【18】
「本田、ちょっといいか?」
昼休みが終わり自分のブースに戻って書きかけの図面の仕上げるためパソコ
ンにむかっていた孝史に営業部の村田が声を掛けた。
「何?また見積もりか?」
孝史は椅子を回転させブースの入口に立っている村田の方を振り返り聞い
た。
「いや・・仕事の話じゃなくて・・。ここじゃあれだ。ちょっと付き合え
よ。」
手招きをする村田の後を追って歩いていくと、村田は資料室のドアを開けて
入るように促した。
「なんだよ。聞かれちゃマズいコトか?」
孝史は後ろ手にドアを締める村田に問い掛けた。
「実はな・・ほら、新谷町の川沿いのホテルを増築するって物件あった
ろ?」
「ああ、あのラブホテルね。オレが設計したよ。」
「そう。その件でね、昨日、発注元と現地で打ち合わせがあったんだよ。
で、打ち合わせが終わって帰るときにさ・・・その・・オレ・・見ちゃった
んだよ。」
腕を組んでうつむいて話していた村田が上目使いに孝史を見た。
「見たって・・・何を?」
勿体ぶったように話す村田に嫌な予感を感じた孝史は、鼓動が早くなってい
くのを感じながら村田に聞いた。
「あ・・いや・・その・・言いにくいんだが・・。お前の嫁さん、陽子さん
だったか・・がな、車で若い男とホテルから出て行くの見ちゃったんだよ。
俺の見間違えならいいんだが・・多分・・間違いなかったと思う。」
嫌な予感は当たった。しかし、昨日の昼間は陽子はパートに行っているはず
だ。だが、ホントに行ったかどうかは孝史には解らない。
村田が見たのは間違いなく陽子だという確信めいた気持ちは少なからず孝史
の心に沸いてきた。それは、あのメールや最近の陽子の様子を見れば頷ける
事だった。
「・・そうか。」
孝史は深い溜め息をすると、低い声で呟くように言った。
「そうか・・ってお前知ってたのか!?」
「まあ、何となく・・な。」
孝史は側にある机の角に座ると腕を組んで足元を眺めながら答えた。
「なあ、俺はどうすればいい?」
顔を上げて村田の方を向くとすがるような目で聞いた。
「どうすればって・・そりゃあ・・はっきり問い詰めて結論を出すしかない
だろ。」
村田は困ったような顔をして言った。
「つまり、別れるしかないってことか?」
そう言って孝史は目を瞑り村田の返事を待った。
「まあ・・別れるかどうかはお前ら夫婦が出す決断だから・・。ただ、同じ
ような経験をした俺から言わせてもらえば・・・もう二度と元の関係には戻
れないだろうし、女の浮気は止まらないよ。俺はそれが耐えられなくなって
離婚したんだ。」
そう言うと村田はくるりと背を向けドアの方へ歩いていった。
孝史は村田の背中に向かって、
「そうだな・・そうだよな。ありがとう・・教えてくれて。」
と言った。
村田はドアを開け振り返らずに手を軽く上げて出て行った。
村田が出て行った後、孝史は机の角に腰掛けたまま、しばらく何も考えられ
ずに放心していた。
それから、立ち上がりとぼとぼと自分のブースへ帰り仕事に戻った。
画面の中の図面をただただ何も考えずにもくもくと仕上げていく。
「本田君、ちょっといいかね。」
見上げるとブースを仕切る背の低いついたての向こうから課長がこちらを見
ていた。
「何でしょう?」
孝史が立ち上がると課長は孝史のブースの入口まで来て、手に持った書類を
指差して言った。
「君がこの前仕上げてくれた図面と計算書だがね、間違いだらけだよ。どう
したんだ。らしくないじゃないか。最近元気が無いようだし、何があったか
は知らないが、仕事は仕事だ。しっかりやって貰わなくちゃ。」
課長は手に持った付箋紙だらけの書類を孝史に差し出すと、孝史の肩をポン
と叩き、「頼んだよ。」と言って去っていった。
『解ってる・・・解ってますよ課長・・・仕事は仕事だ。ああ・・俺は何を
やっているんだろう。』
孝史は椅子にドカッと座り込むと机に肘をついて頭を抱え込んだ。
孝史の頭の中は疲れきっていた。
多忙な毎日が一段落し、人並みの生活に戻れたと思えば、妻は浮気をしてい
た。そして、それは孝史を混乱させ、仕事にも影響を与え始めている。
どうすべきかの結論も出せないまま、八方塞がりに陥った孝史は何かに救い
を求めようとし始めた・・・。
※元投稿はこちら >>