序章 転(弌)
昭和50年 私は少小学4年生だった。
昨年、衝撃的な出来事があって、その年の春に中核都市から地方の田舎に引っ越し、転校となった。
つまり新4年生から違う学校に通うこととなった訳だ。
今までの幼馴染たちとは、様々な深いつながりがあった。私の少女嗜好の原点がそこにあったと思う。
急に決まったこともあり、特に女子たちからは手紙も含め様々なプレゼントをもらったのは45年たった今も宝物だ。しかし当時、私にそんな感傷に浸る余裕はなっかった。
父と、かわいい妹を、交通事故で亡くした。
当時は「交通戦争」と呼ばれ、年間1万人もの人が交通事故で亡くなっていた。その犠牲の1人。否2人か。
「にいたん、一緒に行かないの」
「だって遊園地だろ、子供っぽ」
「お前だって子供だろうw」父が笑う。
「うるせえな、二人で行って来いよ!」
もうやり取りも曖昧だ。こんな諍いのあと、二人は私の前から永遠にいなくなった。
当時は、もう目の前にあるものが、夢か本物か、区別がつかない。
夢の中では毎晩、妹が「にいたん、一緒に行こう」と,,微笑みかける。
しかし何度そちらに行こうとしても、行けないのだ。
ふらふらと、夜中に出歩いたり、ポツンと利根川の橋の上に立っていたり。
奇行が目立ち、何度も警察に保護された。そんなこともあり、母は、実家のある田舎に戻ることを決めた。
そんな転校生を田舎のクソガキ共は、徹底的に排除にかかった。いじめだ。教師さえ加担していた節もある。
「都会ぶってる」「田舎を馬鹿にしている」「勉強もできるぶっている」「知ったかぶりをする」
私は、何も感じない。始終ぼーっとしていたが、田舎のきれいな景色は、確かにこちらに引っ越してきてよかったと感じた。
3か月もたつと、ガキどもも飽きてきた。何をしても無反応、普通に生活するモノをいじめても甲斐がない。
そんな中、ふと、ある少女に目が留まった。同じ通学班の6年生だが、近所の低所得者住宅に住んでいた。
「引揚者住宅」今の人は知るまい。
同じ班に妹もいて、彼女の上に3人ぐらい兄がいるようだが他の人間も「引き上げ」には関わりたくないらしく、悪い噂しか聞かない。
母親はいるが、父親は男が出たり入ったりでどれだかわからず「売春で生活している」「どの子も父親がちがう」等、ワイドショー受けしそうな話題は昔も今も、おばちゃんたちの格好の餌食だ。なぜ目が留まったか。ボサボサの髪、毎日薄汚れた体操服で登校し、通学班でも他と距離を置く。今で言う放置子だ。私は「雨に濡れた仔犬」を見るような目で、彼女を見ていたとおもう。
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