職場で急に胸を押さてて苦しみだして、すぐ救急車を呼んだが、病院に着いた時は、すでに手遅れだった。心筋梗塞だ。
幼い頃から父子家庭だった僕は、唯一の身内を失い、ひどくショックだった。
だが、悲しみに沈んでいる暇もなく、周囲がどんどん動いてゆく。
葬儀が済むと、すぐに父の会社の顧問税理士に呼ばれ、父の資産内容の説明を受けた。
普通こういう相続とかの話は、四十九日が済んでからにするらしいが、父は社長だったのでそうもいかないということだった。
それによると…
預貯金が、平均的サラリーマン年収の10年分。あと自宅マンションと、賃貸しているマンションが数カ所と、経営していた会社の株式を半分以上。
他に相続人はいないので、それらを全て僕一人が受け継ぐことになる。賃貸マンションからの家賃だけでも、就職した会社の給料の何倍もあった。つまり僕は、ぜいたくをしなければ働かなくても暮らして行ける立場になったのだ。
次に、会社の社長をどうするか。父の弟、僕の叔父が、その会社の副社長だったので、その人に社長を継いでもらえばいいと思ったのだが、その叔父から「名前だけでいいので、社長を継いでくれ」と強く頼まれた。
律儀な叔父からすれば、父の死に乗じて会社を乗っ取ったと言われるのが何より嫌だったのだろう。
結局僕は、就職したばかりの会社を辞めて、父の跡を継いだ。
だが、元々父の会社の業務にあまり興味がなかった上に、何の知識もなく決済もできない若造が、ただ社長室に座っていても、やることなんかほとんどない。
叔父が社内にいるときなら、まだ少しずつ仕事のことを教わったり、父の思い出話をしたりできるのだが、この時期叔父もものすごく忙しく、ほとんど社内にいない。
僕は次第に、何かと理由をつけて、会社に顔を出さなくなって行った。
家で暇を持て余してゴロゴロしていると、思い出すのは、エリス女学院の少女たちのこと。就職した会社は辞めてしまったので、もうあの電車に乗る必要もない。つまり、彼女らにはもう二度と会えない。いや、もちろんあの時間、あの電車に乗ればいつでも会えるのだが、いくらなんでもそのためだけに電車に乗るのは…
だが、初夏のある日、僕はついにガマンできなくなり、スーツを着て通勤カバンを持って、あの電車に乗った。
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