車内には相変わらず不快な走行音が響いている。
そんななか運転士が恐縮そうな低いトーンでアナウンスを始めた。
《おやすみのところたいへん恐れ入ります。まもなく2度目の休憩を取らせて頂きます。お降りになりたいお客様がおられましたら乗務員までお声がけください》
バスはほどなくして再度パーキングエリアに停車した。
ここで千紗は先ほどの卑劣な痴漢行為を運転士に訴えることもできたが 。しかしさっきの男は通路にはみ出すように座っているし、なにより逆上した男からの報復を恐れ行動に移すことができなかった。只々、これ以上事を荒げず目的地にたどり着くことだけを祈っていた。
休憩を終えた運転士がバスに戻ってきた。今回は座席越しに見える乗客の頭をかくる数えただけで、奥まで入ってくることはなかった。
運転士は発車前に一応のアナウンスを流した。
《えー、現在約3分の2ほどの距離まで走行してまいりました。このままの予定ですと、あと2時間ほどで目的地に到着する見込みです。引き続き安全運転に勤めてまいります。それでは発車いたします》
アナウンスが終わるとバスは静かに発車した。
発車後、千紗のもとにひとりの男が静かに近づいてきた。先ほど彼女を痴漢した男とは別の痩せ型の男だった。
彼女は咄嗟に窓側に体を寄せて怪訝そうに身構える。
警戒する彼女に男は小声で優しく問いかけた。
『君、さっきあの男に何か変なことされたんじゃないのかい?』
「. . . . .」
千紗は何も答えない。
『安心しなさい、僕は弁護士なんだ』
「、、弁護士さん?」
『ああ、そうさ。何があったのか僕に話してくれないかい? 君の力になれると思うんだ』
弁護士だというその男は親身に千紗の悲痛な訴えに耳を傾けた。ときおり目頭を押さえ、彼女が受けた恥辱の行為に同情する素振りも見せた。
『そうか、、それは辛かったろうね。同じバスに乗っていながら君を助けてやれなくてほんとに申し訳なかった、、』
彼は謝罪の言葉を口にし、まるで自分の知人が犯されたかのように悔しがっている。
しかし、それはすぐに演技だと分かる。
なぜなら、千紗の話を聞いた彼の股間は大きく膨らみ、悲しむどころか彼女が受けた痴漢行為を想像して興奮していたのだ。
もちろん千紗もそれに気付いた。
「あの、、ほんとに弁護士さん?」
『あ、ああ、ほんとさ』
「じゃあ、、刑法第176条、分かりますよね?」
『ん? け、刑法? も、もちろん、、、、』
それ以降、男は黙ってしまった。
無理もない。弁護士というのは彼女に近寄るための口実に過ぎないのだから、刑法の第何条と言われても知るわけがなかった。
一方の千紗といえば法学部に通う大学生。彼女は咄嗟の機転で彼の下手な演技を見破った。
男はきっと最初の痴漢男のように千紗を弄ぶことができると考えていたのだろう。
彼は悔しそうに舌打ちをして、そそくさと自分の席へと引き返していった。
つづく
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