【22】
香奈は、薄暗い空間をただ呆然と見ていた。
髪は乱れ、ブレザーは肩からずれ落ち、ネクタイは辛うじて首から垂れ下が
り、シャツははだけて中から白い胸元と下着が覗いている。
座り込んだ床と股間や太股の間には生暖かいヌメリがあり、それは段々と冷
たくなってきた。
『なんで・・どうして・・・なに?・・なんなの・・?』
何故こんな目に遭わなければいけないのか?
自業自得なのか?
あの男の自慰を覗いたから?
だから体を触られたのか?
だからこんな恥辱を受けたのか?
ちがう。
理由なんて多分無い。
自分はただ単に、ただ単純に、痴漢されたのだ。
香奈は自分の身に起こった出来事を恐怖と嫌悪感で混乱しながら考えた。
放心していた香奈の意識は少しずつ現実に戻り始め、それに比例するように
深い悲しみと悔しさが沸々と沸いてきた。
『そうだ・・・あたしは痴漢されたんだ・・・あの男の人から・・体
を・・・。』
不思議と涙は出なかった。
それは、最後の一線を越えずに済んだ事と、男から解放された安堵感の為だ
ろう。
香奈は、鞄からティッシュを取り出すと静かに立ち上がり、スカートを脱い
で唇を噛み締めながら精液を拭き取った。
下着は脱いだ。精液を拭き取っても、それが付着していた事に嫌悪を抱いた
為だ。
スカートを履き直し、部活の短パンを履いてからシャツのボタンをとめ、ネ
クタイを直し、髪を整え、荷物を持って薄暗い小屋を出ると、しんと静まり
返った夜道を急ぎ足で歩き始めた。
家に帰った香奈は、すぐに風呂に入り、肌を削り取るように丹念に洗った。
台所のテーブルの上に夕食が用意されていたが、食べなかった。食べたくな
かった。食欲なんて沸くはずがない。
自分の部屋に入ると、ロフトに上がり布団に潜り込んだ。
通夜から帰ってきた両親にどうしたのかと心配されたが、
「何でもない。疲れただけ。」
と言って追い返した。
ホントの事を言えなかった。言えば警察沙汰になるだろうし、とても恥ずか
しくて言えない。
『ああ・・・こうやってレイプされた人達は泣き寝入りするのか・・・。』
ふと、そんな事を思った。
ネットや本や兄のAVでレイプ物を見たことがある。だが、あれは芝居だと簡
単に解る。確かに、そういうシーンを見ながら、妄想しながらオナニーした
事はある。だが、まさか、まさか現実に自分が襲われるなど考えたこともな
かった。
『自分はまだマシだっのかも知れない。あの状況なら犯されたっておかしく
なかった。』
そう思ったが、それは香奈の心の傷を癒やす程の効果はなかった。
今まで誰にも触られたことなど無い。
いつかは好きな人が出来て、そのうちセックスをする事になるのだろうと漠
然とイメージをしていたが、まさかこんな形で他人に触られる事になるなん
て予想もしなかった。
香奈の体には、まだあの男の指と熱く固いペニスの感触が残っていた。
その感覚を嫌悪した。
汚いものを塗りつけられたような気がして一刻も早く忘れたかった。
『悔しい・・・。』
ようやく香奈の目から涙が零れ落ちた。
『こんな風に他人に触られるなんて・・・。知らない人にあんな事されるな
んて・・・。あの指が・・・あの男の人のアソコが・・・中村君のものだっ
たら・・・。』
香奈は自然に中村の顔を思い浮かべていた。
しかし、何故中村を思ったのかは考えなかった。
それが中村に対する自分の気持ちだと言う事を理解する余裕はまだ香奈には
無く、ただ悲しさと悔しさに心を委ねる事しか出来なかった。
そして、そのうち深い闇の中に吸い込まれていくように意識が遠のいていっ
た。
携帯の鳴る音に目を覚ました。
枕元に置いたデジタル時計は0時22分を表示している。
香奈は布団から腕を出し枕元を探った。
『あ・・制服のポケットに入れたままだった。』
香奈は、のっそりと起き上がり、布団から出るとロフトから降りて部屋の壁
に掛けた制服のポケットから携帯を取り出した。
『・・メール・・?紗耶香からだ・・・。』
香奈は暗闇で携帯を開けメールを開いた。
-from紗耶香-
今日はゴメンナサイ・・・。なんだか具合悪くて・・生理だったし。イライ
ラしてて・・・。ホントにゴメンナサイ!!
香奈にヒドいことしちゃったってスゴい後悔してる・・・。
お詫びと言ったらアレだけど・・明日さ、お昼一緒に食べよ?アタシ香奈の
分までお弁当作ってくるから!スゴい美味しいご馳走作ってくるから!
だから
だから
お願い
キライにならないで・・。
「・・紗耶香・・気にしてたんだ・・。」
香奈の心に刺さっていた棘が1つ抜けたような気がした。が、当然、香奈の
心が晴れる事は無かった。
今は何も考えたくなかった。
香奈は携帯を閉じると机の上に置き、またロフトに上がると布団に潜り込み
目を閉じた・・・。
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