偶然にも幼女が擬似的な自慰に、一瞬だけ目覚める瞬間がある。
例えば机の角。
或いは公園の遊具。
他にも布団、クッションなど枚挙に暇はない。
ツールやアプローチ、理由は多々あれど、つまるところは股間を圧迫してしまったことが原因である。
全ては偶然の産物だ。
・・あ・・れ・・?
・・何だろう・・?
ムズ痒いような感覚は好ましいが、同時に恐ろしい。
ふと我に返って中断し、暫くしてから忘れられない感覚を再現しようと試みるが、再び出会うことは叶わず、いつしか忘れてしまうのが常だ。
それは何年か後、成熟に向かい始めた少女達が、埋もれた記憶と共に再会を果たし、今度こそ自分のものにしようと四苦八苦する淫らな感覚である。
今、アオイは十四歳、中学二年生の後半にして初めての経験に浸っていた。
その感覚には覚えがあり、常にはミドリによってのみ与えられていた肉の悦びだ。
何度も独りで再現しようとしたが、常に敗北を喫していたその感覚を今、少女は初めて独占していた。
独占というよりも恣にしている、と表現する方が適切なのかもしれなかった。
それはオーケストラの指揮者に似ているかもしれない。
同じ曲目、同じ楽器の編成、かつ同じ演奏者であっても指揮者の個性により、コンサートの出来が変わるようなものだ。
強弱、緩急、全ては指揮者の個性と感性に依存するのだ。
ミドリの愛撫は概ね巧みであった。
特に恒常的に躯を交わすようになってからは、アオイの好みを知悉し、配分を考えながら絶頂に導いてくれていた。
だが、所詮は他人でしかない。
もう少し強く、或いは違う角度で・・。
そう想いながら、それでも満足をさせて貰うことは出来ていた。
だが、今は違う。
目的はコンサートの成功ではない。
コンサートによる充足感である。
他者の評価ではなく自己評価が重要なのだ。
クライマックスを迎えようとする少女。
その表情は歪み、吐息は甘く湿る。
喘ぎ声こそ漏らさぬまでも、その唇は半開きになり瞳は熱く潤む。
だが、無情にもそのクライマックスは中断を余儀なくされてしまう。
中断を判断したのは、アオイの正面に座る男に他ならなかった。
「・・こんなところで・・かい?・・はしたない子だ。」
男の放った呟きにより不意に少女の躯が硬直する。
こんなところ、、それは電車の中を意味していた。
人影は疎らとは言えゼロではない。
はしたない子、、躯の芯から溢れ出す淫らな感覚に身を委ね、それを露わにする少女。
身も心も昂らせ、抗い切れない欲望を人前に晒してしまう自分に気付いてしまったのだ。
思わず、擦り合わせていた左右の太腿を僅かに広げたアオイ。
結果として脚が僅かに広がり、少女が履いている左右の靴の間に十センチ程の間隔が生じていた。
間隔が生じたその瞬間、男の片足がその隙間を割って捻じ込まれる。
その状態が続く限り、アオイは太腿を擦り合わせ、淫らな悦びに浸ることが出来ない。
いや、それだけではなかった。
既に渾々と湧き出す淫らな汁が、開かれた蜜壺から溢れ出す。
粘りのある濃密な淫蜜が、太腿の内側に幾条かに別れて滴っていた。
滴った汁はその跡を素肌に残しながら、ゆっくりと膝に達し、更には脹脛を経て踝に至る。
既に濃密な牝の匂いが、少女のスカートの中を満たし、外部に漏れ始めていた。
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