康子「良い?・・」
「勝負は100のブレストの一本勝負よ!!」
澪「はい!結構です!」
二人は共に水着へと衣替えをしてプールサイドで睨み合っている。
しかし康子の場合は少々条件が厳しい。
幾ら過去に実績が有ろうとも、現役のトップスイマーに敵う訳も無い。
「あれ?北川コーチ・・」
「随分と久し振りの水着姿じゃない?」
「そうだなぁ、何年ぶりだろ?」
「ここで泳ぐのなんて?」
「んっ?・・5年振りかもって?」
「でも相変わらず、決まってるわぁ~!」
「ホント、カッコイイ!! あの水着姿!憧れちゃう!」
「流石、ねっ!!」
場内のざわめきが段々と大きく成って来る。
そんな注目の的である康子は、意外と落ち着き払っていた。
現役スイマーであった頃の姿は見るべくも無いが、充分に引き締まっている身体はアスリート体型を見事に維持している。
康子「準備は良いわね?」
「花村さん?」
澪「何時でも、OKです!」
康子「それじゃあ、正章君?」
「スタートの合図をよろしく!」
正章「は、はい!」
そんな康子は只ひたすらに集中力を高めて行く。
そして澪は彼女を見ながら警戒心が募って来る。
康子(スタート!・・スタートさえ決まれば)
(後は、何とかして・・)
澪(幾ら引退後のキャリアが無いって云っても
オリンピックメダリストの名は伊達じゃ無い!)
(絶対に何かを仕掛けて来る筈!!)
二人はスタート台に登って身体を前方に屈めて行く。
正章「では行きます!!」
「・・・・・」
「・・・よ~い!・・・」
康子と澪は真剣な表情でダッシュの体勢を決める。
正章「パンッ!!」
彼の放つピストル音に弾かれて、二頭の美しいマーメイドはザブンッと云う水音と共に水中へと消えて行く。
そして流麗な身体を長く伸ばした後、それぞれがそれぞれのタイミングで強く脚を蹴って行く。
すると先に水面へと現れたのは康子の方であった。
康子(あれっ?・・)
(出し抜かれちゃっ、た?)
澪は彼女の数十センチ先を、コンマ数秒程リードして水面へと浮かび上がって来る。
この時点で二人の差は歴然としていた。
澪(行ける!!)
(ってか・・思いの外、手応えが無い?・・のか、な?・・)
二人は更に別々のタイミングでターンを決める。
その差は最早決定的であり、後は只単にペースを維持するだけの単純なレース運びと成って仕舞った。
正章「ゴ~ルっ!!」
「勝ったのは・・・」
「・・澪、さん・・」
康子は彼女から数秒遅れでゴールインした。
澪「はぁっ!! はあっ! はぁっ!!・・・」
「・・・・・」
「・・こっ、コーチぃ?・・」
澪は自分との歴然とした差を満場に披露して仕舞った彼女の心をおもんばかる。
康子「んっ!はあぁっ!! はぁっ!! はぁっ!!」
康子は息も絶え絶えに苦しそうな表情を見せている。
しかしその顔には晴れ晴れとした笑みが見受けられる。
彼女はこの勝負に負けて、何かを掴んだ様にさえ感じられた。
康子「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
「はな、むら・・さん?」
「はぁ、はぁ・・良い泳ぎ、だったよ!!」
「これな、ら・・彼を安心して、任せられるな!」
澪「・・コーチ?・・」
康子はゆっくりとプールから上がると、場内の者達全てに何度となく深いお辞儀をした後、確かな足取りでその場から去って行った。
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