【20】
やっと練習が終わった。
今日は何故だかいつもよりクタクタになった。それは恐らく精神的な疲れの
せいだろう。
原因は二つある。
ひとつは紗耶香との部室での出来事。
自分が知らない内に紗耶香を怒らせるような事をしたのではないか?それと
も情緒不安定になるような辛い事が紗耶香の身に起こったのではないか?
考えても原因は解らないのだが、香奈の頭の中には、紗耶香との事が何度も
繰り返し思い出され不安な気持ちを増幅させていく。
そしてもうひとつ。
由美は部活に来なかった。というよりも学校に来なかったらしい。
どんなにつまらない事でもウザいくらいにメールして来るのに今日は何の連
絡もなかった。
由美が学校を休んだことは無く、病気なんかするようにも見えない。もしか
したら事故にでも遭ったのではないか・・・。考えれば考える程、心配にな
った。
今日に限って言えば、香奈にとって二人がいない部活は、ちっとも面白くな
く、疲労だけを体に蓄積していくものでしかなかった。
陰鬱な気持ちで片付けを終えた香奈は、他の部員達と一緒に部室に帰った。
着替えようとロッカーの前でジャージを脱いでTシャツを捲り上げた瞬間、い
きなり後ろから胸を鷲掴みにされた。
「キャアッ!!」
香奈はかん高い叫び声を上げ、手を振りほどいて脱ぎかけのTシャツで胸を隠
しながらしゃがみ込んだ。
「へへへぇ。香奈のオッパイさーわったぁ!」
振り返って見上げると、聡美が笑いながら手のひらをこちらに向け、指をク
ネクネと動かしている。
「うーん、まだまだ紗耶香には適いませんなあ。うん、紗耶香はおっきかっ
た。あたしの手じゃ掴みきれなかったもん。」
聡美は自分の胸の前で手を乳房の形のように動かしながら言った。
「びっくりしたよぅ・・・聡美。」
香奈は呆れた表情を浮かべながら立ち上がり、Tシャツから腕を抜いて制服の
シャツを羽織った。
「あ・・聡美。由美の漫画、昨日ロッカーに入れといたけど・・。」
シャツのボタンを掛けながら、思い出したように聡美の方へ振り返って言っ
た。
「ああ、うん。休み時間に取りに来て、昼休みには全部読んじゃった。面白
かったよ。たださ、ちょっと・・っていうか、かなりエロい場面があって
さ、なんかリアルに書いてあるしさ、教室では男子に見つからないように読
んだよ。」
苦笑いをしながら聡美が答える。
「あれ、男の子向けの漫画だからね。」
「男子とかは、あんなシーンを見ながらハァハァ言ってオナニーしてんだろ
ね。」
「・・・聡美ぃ・・・。」
スカートの裾から手を入れて短パンを脱いでいた香奈は、聡美の卑猥な言葉
を聞き、脱ぎかけの姿勢のまま聡美の顔を呆れ顔で見た。
「男子達って、どんなカッコイイ人でもみんなオナニーしてるらしいよ?イ
ヤラシイよね~。あ~やだやだ、不潔ぅ~。」
聡美は隅の椅子に座り足をバタバタさせながら嬉しそうに言った。
『・・・恥ずかしくないのかな?そんなこと口に出して・・・。』
着替え終わった香奈は、脱いだ服を畳んでバッグに入れながら思った。
「そう言えばさ、今日中村君と住田君と一緒にお昼ご飯食べたんだって?や
るね~香奈!」
聡美が身を乗り出して聞いてきた。
「あ・・うん。なんか・・・いきなり隣に座ってきて・・・。」
「へぇ~。いいなぁ。あたしの隣にも座ってくれないかな~。」
羨ましそうに言う聡美に香奈は不思議そうな顔をして聞いた。
「聡美、中村君の事・・・好きなの?」
「は?まあ・・好きって言うか・・カッコいいじゃん。まぁあたしは住田君
の方が好みだけどね。」
聡美はニコニコしながらそう答えた後、急に顔をしかめて香奈に近寄って小
声で囁くように言った。。
「でもさ、気をつけた方がいいよ。中村君達と仲良くしてるとさ、嫌がらせ
とかされるかもしれないよ。」
「え?なんで?」
香奈はキョトンとして聞いた。
「なんでって・・・。知らないの!?中村君と住田君って超モテるのよ!?
みんなイイって言ってんだから!!あの二人と仲良くしてたら恨まれたって
当然だよ!!」
「そう・・・なんだ。」
知らなかった。
というよりも、そんな事考えもしなかった。
確かに中村はカッコいい。外見だけではなく明朗快活な性格も魅力的だ。住
田も知的でクールな雰囲気を持ち、シャイな感じに好感が持てる。
しかし、香奈にとっては単なるクラスメートという存在でしかなく、彼らが
周りからどう思われていようがまったく興味がなかった。
『なんで自分は気がつかなかったのだろう。』
香奈はふと疑問に思い、その原因を考えてみた。
彼等が周りからどう思われていようが、香奈にとってはどうでもいい事だ
が、考えてみれば他のクラスメート達の事もあまり知らない。正確に言えば
知ろうとしなかった。自分と紗耶香と由美、それにあと少数のよく話す友達
との小さな世界の中だけで過ごしてきた。他人を知ろうとしなかった。それ
が、いつも感じる疎外感に通じているのだろう。
『もっと人を知る努力をしないと・・・。』
香奈は心の中で呟いた。
部室を出て駐輪場へ向かう途中で香奈と聡美は帰りの挨拶を交わし、聡美は
待っていた彼氏と二人で校門を出て行った。
辺りは薄暗い。
時刻は午後7時を過ぎている。
香奈は駐輪場の一番奥に留めた自分の自転車に鍵を差し込むと後輪のロック
を外し、カゴに鞄とバッグを入れて動かした。
『あれ・・?』
なんだか重たい。
ハンドルに伝わる感触に違和感を覚えた香奈は、自転車を支えながらしゃが
んでタイヤを見た。
後ろのタイヤがパンクしている。
よく見ると、何か鋭利なものでズタズタに切られたようなキズがある。
「・・はぁ・・そういうことか・・。」
香奈は聡美の言葉を思い出し、溜め息まじりに呟いた。
きっと誰かの嫌がらせに違いない。
中村と住田と仲良くした自分をよく思わない誰かがやったのだろう。
他に恨みを買うような覚えはないし、このタイヤのキズは明らかに人工的な
ものだ。
『なんか・・・コワイな。』
香奈は自転車に乗って帰るのを諦めた。
バッグから携帯を取り出すと家に掛けてみる。
『母に車で迎えに来てもらおう。家のワンボックスなら自転車くらい積める
はずだし。』
そう思って母が電話に出るのを待ったが繋がらない。
一度電話を切って母の携帯に掛けてみた。コールはするのだが、電話に出な
い。しばらく待つと、やっと繋がった。
「もしもし!お母さん!あのね・・・。」
慌てたように話し始めた香奈の声を遮るように母が言った。
「香奈、今ね、お父さんとお母さんね、お通夜に出てるの。ほら・・三丁目
の泉さんとこのおばあちゃんが亡くなってね。」
母はひそひそと小声で話している。電話の向こうからは経文が聞こえる。
「あ、ごめん。わかった。切るよ。」
香奈はそう言って携帯を閉じるとブレザーのポケットに押し込んだ。
『しょうがないな。少し遠いけど、歩いて帰ろ。』
香奈は諦めて自転車を戻すと鞄を肩に掛けバッグを持って歩き出した。
辺りはもう既に真っ暗になっていた・・・。
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