【33】
紗耶香との出来事があった日から二週間程が過ぎた。
紗耶香はまだ学校に出て来ない。
聡美や由美が電話しても紗耶香が出ることは無く、メールも返って来ないら
しい。
香奈はといえば、確かに心配ではあったけども、直接連絡する勇気はなく、
心の片隅では幾分かの罪悪感を感じながらも、紗耶香と会わなくて済むこと
に安堵を覚えていた。
そして、認めたくはないが、紗耶香の存在を疎ましく思う自分がいた。
香奈は再び学校に通い始め、クラスメートや部活の仲間とも何事も無かった
ように接している。
しかし、以前と比べると確かに香奈を取り巻く環境は変わっていった。
香奈は髪型も変え、薄く化粧もするようになり、スカートの丈を少しだけ短
くし、常に笑顔を絶やさないよう心掛け、よく話すようになった。
特に中村にはなるべく用事を作っては話す機会を持つようにした。
その香奈の変化が功を奏したのか、クラスメート達は香奈とよく話すように
なり、何時の間にか輪の中心になることさえあった。
特に男子達は香奈に優しくしてくれた。
香奈は変わりゆく世界の中で確かな自分の居場所を確立し、居心地の良さと
学校生活の楽しさを感じ始めていた。
それでも、香奈の憂鬱は消える事は無かった。
それは、やはり中村の事だ。
クラスの中でも中村とは一番よく話す。
部活の帰り際に一緒に帰った事だってあった。
しかし、中村は香奈との会話の中で必ず、一度だけだが紗耶香の事を話す。
どうしてるんだろうか?
このまま学校を辞めるのだろうか?
何か連絡はなかったか?
そう聞かれる度に、香奈は
「知らない」
「連絡が取れない」
と答えた。
歯がゆかった。
自分と話していても、紗耶香の事を考えて寂しそうな眼差しをする中村を見
る度、自分がその切なげな目に映っていない事を痛感し、胸を締め上げる。
そんな時、香奈は紗耶香を憎んだりもした。
勿論、その後で激しい自己嫌悪に陥り、溜め息をついては行き場のない悲し
みで胸を一杯にするのだった。
部活が終わり、着替えを済ませた香奈は由美と一緒に自転車を押しながら校
門をでた。
校門から道路へ向かう長い下り坂を自転車を押しながらチラチラと後ろを振
り返り、中村の姿を探す香奈。
その様子を由美はじっと見ていた。
「ねぇ、香奈ぁ。中村くんの事さぁ、好きなの?」
突然の由美の問いかけに香奈はドキリとして頬を赤く染めながら由美の顔を
見た。
「やっぱりかぁ~。カッコいいもんねぇ中村君。」
特に驚いた様子は無く、平然と自転車を押す由美。
「ちが・・そんな・・こと・・。」
否定する理由は無いのだが、恥ずかしくて素直に答えられない。
「別に隠さなくったっていいじゃん。誰にも言わないよぉ。っていうかさ
ぁ、最近仲良いし、よく一緒にいるじゃん?誰だって解るよぉ。叶うといい
ね。」
チラリと香奈を見るとまた前を向いて話す由美に何も答えることが出来なか
った。
『由美は知らない。
中村君が紗耶香に告白して振られたって事。
中村君は今でも紗耶香を好きだっていう事。
そして紗耶香はあたしを・・・。』
香奈は一瞬、由美に洗いざらい話してしまおうかと思った。
しかし、紗耶香の事を考えると今はまだ言うべきではないと考え、喉まで出
掛かった言葉を飲み込んだ。
坂道を下り終え、自転車に跨り漕ぎ出そうとした矢先、すぐ近くに止めてあ
った車から若い男が出てきて二人の前に立った。
「由美!なんで電話とらないんだよ!」
いきなり怒鳴りつけるように話し掛ける男。
長髪で今風のファッションに身を包むその姿は確かに人目を惹くが、香奈に
は何となく生理的に受け付けなかった。
その男の佇まいから感じる気配のようなものが、あまりに軽すぎるように思
えたからだ。
「俺何度も電話したんだぜ!何で避けてんだよ!」
その男は、自転車に跨る由美に近付くと由美の肩を掴んで大声で叫んでい
る。
『この人が・・例の由美の彼氏・・あの男の人の奥さんの浮気相手・・?』
香奈はその男と由美を見ながら、孝史の言ったことを思い出した。
「話したくないのよ。もう明宏とは会いたくないの。離してよ。」
由美は、その明宏という男を睨み付けながら驚くほど冷静に言った。
「何でだよ。何怒ってんだよ。俺寂しかったんだぜ?ずっと由美の事考えて
たのにヒデーよ!」
男は悲しそうな顔になり、由美の肩を揺らしながら言った。
「何言ってんの?他の女と逢ってたクセに。それにアンタの事よぉく解った
から嫌いになったの。だから離してよ。さ、行こ!香奈。」
由美は男の手を振り払うと香奈にそう言って自転車を走らせようとした。
「ちょ!ちょっと待てよ!誤解だって!あのオバサンちょっとおかしいんだ
よ!前のバイトで一緒だっただけだって!あんなオバサン相手にするか
よ?」
慌てて由美の自転車のハンドルを掴むと、男は早口で言い訳の様なものをし
ている。
「サイテー。やっぱりアンタって最低な男だね。もうアンタと会う気無いか
ら。」
きつい口調で言うと、由美はハンドルを掴む男の手を無理やり解いて走り出
した。
「待てよ!由美!ちくしょう!」
追おうとする男を振り切って由美は自転車を走らせていった。
香奈はそのやりとりをボーっとして見ていたが、遠のいていく由実の後ろ姿
を見て、ハッと我に返ると後を追って走り出そうとした。
その時、男が香奈を呼び止めた。
「ねぇ、君。由美の友達?アイツどうかしてるんじゃね?人の話も聞かない
でさ。」
香奈はヘラヘラと笑いながら自分を覗き込むその男の顔を上目遣いで見た。
やはり生理的に受け付けない。
この男は何かが違う。
直感的に香奈はそう思った。
男はマジマジと香奈の顔を見ている。
「君、可愛いねぇ。名前は?教えてよ。俺君みたいなコ、タイプなんだよな
ぁ。」
男はニヤニヤ笑みを浮かべながら香奈の肩に触れようと手を伸ばしてきた。
「いやっ!!」
香奈は全身に鳥肌がたち、凄まじい嫌悪感を感じて逃げるように自転車を漕
ぎ出した。
「お、おい!ちょ!アブねっ!何すんだよ!おい!待てよ!」
後ろから男の声がする。
香奈は、何故だか気持ち悪さと恐怖を感じて夢中でペダルを漕いだ。
「イヤなとこ見せちゃったねぇ。」
由美が呟いた。
「なんであんなヤツと付き合ってたんだろ。騙されたって感じだよぉ。」
自嘲するような笑みを浮かべながら香奈を見て言った。
香奈は何て言ったらいいのか解らず、困ったような笑みを返した。
由美は、香奈の表情から読み取ったのか、それ以上その事について話そうと
はせず、別れるまで部活や授業の事をひっきりなしに喋っていた。
辺りはもう真っ暗で、あの国道を過ぎると、スーパーの明かりや車のライト
があちこちを照らしていて、寂しげな冬の夜の街並みを幾分か明るくしてい
た。
「じゃあねぇ~バァイバァイ~!」
いつものように振り返らずに手を振りながら遠ざかっていく由美の姿を信号
が変わるまで眺めた後、香奈は横断歩道を渡り自転車を走らせた。
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