その夜、美咲ちゃんを送って行ってひとりになってから、僕は考えた。
美咲ちゃんと親公認の仲になる。仮に彼女の父親が認めてくれたとして、もしそのあと、彼女と仲違いしたり、他の子を好きになったりしても、逃げられないだろう。同世代の男よりずっと早く、結婚することになるかもしれない。こんなに早く不自由な身になって、後悔しないか?
しかしいくら考えても、美咲ちゃん以上の少女か現れて、目移りするなんてことはありそうになかったし、別れたくなるほどの喧嘩をする、というのも想像できない。
それどころか、今彼女の求めに応じて挨拶に行かなかったら、すぐにでも別れが訪れるかも知れない。そう考えるとゾッとした。
僕は決心し、次の夜叔父の自宅を訪ねて相談した。付き合っている子がまだ高校生で、その子が中学の時からの仲だと言うと、叔父は呆れた顔をしたが、美咲ちゃんの父親の経営する会社の名前を言うと急に真顔になり「こりゃあ大変だ…」とつぶやいた。
僕もその頃は、だいぶ社長らしくなっていたが、同じ経営者でも会社の規模がまるで違う。
叔父はしばらく考え込んでいたが
「よし!そんなら俺が一緒に行ってやる。お前ひとりじゃ位負けしそうだからな」
と言ってくれた。
美咲ちゃんに頼んで父親に時間を取ってもらい、叔父とふたりで出かけた。
彼女の父親は、苦虫を噛み潰したような顔で、応接室で待っていた。それはそうだろう。いくら自分が海外に行っていたとはいえ、娘が知らない所で男と付き合っていただけでも穏やかでないのに、家に挨拶に来るというのだから。
だが、叔父が名刺を切って挨拶し、世間話を始めると、次第に叔父の話に聞き入るような顔になり、「ほーっ」とか「そうですか…」など、相づちを打ち始めた。
この叔父のトークは業界では有名で、これまで数多くの修羅場をトークひとつで収め、話をまとめて来た。
美咲ちゃんの父親が、叔父の話に完全に引き込まれ、当初の目的を忘れかけた頃、唐突に
「まあそんな訳で、我が社も3年前に、急に主を失いまして…」
と、身内の話をし始めた。父親は反射的に
「そうですか、それは大変でした。」
と返した。
「それで、この甥に継がせたんですが、社業に興味がないのか、会社にも出て来ない有様で…」
父親は不審そうな顔で僕を見た。
僕は身が縮む思いだった。
「ところが、ある日急に、仕事を覚えたいと言い出して、後で聞きましたら、こちらのお嬢様のひとことがきっかけだったようで…」
これには僕も度肝を抜かれた。
確かに僕は、美咲ちゃんのひとことで、ちゃんと仕事を覚えようと決心した。叔父はこのエピソードを、『美咲という少女がひとりの青年を立ち直らせた』という美談に仕立て上げたのだった。
僕は慌てて話を合わせ
「はい。僕が美咲さんに、出社しても居場所がないと愚痴を言っていたら、『社長さんじゃなきゃダメなの?』って、仕事を覚えたいなら、平社員からやり直してもいいんじゃないかって、言ってくれたんです。それで…」
父親は驚いた顔で、美咲ちゃんを見つめた。彼女は恥ずかしそうに俯いた。
叔父は畳み掛けるように
「お父様から見たら、私どもの会社も、この社長も、取るに足らない相手なのは重々承知です。でも甥にとってこちらのお嬢様は、なくてはならない存在なのです。どうかここはひとつ…」
と言って深々と頭を下げた。
父親は、ふーっとひとつため息をついて
「私は、この子が小学生の頃から家に居てやることができず、ずっと寂しい思いをさせてしまった。それを、こちらの社長さんが私に代わって埋めてくださっていたようですね」
「この叔父さんに鍛えられた若者なら安心だ。どうか、娘を宜しくお願いします」
と頭を下げた。
美咲ちゃんが感動して、涙ぐんでいた。
僕たちが屋敷を出る時、美咲ちゃんが門の外まで見送ってくれた。
叔父は別の車で来ていたので、僕たちに気を使って「よかったな」とだけ言って、さっさと先に帰ってしまった。
二人きりになり、僕が
「何とかなったね?」
と言うと、美咲ちゃんは
「ん…でも、すごく恥ずかしかった」
「なんで?」
「だって。まるで私があなたを立ち直らせたみたいに…」
「本当だよ。美咲ちゃんが彼女になってくれなかったら、僕は今でもニートみたいにしてたんじゃないかな」
僕がそう言うと、美咲ちゃんが自然に身を寄せて来たので、抱きしめた。
「今日はこのまま、連れて帰りたいな」
「私も、できるならそうしたい。でも今日の私は、お父さんの娘だから…」
そう言うと彼女は、未練を振り切るように見を離し、屋敷の中に入って行った。
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