り出して腰を上げる。きっと彼は気を使って、自分からは切り出さないだろうから。
お店の前で小さくな手を振って、背中を向ける。
もう彼は二度とその顔を、自分の前には見せないだろう。一抹の寂しさを胸に抱き、歩き出す。
その時だった……。
手首を掴まれて振り向くと、杏奈と同じように寂しそうな表情をした彼がいたのだ。
もう……駄目だった。
自宅に招き入れたかったが、やめにした。
彼の残り香を色濃くベッドに残されても、それは辛くなるだけだから………。
顔を向けた先にトイレがあった。
同じ広い敷地に隣接するドラッグストアの併設したトイレは、建物から離れた位置に独立して存在していた。田舎以上で都会未満のこの地にふさわしく、駐車場から目隠しをするように入口を示す小さな看板を除いて、周囲を垣根が覆っている。
おかしな話だけれど、手首を掴まれた瞬間に彼の手から伝わる温もりがフラッシュバックさせた。
あの時の交わりを………。
身体が条件反射をしたように疼き出したなんて笑い話にもならないが、猛烈に彼を欲してどうしようもなかったのだ。
彼と自分の気持ちに踏ん切りをつけるには、ある意味で相応しくお誂え向きの場所ではないか……。
彼も杏奈の気持ちを察し、目線の先に向かってゆっくりと歩き出した。
2人は恥ずかしげもなく指を互い違いに組んで手を繋ぎ、顔を見合わせる。
もう、迷いなんてなかった……。
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