俺が電話に出ると、ゆきは
「あの…ゆきです。お姉さん、ウェア貸してくれるって。スキー行けます!」
と弾んだ声で言った。
「そうか、よかったな。じゃあさっそくロッジの社長に電話しとくから」
「はい!お姉さんに、男の人からスキーに誘われたって言ったら、ガンバってって言われちゃった…」
ゆきは少し恥ずかしそうに付け加えた。
俺はこれを聞いて、トキドキしてきた。
『ガンバるって、何をだ?』
この時まで俺は、ゆきをスキーに誘う理由を
『せっかく上手くなりかけてるのに、もうスキーに行けない可愛そうな教え子を、救済するため』と考えていた。
もちろん心の奥では、ゆきともっと親しくなり、できたら彼女にしたいという願望はあった。だが、社会人のサラリーマンのくせに女子中学生相手にそんな期待をして、裏切られた時は二重に恥ずかしいし、情けない。そんなことにならないよう、自分で自分に『これは純粋な師弟愛なんだ!』と言い聞かせていたのだ。
ところがゆきは、まるでデートに誘われたような言い方をする。これではせっかく封印していた願望が、いやでも頭をもたげてしまう。
俺が口ごもっていると、ゆきは、俺のテンションが下がっていると勘違いしたらしく
「あ、でも、本当に連れてってもらっていいんですか?私、本当にもうお小遣いなくて…お母さんに話したら、お昼代だけは持たせてくれるみたいなんですけど…」
と、心配そうに聞いてきた。
『お、親にまで話したの?』
これはこれで衝撃だったが、もういい加減、何か気のきいたことを言わないと、ゆきに俺がその気がなくなっていると思われてしまう。
「実は俺、女の子とふたりでスキーに行くの初めてなんだ。すげえ楽しみなんだけど、ちょっと緊張してる」
俺が正直にそう言うと、ゆきは電話の向こうでクスクスと笑ってから
「私もです」
と言った。
それからゆきは、ほぼ毎晩、何かしら用事を作っては電話してきた。お姉さんから2着借りたアンダーウエアの、どっちの色がいいか?とか、図書館でスキーの教本を借りてきたとか、当日の朝食に、おむすびとお茶を用意したいけど具は何が好きか?とか、他愛ない内容ばかりだったが、メインの要件が終わったあと、いろんな話をした。
ゆきは中学校ではバスケ部に入っていて、2年生ですでにレギュラーになってるらしい。元々運動が得意なのだろう。
俺の方は、仕事の内容をざっと説明し、職場での失敗話などを面白おかしくゆきに聞かせ、笑わせた。
俺は次第に、夜のゆきからの電話を心待ちにするようになった。仕事をしていても、ふと気を抜いた時に、彼女のことを考えてしまう。
『なにをやってるんだ?俺は。こんな思春期の少年のような恋をして、むこうが全然そんなつもりじゃなかったら…』
コーチのお礼と称して、ファーストキスをくれたこと、従姉妹からガンバってと言われたことを、わざわざ俺に報告したこと、毎晩飽きもせずに電話で長話をすること。
考え合わせれば、まったくその気がないとも思えないが、そもそも俺たちは年が離れすぎている。お互い気があったとしても、うまく行かない確率のほうが高いだろう。
そんな、およそアスリートらしくない悶々とした想いを抱えたまま、ゆきとの約束の日を迎えた。
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