【23】
『俺は・・・なんてことを・・・。』
コンビニに停めた車に戻った孝史は激しい後悔に苛まされていた。
あの少女に恥辱を与えた後、走ってここまで戻ってくる間に冷静さを取り戻
した孝史は、自分のしたことの重大さに気付き頭を抱えた。
あの行為は犯罪だ。もし、少女が警察に行けば、そのうち自分は逮捕される
だろう。少女は自分の顔を見た。車だって知っている。見つかるのは時間の
問題だ。
そして何より孝史を激しい自己嫌悪に陥らせるのは、孝史が与えた少女への
恥辱は、あの少女に大きな傷を負わせたに違いない事だった。
孝史には子供がいる。
上の子は五歳の女の子だ。
あの子がもし、少女と同じくらいの歳になった時、孝史が少女に与えたよう
な恥辱を受けたならば・・・。
そう考えると孝史の胸は張り裂けそうになり、気が狂ったようにハンドルに
頭を打ち付けた。
家に帰った孝史は家の明かりが点いていない事に気がついた。
まだ9時前だ、陽子が寝るには早い。
玄関の鍵は閉まっていた。孝史は車のキーにつけた家の鍵を玄関の鍵穴に差
し込み、中へ入った。
家の中は真っ暗で、誰もいない。
キッチンにも居間にも陽子の寝室にも、二階にも、誰もいない。
『実家に行っているのだろうか・・。それとも・・・・。』
孝史は、実家に電話してみようと思い、階段を降りて居間に行き受話器を取
ろうとした。
『あれ?留守電が入ってる。』
電話機の留守ボタンが赤く点滅している。
留守電を聞こうとボタンに指を伸ばした瞬間、呼び出し音が鳴った。
「・・・もしもし、本田ですけど・・。」
孝史は受話器を取り無表情に言った。
「あーもしもし、東浜警察署ですが・・。」
『・・警察!!まさか・・・もうバレたのか!?』
孝史の心臓は口から飛び出しそうな勢いで動きだし、受話器を持つ手が震え
ている。
「あのー、御主人でしょうか?」
『やっぱり!!・・もうお終いだ・・逃げられない・・。』
孝史は観念して答えた。「はい・・わたし・・ですが。」
「あー良かった。ご帰宅されましたか。いやー昼間からずっと掛けてたんで
すよ。」
電話の向こうで警察官は安堵の声を出している。
『・・昼間?何かおかしい。なんのことだ?さっきの少女の事じゃ無いの
か?』
孝史は疑問に思い、それとともに多少の安堵を感じた。
が、警察が一体なんの用事なのだろうと新たな不安が頭をよぎった。
「実はですね。奥さんがちょっとした傷害事件を起こされましてね。御主人
に連絡を取りたかったのですが、奥さんが御主人の携帯や勤め先を教えてく
れないんですよ。いや、勤め先ぐらいは調べればわかるんですがね。電話す
るのはあんまり良くないと判断しましてね。御主人が帰宅されるのを待って
たんですよ。それで・・申し訳ありませんが、ちょっとこちらまで来ていた
だけませんか。」
『・・なにを言っているのだろう・・・?』
孝史にはこの警察官が言っている事が理解できなかった。
『傷害事件?陽子が?なんで?どういう事だ?』
孝史は混乱し、受話器の向こうの警察官に聞いた。
「ちょっと待って下さい!一体何が・・陽子が何をしたんです!?」
「ああ。すみません。うまく説明できませんでしたか。えーとですね、電話
ではちょっとアレなんですが、まあ、つまりですね、奥さんが女の子を殴っ
ちゃったんですよ。で、通報を受けた我々が保護したんです。あとは、署の
方で説明しますので。」
「・・はい。解りました。今から伺います。」
孝史には信じられなかった。
なぜ陽子が人を殴ったりしなきゃならない?
女の子?なんで女の子を殴るんだ?仕事のトラブルか?
孝史は次々に湧き出てくる疑問を抱えながら警察署に向かった。
「あー本田さん、すいませんね。わざわざご足労願いまして。」
受付で待っていた孝史を眼鏡を掛けた中年のやや小太りの警官が出迎えた。
警官は、孝史を応接用のテーブルに案内し、分厚いパイプファイルと何枚か
の書類を置いて座った。
「一体何をやったんでしょうか。」
「えー。ちょっと事情が複雑なんですが、私共が調べた分でご説明します
ね。どうぞお掛けになってください。」
警察官は立ったままの孝史に座るよう促した。
「えー、まず事件の経緯を説明します。本日午前10時40分頃、東浜町渕
上のコーポ東浜の住人から通報がありまして、現場に行ったところ、このア
パートに住む神村明宏さんの部屋で奥様と白坂由美さんという16歳の少女
が揉み合いになっておりまして、駆けつけた警察官に保護されました。事情
を聞きますと、奥様が神村さんの部屋を伺った際に、白坂さんが部屋にいる
のを見て口論となり奥様が掴みかかったらしく、少女の顔に全治一週間の怪
我を負わせたということで署に同行願いました。以上がこれまでの経緯で
す。」
淡々と話す警察官の説明を聞いた孝史は、しばらく言葉が出なかった。
警察官は孝史が落ち着くのを待つように黙って孝史を見ている。
「あの・・それで、相手の女の子は・・。」
孝史は多少落ち着きを取り戻し顔を上げると恐る恐る聞いた。
「昼間の内に親御さんが迎えに見えられました。何でも友達の家に泊まると
言って昨日から家に帰ってなかったそうです。それと、まあ事情が事情なだ
けに大事にしたくないと言う親御さんの意向で、今のところ告訴や慰謝料の
問題は無いようです。」
「そう・・ですか・・。それで・・陽子は・・。」
「別室でお待ち頂いています。一応今回は被害者の方の意向も御座います
し、事件性も無いですから調書だけとらせて頂いて、後は帰られて結構です
ので。」
「そうですか・・。どうも御迷惑をお掛けしました。」
「いえ、私共は仕事ですから。それより御主人、気を落とさないよう。」
警察官の言葉に胸が締め付けられた。
これまで陽子の浮気の件で結論を出せずに悶々とした日々を送っていたが、
まさかこういう形の結末になるとは思いもしなかった。
別室にいた陽子は別の警官に連れられて出てきた。
俯き、肩を揺すって泣いている。
陽子は、顔を上げ真っ赤に腫らした目で孝史を見ると、また俯き嗚咽をもら
した。
「子供達は・・?」
孝史は肩を揺らし涙を流す陽子を見ながら小さな声で聞いた。
「実家に・・・あなた・・ごめんなさい・・。」
陽子は俯いたまま答えた。
「もう・・いい・・帰ろう。」
孝史は警官に頭を下げると陽子の背中を軽く押して警察署を出た。
家に帰る車の中でも陽子は泣き続けた。
孝史は黙って運転しながら、二つの決断をした。
一つは、もう一度陽子と話し合い、子供達が大きくなるまでは離婚はしない
こと。
もう一つは、これは孝史の人生を左右しかねない決断だが、あの少女を探し
出し謝罪すること。その結果、社会的な責任をとらねばならなくても、甘ん
じて受けること。
もう、全てを解決し陰鬱な気持ちを晴らして生きていきたい。
孝史は、窓の外に見える街の景色を見ながら覚悟を決めた・・・。
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