約束の日。
俺はゆきが住む市営団地の駐車場で彼女を乗せ、スキー場へと車を走らせた。
車に乗り込むとすぐに、ゆきはハイテンションで、あれこれと俺に話しかけてきた。
今日行くスキー場が載っている、古いガイドを図書館で借りてきたらしく、助手席でそれを広げ、どのコースに行ってみたいとか、このリフトに乗ったら景色がよさそうだとか。
それまで、ひとりで車を運転してスキーに行く時は、いかに体力を消耗せずに行き着くか、そればかり考えていたが、この日は久しぶりに道中が楽しかった。
途中ドライブインで、ゆきの用意したおにぎりとお茶をごちそうになる。おにぎりというのは簡単なようで、実は結構奥が深い。ふだん料理などしない娘が見様見まねで握っても、かならず緩すぎて、食べるそばから崩れて来たり、塩加減が間違っていたり、具にシャケやタラコを選んでも、焦げていたり生焼けだったり。流行りの言葉で言えば、女子力が露骨に表れてしまうのだ。
ゆきの作ったおにぎりは…これまで食べた中で最高だった。俺はそんなにグルメではないが、それでも彼女がかなり、料理ができる、慣れていることが、おにぎりから感じられた。
きっと、働き詰めの母親を助けるために、かなり家事を負担しているのだろう。
普通の中2の女子なら、家にいるときはスマホでラインやSNSで友達とダラダラ過ごしているだように。
『この子のこと、なんとかしてやれないかな?』俺はその時初めてそう思った。
スキー場のロッジに着くと、最初に社長に挨拶。ゆきを紹介した。社長は愛想よく
「よく来てくださいました。楽しんで行ってくださいね」と微笑んでリフト券を手渡してくれた。
だが、ゆきがトイレに行っている時に近づいてきて
「ずいぶん若いな。いくつだ?」
と聞いてきた。
滑り始めるとゆきは、真剣そのもの。俺たちは中学か高校の部活の、鬼コーチと選手みたいだった。とんな厳しい要求をしても食いついて来たので、ゆきはメキメキ上達した。
12時過ぎ、ロッジに戻って昼食を取る。ゆきが壁にはられていたメニューの値段を、真剣な顔で見ていたので、俺は
「カレーでいいかな?ここのは絶品なんだ」
と言って食券は買わず、厨房にいた顔見知りのオバサンに、「カレーふたつお願いします」
と頼んだ。
ゆきは食べながら「ホント、すごく美味しい…」とつぶやいたが、笑顔はなかった。
午後もタップリ滑り込み、ラスト一本では、俺が先導しなくても、下まで通しで転ばず降りてこられた。
先に下で待っていた俺の元にゆきが降りてきて、すぐ横に止まったので、俺は
「やったじゃないか!」
と思わず両手を広げて抱きしめそうになったが、すんでのところで止めて、肩を叩いた。
この時はゆきも笑顔だった。
ロッジの社長にお礼と挨拶をし、帰途に着く。
帰りの車で、ゆきは行く時と打って変わって無口で、俯いて何かを考え込んでいる様子だった。
『さすがに疲れたのかな?』
そう思って俺も無理には話しかけなかったが、走り出してしばらくした頃
「今日のお金、ほんとは全部、翔さんが出してくれたんですよね?リフトも、お昼も…」
俺は一瞬言葉に詰まったが、これ以上うそを重ねてもしょうがないと思い
「最初はね、そうしようと思ったんだ。ゆきちゃんとどうしても、ふたりでスキーに行きたかったから。」
「でも、あの社長に話したら、君の分は本当に全部無料にしてくれたんだ。俺にいつまでたっても彼女ができる気配がないのを心配してくれてたからかな、ご祝儀だって言って…」
「かっ、彼女さん…」
「ん?」
「いないんですか?」
「ああ。ずっとスキーばっかりだったからな。年齢イコール彼女イナイ歴ってやつだ」
俺が笑って言うと、その時だけ一瞬、ゆきの顔がゆるんだような気がした。
車がそろそろ、俺たちの住む市内に入る頃、俺が
「もうじき着くな。乗った所と同じ場所でいいか?」
と聞くと、ゆきは、少しかすれた声で
「まだ帰りたくない…」
とつぶやいた。
「お母さん今日夜勤で、帰ってもひとりだから…」
「そうか、じゃあ晩メシでも行くか?」
ゆきは俯いたまま大きく首を横に振り、
「翔さんのお部屋に連れてって」
と、小さな声だがハッキリと、そう言った。
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