あの頃より大人っぽくなり、髪型もショートボブに変わっていたが、それは間違いなく彼女だった。
「杏奈…ちゃん…?」思わず声が出た。
彼女も何か言おうとしたが、タイミング悪く同僚が近づいてきて我に返ったのか、無言で頭を下げて、子供を連れ行ってしまった。
「知り合いですか?」と同僚が何気なく聞いてくる。俺はそれに返事はしないで、彼女が去っていた方向を見つめていた。
その夜、スマホを持ったまま俺は悩んでいた。スマホの画面は彼女のアイコンだ。
今日会ったのは間違いなく君なのか…
いや、久しぶりに元気な姿見れて嬉しかったよ…
いろんな文章を打ち込んでは消していた。
このまま終わったものだ、と思っていただけに、メッセージを今更送ることに躊躇し、どうしても送信ボタンが押せなかった
そして俺は、文章を打ち込み、送信ボタンを押した。ただ一言、
「会いたい」と打ち込んで。
だが、その後も次の日も返信はなかった
数日後の休日、家の掃除を終わした俺は、一息つこうとコーヒーを入れた。
するとチャイムが鳴った。
玄関を開けると、彼女の姿があったのだ。
以前の彼女なら、顔を見るとニッコリ微笑んでくれたが、久しぶりに目の前に現れた彼女の表情は変わらず、無言のままだった
俺も無言のまま、大きく扉を開け、通れるように道を開け、彼女を家に入れた。
リビングに入ると、妻の遺影を見て、ハッ、とした表情をしていた。
「奥さん…亡くなったんですか…」
「ああ…、3年くらい前に、交通事故でね…愛茉も出ていったから、ほとんど1人暮らしだよ。
「そうだったんですね…」
彼女は遺影に手を合わせてくれた。それも、だいぶ長い時間。
彼女をソファに座るよう促し、コーヒーを入れ直した。
俺も向かい合って座ったが、お互い無言のままだった。聞きたいことは山ほどある。
だが、何から話を切り出せばいいのか分からなかった。
しばらくすると、
「怒って…ますよね…」とが口を開いた。
「えっ?…」
「急に…いなくなって…連絡くれても返事もしなくて、私の事怒ってますよね…?」
「いや…、でも心配はしていた。それまであんなに普通してたのに…って。」
「…ごめんなさい…」そう言って、そのまま下を向いてしまった。
またお互い無言になった。少し話題を変えようとした俺は、
「こないだ会ったのは娘さん?君の子供の頃にそっくりだね。もっとも君に会ったのはもっと大きくなってからだったけどね。」
「…はい、祐奈、って言います。」
「あんなところで会うとは思わなかったから。今はその近くに住んでるんだ、旦那さんと。」
今度は、無言のまま首を横に振った。
「…娘と2人です…。夫とはずっと前に別れました…。」
えっ?、と驚く俺に向き直って、彼女は話し続けた。
「あの人とは、娘が2歳になる前に…。お互い性格の不一致というか…もともと愛情なんてものもなかったし。」
愛情がなかった、その言葉に俺は驚いた。
こんなに冷たい言い方をするのを初めて見たからだ。
「でも、好きで付き合って、それで子供も授かったのに?」
「…好きでそうなったんじゃなくて…」
しばらく無言が続いた。そして意を決したように言った。
「あの子を…産むために父親が必要だった。それにあの人を選んだだけ…」
ますます混乱してきた。
「産むためだけ、って…まるでその人の子供じゃないみたいな…」
彼女は無言だった。それは無言のまま、肯定してるようだった。
「…だったら、父親はだれ…」
そこまで言って、俺は身体中に冷水を浴びせられたような感覚を覚えた。
「…もしかして…あの子の父親って…」
彼女は顔を上げて答えた。
「そう、あなたです。あなたが祐奈の父親です。」
そんなはずは…避妊はちゃんとしていたはず…ただ、何度かは気持ちが盛り上がり、そのまま…だが、外に出して…
その時だろうか…
そのままソファに倒れ込むように座った。
彼女は続いた。
「祐奈を宿した時、絶対この子を産みたい、って思って。でも、お父さんに迷惑かけない、って誓ってたから言えなかった。仮にお父さんが認めても、私達の事認めてもらえるわけないし、お父さんが父親だ、って言わなくても、このままじゃ絶対堕ろせ、って言われるはず、って。」
「だから…だから、その前から交際してほしい、って言われてたあの人に会って交際OKして、そのまま…」
「辛かった…。お父さんとお別れするのが辛くて、すっごくすっごく悩んで…。でも、この子が無事に産まれてくれたら、この子がいてくれたら、お父さんと繋がってられる、って言い聞かせて…」
そう言った彼女の目から、一筋の涙がこぼれた。
「学校辞めて、あの人と籍入れて…。でも、続かなかった。気持ちがないから続くわけがなかった。別れてから、私の家族とも疎遠になって、もう祐奈と2人だけ。」
「海にドライブ行った日、あれでお別れするつもりだったけど、お父さんからメッセージ来る度、何度も何度も会いたい、って…。」
そこまで聞いて、俺はいたたまれず床に手をつき泣き出してしまった。
どれだけ辛い思いをさせて、どれだけ苦しめてしまったのだろう…彼女の人生の貴重な時を奪ってしまったこと、いろいろ悩ませたこと、たった1人で子供を産んで育てた事…いろんな事を謝りたかったが、頭の中はもう整理がつかず、ただ「ごめんなさい…ごめんなさい…」と泣きじゃくりながら謝ることしかできなかった。
「俺は…俺はなんてずるくて卑怯で情けない男なんだ…。こんなにこんなに君を苦しめて、辛い思いばかりさせて…ごめんなさい…本当に…ごめんなさい…。」
子供の様に泣きじゃくる俺。
彼女はゆっくり立ち上がり、俺のそばに来た。そして、俺の身体を起こし、俺の顔を抱き寄せてくれた。
「泣かないで…、私が迷惑かけない、って約束して、好きになって…私が勝手にした事だから、自分を責めないで…。」
そう言って、さらに強く抱きしめた。
「だってそれは…○✕△…」
もう言葉にならないくらい、泣き続けた。
それから少し黙っていた彼女はこう言った
「お父さん…、ホントにそう思ってるなら…私を抱いて…今、ここで…」
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