【14】
紗耶香の相談を受けた日から一週間が過ぎた。
翌日には「中村君」に付き合う意志の無いことをはっきりと伝えたらしい。
それから紗耶香は香奈のクラスに顔を出さなくなった。
休み時間には毎日のように香奈のところへ来てお喋りしたり、午後のホーム
ルームが終われば、わざわざ迎えに来て一緒に部活へ行っていたのだが、楽
しそうに香奈と戯れる自分の姿を「中村君」に見せるのは善くないと考えた
のだろう。
当の「中村君」は、それ程ショックを受けているようには見えなかった。
香奈の目には、皆の前でおどけてみせる明朗活発で爽やかないつもの彼に見
えた。
紗耶香が香奈のところへ来なくなってから、香奈は放課後まで退屈だった。
紗耶香は色んな話のネタを拾っては、わざわざ香奈のクラスに来て授業が始
まるギリギリまで面白おかしく話してくれた。
それに、紗耶香が教室に入ってくると、男子達は一斉にコソコソと紗耶香の
姿を目で追うので、紗耶香と一緒にいる自分まで注目されているみたいに思
えて、それが香奈にはとても心地よかった。
紗耶香や由美以外に友達がいない訳ではない。
クラスに馴染めない訳でもない。
仲の良いクラスメートだっている。
相変わらず男子とは、いつでも仲良く話す関係を作るには至っていないが、
皆と普通に接している。
だが、男女を問わず、あと一歩踏み込んだ友人関係を作ることができないで
いた。
登校してから放課後まで彼等と一緒の教室で和気藹々と過ごす。
だが彼等との距離は、午後のホームルームが終わり終業のチャイムがなった
瞬間に引き離される。
まるで何かのスイッチが入ったように彼等は、一斉に個々の目的に向かって
脇目も振らずに動き始める。
だから彼等と戯れるのは学校にいる時だけだ。
その間、彼等との距離は縮まり、そして翌朝には元の距離感に戻っている。
そんな時、香奈は自分という存在が、消えて無くなってしまったような、或
いは自分だけが取り残されたような気分になった。
そのような疎外感を感じる原因は、香奈にもあった。
香奈の知的で端正な顔立ちは、その薄い表情と口数の少なさが相まって暗い
影のようなものを感じさせる。
そして何より、香奈は自分の事をほとんど話さなかった。必要を感じなかっ
たからだ。自分が嫌いな訳では無いが、自己主張するような個性や魅力が見
いだせない為、聞かれもしないのにすすんで自分の事を話すのが滑稽に思え
た。
しかし、感受性豊かな年頃のクラスメート達はそんな香奈の性格を知る前
に、その正体の掴めない影を作り出している高く堅固な壁とその壁に囲まれ
た聖域を想像し、ある意味に於いては尊敬し、ある意味に於いては相容れな
いものとして無視していた。
勿論、香奈は自分にそんな崇高な聖域があるとは思っていない。
触れられたくない聖域があるとすれば、それは性や快楽に対しての人一倍純
粋で貪欲な好奇心と探求心だろう。
確かに香奈の性に対する好奇心は、多少「特殊な性癖」とも言うべきもの
で、セックスに対する憧れの混じった興味よりも、「いやらしい行い」に異
常な興奮を覚えるものだった。この年頃の女の子にしてみれば特殊とも思え
るこの事だけは、壁を張り巡らせ聖域の中に閉じ込めて、誰にも知られない
ようにしている。
しかし、それさえ除けば、どこにだっている普通の目立たない地味な女子高
生だ。
そんな香奈と気兼ねなく付き合ってくれるのは、紗耶香と由美だけだった。
【キーンコーンカーン・・・】
終業のチャイムが教室の正面のスピーカーから流れた。
担任の教師が早口で連絡事項を伝えているが、クラスメート達は立ち上がり
鞄をとって帰り支度を始めている。
教師は喋り終わると呆れた顔をして首を少し斜めに傾けながら教室を出て行
った。
香奈は自分の席を立ち上がると鞄を肩に掛け、ロッカーに向かった。
ロッカーからラケットやジャージが入ったバッグを取り出し、教室を出よう
とした時、由美から借りていた漫画の事を思い出した。
『確か机の中に入れたままだった・・・。』
自分の席に戻り、机の前にしゃがみ込んで引き出しの中を探していた時、ふ
いに声を掛けられた。「なぁ、岡本。」
顔を上げて声の主を見ると、中村だった。
「あのさ・・・岡本さ、小出と仲良いよな。」
小出と言われてピンと来なかったが、すぐに紗耶香の名字である事を思い出
した。
「うん・・・部活も一緒だし・・・。」
そう答えながら中村の顔を見上げた。
陽に焼けた健康的な褐色の肌に、優しくも力のこもった光を放つ目が印象的
だ。
わざとらしくなくセットされた短めの黒髪も男の性の魅力を感じさせる。
中村は、見上げる香奈に気を使ったのか、香奈の前にしゃがみ、目線を同じ
高さにして話を続けた。
「・・・小出の好きな人って・・知ってる?」
香奈は、少し考える素振りをしてから「知らない。」と答えた。
中村は、少し目を伏せてから「そう・・。」と呟いた。
その目は先程香奈が見た力強い光とは違う、物憂げな切ないものに変わって
いた。
『やっぱり・・ショックだよね・・。でも・・・振られたって好きな人の事
は知りたくなるんだろうな・・・。』
中村の切なげな表情につられて香奈も下を向いて膝に顎を乗せ、上履きのつ
ま先の部分を指でなぞりながら心の中で呟いた。
「ところでさ。」
短い沈黙の後に、ふいに中村が口を開いた。
香奈は、顔を上げ中村の方を見た。
「ところでさ。見えてるよ?」
さっきの物憂げな表情は無く、替わりに悪戯っぽい笑みを浮かべて中村が言
った。
机の中を覗く為、しゃがみ込んでいた香奈は、慌てて立ち上がるとスカート
の前を押さえて真っ赤な顔になり、驚きと恥ずかしさの混ざった表情で中村
を見た。
「岡本のパンチラいただき~!」
中村は、まだ教室に残っているクラスメートに聞こえるぐらいの声で言う
と、鞄を肩に掛け手を振りながら走って教室を出て行った。
あたりからは笑い声と中村を非難する女子達の声が聞こえた。
香奈は、ゆっくりと鞄を肩に掛けバッグを持つと赤い顔に苦笑いを浮かべな
がら教室を出て行った。
この同級生の明け透けで屈託の無い子供っぽい言動は、香奈にしてみれば、
性的な興奮を誘うものだった。
それは、普段から目立たず、無意識のうちに自分を押さえ込み、他人と親密
に接する事の無い、しかし性に対する極度の好奇心を持つ香奈の欲求が、
様々な環境や出来事の中で深く長く複雑に絡み合い「見られる」という事に
興奮を覚えさせたのだろう。
『・・もっと見られたい・・。』
香奈の体は、無意識にその事を欲し始めていた。
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