JCと子作りしませんか? 第二章
九月に入って雨が続いた。
もうこれで、あの暑い夏は終わったのかもしれない。
彼は、そう思いながらネクタイを左右に揺すって緩め、地元の駅からタクシーに乗った。
10分ほど車に揺られて行くと、まだ新築然とした分譲マンションの前で止まった。
ここが彼、藤田雄一郎の自宅で有る。
彼は数年前まで、某在京キー局の若手人気アナウンサーであった。
バラエティー番組や朝のワイドショーなどの司会を務めたり、時には報道のニュース原稿を読んだりと、多方面に才能を発揮していた。
そして最近、38歳という年齢的な問題と知人の勧めで、フリーアナウンサーの道を選ぶ決断をした。
仕事は順調である。
生来の性格の良さも有ってか、いまだ業界からも大変可愛がられている。
そして将来に向けて、少しづつ新たな事業を拡大して行こうという堅実さも持ち合わせていた。
正に、順風満帆である。
しかし、彼には長年に渡って悩みがあった。
女性問題である。
彼には恋人がいなかった。
いや、正確に言うと出来なかった。
重度の女性アレルギーである。
幼少期からの極度な症状は影を潜め、社会生活上で女性と会話をしたり握手をしたりする事に支障は無くなった。
だが、性交渉の段階まで来ると、もうお手上げであった。
先ずは、ペニスが勃起しない。
そしてキスなどの軽度の接触も出来なかった。
このままでは、限りなく理解のある女性を見つけて、人工授精で子供を授かるしか方法が無いのだ。
しかし、それも限りなく不可能であろう。
精神科のクリニックには何度も足繁く通ったが、改善の兆しは見えず彼は正しく八方塞がりの状態であった。
そんな時、親しい友人の情報で、ある結婚相談所のカウンセリングが好評だと聞いた。
彼は、藁をも掴む思いでその会社に連絡を取った。
そして、その会社での初めての面談が明日に迫っていたのである。
翌日は完全にオフであった。
彼は、都心の或るビルの地下に車を止め、そのビルの29階にある会社のオフィスに訪れた。
受付では、予め決めて置いた仮名を名乗って、担当者の部屋に入った。
そこには、妙齢の美しい女性が座っていて、微笑みで迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。藤田様。担当の小林でございます」
彼女は、一度椅子から立ってお辞儀をした。
「早速ですが、ご依頼の内容を検討させて頂きました」
「この内容ですと、誠に厳しい状況でございますね」
と言ってきた。
これではカウンセリングでは無い。
まるで営業トークである。
「しかしながら、わが社のネットワークをフルに活用させて頂ければ」
「お客様の満足するサービスを提供出来るものと確信しております」
と言う。
随分と自信満々だ。
大丈夫か?
「お客様の精神的な疾患を充分に加味致しまして」
「お子様を儲けるという条件をクリア出来るプランをご用意致しました」
って、おいおい、私はパートナーを見つけに来たんですけど。
とまあ、要するに通常の結婚は無理という訳ですね。
さて、どうすればいいものか?
「あの、 少し時間を貰えません?」
と私が言うと、
「はい、分かります。 皆さん、やはり迷われますから」
と言って、彼女はすたすたと部屋から出て行ってしまった。
さて、どうしたものか。
或る程度予想はしていたが、現実はやはり厳しい。
パートナーは諦めざるを得ないであろう。
しかし、子供は欲しい。
絶対に。
だが、どんな手段でもいいという訳にはいかない。
社会的、もしくは仕事上の面子もある。
先ずは、説明を聞くしかないか。
私は、彼女を呼んだ。
そして彼女は説明を始めたのである。
「契約出産というものが御座いまして」
何と、ある一定の条件をクリアした女性と顧客が性交渉をして子供を産んで貰うというシステムだと云う。
当然だが秘密厳守。
だが、余りにも信じ難い話である。
しかし、こちらにも切羽詰まった事情がある。
時間も有り余っている訳ではない。
彼女と、しっかり話を詰めて、とりあえずこの契約に乗ることに決めた。
こちらの要望を述べたうえで仮契約をした。
詳細は追って知らせると云う。
さて、家に帰ってPCを開くと、既にメールが来ていた。
詳しい契約内容と、一人目の女性の名前があった。
なになに?
名前は、アンナ・ジョヴォヴィッチ
スラブ系、父、ウクライナ人 母、日本人
JC〇年生 身長158センチ B79 W53 H78 特徴 バージン 医療証明
はっ、はい?
JCハーフの娘?
ですか。
私は、ただただ混乱した。
続きます
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