「どうだ?」
署内の喫煙室でタバコを吸っていたシンドウに声を掛けてきたのは、あの捜一の刑事だった。
シンドウは、俯きがちに小さく首を横に振った。
「だめだ・・。ひと言もしゃべらない・・。」
「けっ!ガキのくせにカンモク(完全黙秘)かよ!」
忌々しげな顔をしながら、捜一の刑事が吐き捨てるようにいった。
ホテルでの陰惨な事件から三日が経っていた。
確保した少女は、その日のうちにすぐに病院へ連れて行き、検査した。
右側頭部の殴打痕と、首筋にあったわずかな切り傷、それにナイフを振り下ろしたときにできたと思われる裂傷が両の手のひらに何カ所かあったが、それ以外に特別大きなケガは確認できなかった。
発見されたときの状況がひどかっただけに、たいしたケガがないとわかって束の間安堵した。
だが、問題は目に見えない心の傷のほうだった。
少女は、まるで生きる力を失ったかのように瞳に光が戻ってこなかった。
魂が抜け落ちてしまっている。
ぼんやりと虚ろな眼差しを一点に向けるだけで、感情というものを表情に出さない彼女の姿は、まさに心が壊れているとしか表現のしようがなかった。
今は、大事を取って警察病院に入院させてあった。
「あのガキは人を刺したんだぜ。手ぬるいことやってねえで、さっさと吐かしちまえよ。それとも、やっぱうちで面倒見るか?」
事件から三日が経っても、なにひとつ有力な情報を得られていなかった。
コロシ、という荒事を専門に扱う捜一のデカからすれば、腫れ物に触るような少年課の対応は、「なまぬるい」としか目に映らなかったのだろう。
「冗談はやめろ。お前さんたちの所に連れて行ったら、それこそ本当に壊されちまう。アンタらにはアンタらのやることがあるんだから、こっちのほうは任せてもらいたいもんだ」
たとえ12歳以下でも、刑事犯の場合は強行班係で取り調べを行うことができる。
「けっ!少年課ごときがなにをえらそうに!お前らの調べなんか待ってたら、いつまで経っても調書なんか作れやしねえよ!」
「どうせ作文なんだから、事実なんかお前さんたちには必要ねえだろ?」
そうだ、こいつ等の作る調書なんか、すべて誘導によるねつ造だ。
自発的な調書なんか、ほとんどありはしない。
「それより、あの子の素性はわかったのか?」
面白くなさそうな顔をする刑事に、今度はシンドウが訊ねた。
「ああ?あのガキの身元か?はぁ・・・、それがわかったら、お前の所になんか来やしねえよ。どうやら、あのホテルは初めてだったらしいが、他のホテルに照会したら、やっぱりあのガキはトランクケースを持って何度か現れていたらしい。だが、フロントにチェックインしてるわけじゃねえから、手掛かりらしいものは何も残ってねえんだ。」
ぼやくように刑事はいった。
「押収品からは?」
「そっちもだめだ。服とオモチャ以外に目立ったものは見つかってねえ。取り敢えずトランクの入手先を今調べさせてるところだ」
「じゃあ、あの赤ん坊の身元もわかってないわけだ・・」
「そりゃそうだろう。病院のセンセーに調べてもらったら、生後一年ほどだそうだ。取りあえず他の奴らに産科のある病院をしらみ潰しに当たらせてるが、そっちも今んところは、かんばしい報告は上がってきてねえな。」
「誘拐の線は?」
「もちろん調べたさ。だが、ここ一、二年であの赤ん坊に該当するような届け出はなかった。」
「そうか・・・」
シンドウは考え込むようにじっと床を見つめた。
「なあ・・」
「あ?」
「お前さんの見立てでいいんだが、あの二人の関係はなんだと思う?」
「あの二人って、あの娘と赤ん坊のことか?」
「そうだ。」
少女の持ち物からガイシャとの関係はおおかた予想がつく。
売春婦と客だ。
信じられないことだが、それはこの刑事自身がシンドウに教えたことだ。
状況から推察しても、おそらくそれは間違っていないだろう。
わからないのは、なぜあの少女が赤ん坊を抱いていたのかだ。
売春目的なら、赤ん坊が一緒にいるは不自然だ。
どうして、赤ん坊を連れて行った?
その理由がわからない。
「うーん・・そうだな。おそらく姉妹・・、そんなところじゃねえのか?」
刑事は自分の見立てを口にした。
「姉妹?」
推理としては妥当な線かもしれない。
あのふたりの年齢から考えてみても、そう判断するのが当然だろう。
しかし・・・。
「なぜ、そう思う?」
この刑事の見立てをすべて聞いてみたかった。
「なぜって、そりゃあ・・・まだはっきりとはわからねえがよ。あんな胸もねえガキの子供ってことはねえだろ?」
だよな・・・。
そう考えるのが本来なら普通だ。
「あの赤ん坊があの場にいた理由は?」
シンドウの質問に刑事はしばらく思案顔になった。
「まあ、これは憶測に過ぎねえんだが、おそらくあの娘と赤ん坊は日頃から一緒にショーバイしてたんじゃねえのか?ホテルからの目撃証言でも、あの娘が赤ん坊を抱いていたのは、今回が初めてだったわけじゃねえようだからな。」
「いつも赤ん坊連れだったのか?」
「らしいな。似たような子供を見かけたって証言は幾つもある。」
「どうして赤ん坊を連れて行ったんだ・・・。」
その理由が知りたい。
「それは、お前らがこれから調べるんだろうが。しかし、あの娘がショーバイのたびに赤ん坊を連れて行ってたのは事実だ。おそらく、なんらかの理由で預けることができなかったんじゃねえのか。まさか、あの赤ん坊までショーバイしてたわけじゃねえだろうからな。」
それを聞いて、シンドウは敢えて常識の範疇では考えられない質問をぶつけてみた。
「なぜ、いい切れる?」
「ああ!?おい、お前、まさか!?・・・」
刑事は驚いた目をシンドウに向けた。
しかし、すぐにため息を吐くと、思い直したようにつぶやいた。
「まあ、あの娘のやってたことを思えば、そう考えても不思議はねえか・・・」
少女売春。
物的証拠や状況から推測できるように、あの少女がホテルへ身体を売りに行ったのは、まず間違いない。
彼女が運び込んだトランクの中身が、まさにそれを裏付けている。
男根の責めになどとても堪えられないような身体をしているくせに、大人のオモチャまで持ち込んで彼女はそれをやりにいったのだ。
しかも赤ん坊連れでだ。
商品として売っていた、あの未熟すぎる肢体がどうしても余計なことまで詮索させる。
もしかしたら彼女は、とびきり青い春も一緒に売り込んでいたのではないのか?
常に赤ん坊連れだったという事実は、考えたくもないがそれを疑わせても仕方がなかった。
だが、刑事はそれをあっさり否定した。
「おめえが邪推するのも無理はねえが、今回に限っていえば、おそらくそれはねえな」
「なぜだ?」
「野郎が刺されているからさ」
シンドウは怪訝な顔になった。
この刑事のいわんとしていることがわからない。
だが、彼が否定してくれたことに、どことなくホッとしている自分がいた。
世の中、そこまで腐っているとは思いたくない。
「ガイシャが刺されたことと、あの赤ん坊となんの関係がある?」
怪訝な顔のまま訊ねた。
「本当に鈍い野郎だな。まあ、お前の歳じゃ、まだ正面からしか物事を見ることは出来ねえか・・・。
いいか?あの時の状況をよく思いだせ。
あの娘は赤ん坊を抱いたまま腕から離そうとしなかった。
おそらく守ろうとしてたんだ。
ガイシャはガキの力だったから助かったものの滅多刺しにされていた。
あそこまで刺しまくるってことは、よほどあの娘からひどい恨みを買っていたと考えられる。
この二つの状況から考えると、ひとつのことが見えてくる。
ガイシャがあの赤ん坊に何かしようとしたんだ。
だから、あの娘は妹を守るために狂ったように刺しまくった。
凶器となったナイフからは、ガイシャの指紋も検出されている。
これはまだ確証を得てねえが、ナイフはガイシャが持ち込んだものじゃねえかと俺は思ってる。
あのナイフを使って姉を脅し、妹に何かしようとしたところを逆に奪われて刺された。
間抜けな話しだが、そう考えると状況に整合性が出てくる。
おそらくガイシャの野郎は、あの赤ん坊の妹にも手を付けようとしたんだ。
それをやめさせようとして娘から刺された。
ってえことは、あの赤ん坊は商品じゃなかったんだよ。
預ける場所がなくて仕方なく連れて行った。それだけだ。
俺は、そう考えてる・・」
「ガイシャが赤ん坊に何かしようとしたという根拠は?」
「それなんだがな、ガイシャを調べていて面白えことがわかった。」
刑事が皮肉げな顔になった。
「面白いこと?」
「ああ。あの野郎、今じゃ北海道なんかに住んでやがるが、ほんの少し前までは、この近所に住んでたんだ。」
「この管内の奴なのか!?」
「そうだ。2浪してやっとこさ向こうの大学に入ったのに、何を考えてんだか、わざわざこっちに戻ってきて刺されてやがる。気の毒というよりはアホだな。」
「なんで、こっちに戻ってきたんだ?」
「そりゃ、わからねえが・・・」
不意に声を低くした。
「どうにも野郎の変態趣味は今回が初めてじゃねえらしい。俺の同僚が野郎のことを覚えてた。」
「なにかやったのか?」
「強制わいせつだ。16のときに公園で遊んでた女の子に悪さして補導されてる。」
「強制わいせつ?子供にか?」
「そうだ。」
「ちょっと待て。俺はそんな事件知らねえぞ。」
シンドウは少年課で刑事になった。
あのガイシャは確か二十歳のはずだったから、16といえば4年前になる。
4年前なら刑事ではなかったが、すでに籍は少年課にあった。
しかし、シンドウの記憶には、あのガイシャに覚えがないし、そんな事件があったなどと聞いたこともない。
シンドウの顔を見て、刑事がバツの悪そうに頭を掻いた。
「実は、こりゃ身内の恥をさらすみたいでいいづらいんだが、ガイシャの親ってのがお偉い代議士センセーなんだ。」
「代議士だと?」
「ああ・・」
「それで、その代議士センセーとやらの息子をどうしたんだ?」
「わかんだろ?」
「ああ。なんとなくはな・・。」
揉み消したのだ。
「向こうの親と無理矢理示談させて事件そのものを揉み消したんだ。
あのガキを公園でパクったのが、たまたまそこを通りかかったうちの奴でな。
署に連行する前にガキの身元がわかったんで、奴は上に報告するより先にその代議士センセーのところへ連絡したのさ。
当然、向こうは揉み消しを図って野郎に金を掴ませ、それで、そいつは向こうの親にあることないこといい含めて、結局、被害届を出させなかったのさ。」
「なんだとぉ?」
「ひでえ話しさ。
まだ4歳の女の子だったそうだが、突っ込まれて膣は裂け、股関節脱臼にまでされて将来は子供が産めるかどうかもわかりゃしねえ。
親は死んでも許さねえと息巻いたらしいが、被害届を出せば強姦の事実が明るみに出る。
それに、4歳じゃ証言能力も乏しいから無罪になる可能性が高い。
おまけに野郎は未成年だから、たとえ有罪になったとしても刑務所には絶対に行かない。
だったらおとなしく金をもらって黙ったほうが利口だ。
そんなことを散々吹き込んで奴は親を黙らせたのさ。」
「ひでえ話しだ。あんたンとこはほんとに腐ってやがるな。」
呆れて、声を荒げる気にもならなかった。
「まったくだ。それでもっと腹が立つのが悪い奴ほど出世しやがるってことさ。」
「おい、そのデカってのは、まさか・・・」
「うちの課長だよ。それまではたいした成績もなかったくせに以来トントン拍子に出世して、今じゃ課長様だ。」
※元投稿はこちら >>