最終話
ちゅぷ……ぐちゅん……。
「んんふっ……んん……」
怖いくらいの快楽に突かれて、軽蔑の眼差しでバイブレーターを見つめる遥香。
それ以上入ってこないで。精子も出ないくせに、いたずらに私を気持ち良くさせないでよ。そこばかり責められたら私、もう、だめ、やだやだ逝く、バイブで逝く。最低、だけど気持ちいい。
脳内に分泌した妄想が、しだいに遥香自身を飲み込んでいく。それが次に伝染するのは、ほかの誰でもない萌恵だった。
健康的な脚にもほんのり色気が差して、デニムのミニスカートに巻かれた太股がせわしくよじれている。
膣にバイブレーターを挟んだまま、遥香は少女のスカートを捲った。そこに黒いスパッツが覗く。
一応、女としての身だしなみは意識できているようでも、股間の丸みはすっかり一人前のそれになっていた。
「きっと素敵な気分になるから、安心して」
遥香はそう言って萌恵の蕾に指を這わせた。
「……!」
初めて迎える他人の指に、初めてとは思えない温もりをおぼえる萌恵。どちらかと言えば気持ち悪いはずなのに、繰り返しなぞられているうちに、そこがグズグズと湿ってくるのがわかる。
「やめて……」
「ほんとうに……やめていいの?」
「いやだ……大人……いや……」
「それならいいわ。理人くんはもう私と済ませてあるのに。萌恵ちゃんはそれでいいんだよね?」
「いやだ……それもだめ……」
こんな気持ちにさせられたのは、萌恵にとって初めての経験だった。好きな人に好きだと言えないもどかしさを見透かされ、同時に胸や下腹部をまさぐられているのだから、こんなに恥ずかしいことはない。
「大人になったら、好きな人とたくさんセックスできるし、好きじゃない人とやらなきゃいけないこともあるかもしれない。けど……、それが大人の常識なんだもん。いつかはあなたも大人になっちゃうんだから、これは誰にも止められないことなの」
それだけ言って、遥香は快感で歪んだ眉間にあきらめを浮かべて、膣の最深部にまで玩具をしゃくり上げた。
「は……は……はぐう……いい……いく……い……いきうう……」
全身はハニーローストみたいに甘く焦がされ、肌という肌が汁っぽい。
遥香の吐息に大きなハートマークが付くと、萌恵の吐息にも小さなハートマークがあらわれた。
「ああん……」
「ううん……」
「だめもう逝く……」
「私の……エッチ……」
そうして遥香の意識が果てたあと、心地良い残尿感をおぼえた萌恵もとうとう、気を失った。
*
自分の名前を呼ぶ声がして、萌恵は目を覚ました。
「比留川さん、起きて。……萌恵さん、だいじょうぶ?」
誰かに身体を揺さぶられて、うっすらと眼を開けていくと、そこには輪郭のぼやけた女性の顔があった。
「よかったあ……」
と安堵のため息が聞こえて、徐々に焦点が合ったとき、彼女がクラス担任の大橋美希であることに気がついた。
「先生……」
「こんなところで昼寝してちゃだめじゃない」
「ああ……そうだ私。いつの間に眠ってたんだろう」
きょろきょろと周りを見渡してみて、萌恵はある異変に気づく。
「あの人……いない」
「あの人って?」
「ゆうれ……じゃなくて、図書館のお姉さん。今井遥香っていう女の人」
その名前を聞いて、美希の表情がわずかに真顔になった。そして萌恵はつづける。
「大橋先生はどうしてこんなところにいるの?」
「学校の図書館に持っていく本を選ばせてもらったりとか、まあ、いろいろとね。それに──」
と美希は遠い目をして、
「友達に会いにきたの」
と肩を落とした。しかし表情は明るい。
「その友達の名前っていうのがね……、今井遥香」
萌恵は、なるほど納得した。彼女は幽霊じゃなくて、現実に存在する人だったということになる。
「でもね、二年前にその子に不幸があってね。……遥香、……今はもういないんだ」
「え?うそ!」
「大学時代の友達の中でいちばん仲が良かったから、とっても悲しくて、いっぱい泣いちゃった」
「でも私、さっきまでその人と……」
「比留川さんには見えたんだね。彼女の姿が」
「私だけじゃない。たぶん健太郎くんと、博士くんと、理人くんも見てるはずだよ」
「先生も小さい頃は、お化けとか妖精とか、そういうのが見えていたんだと思う。だけどだんだん大人になるにつれて、人の顔色をうかがったり、まわりの空気を読んだりしなくちゃいけなくなって、見えてたものが見えなくなってった。逆に大人になって初めて見えてくるものもたくさんあって、それはまあ、比留川さんが大人になったときにわかるから。ね?」
やさしい口調と、いたわる眼差しを忘れないように、教師は生徒にそう話した。
わかるような気もするし、やっぱりまだわからない部分が多い気がして、自分が大人になるのはもっと先の話だろうなと萌恵は思った。
いけない、と美希は思い出したように小声で呟くと、本の列からはみ出している一冊の文庫本を気にとめて、その背中を指でかるく押してやった。押し花のしおりが挟んである、特別な思い入れのある小説だ。
その花の匂いは今なお枯れることなく、あの頃のままのフレッシュな思い出を、いつまでも忘れないでいて欲しいと告げているようだった。
*
理人がその話を萌恵から聞かされたのは、最後に図書館へ寄った日から二日後の朝のことだった。先の二人とおなじく、理人も原因不明の熱を出して寝込んだのだが、翌日にはすっかり元気になったと言う。
そしてようやく四人が顔を揃えて、それぞれが体験した出来事を話すために、近所の公園に集った。
「あれは幽霊じゃない」
と言ったり、
「あんな綺麗な幽霊はいない」
と赤面したり、
「きっと先生の冗談だよ」
などと異議ばかりが飛び交う。
「あ、そういえば」
理人が突然立ち上がると、すぐそばの木から何匹かの蝉がおしっこをしながら飛び立った。
「俺、幽霊の写真、撮った」
「ほんとう?」
「いつの間に」
「見せて、見せて?」
みんなからの好奇の声にあおられる中、理人は携帯型ゲーム機の画面を膝の上で開いた。
電源を入れると、静止画データのアイコンをタッチする。あの日に撮影した画像が確かに保存されていた。
その中の一枚を画面いっぱいに拡大した途端、そこにいる全員の息を飲む音がした。
「なんだよこれ……」
「マサトくんのエッチ……」
「幽霊よりヤバいよ……」
そして最後に理人が、
「この画像……、絶対おかしいよ……」
と険しく言った。あの図書館の第四書庫で遭遇した人物は今井遥香と名乗っていたはずなのに、そこに写っている女性は果たして……、クラス担任の……大橋美希だった。
真夏の太陽に負けないくらいの衝撃が、四人の眼の奥にまでビシバシと迫ってくる。
そのとき、
「何かおもしろいものでも撮れたの?」
と思わぬところから声をかけられて、みんなが一斉にそちらを向く。もちろん知っている顔だった。
その人物は、健太郎、博士、理人、萌恵の順に目を配り、透き通るような笑顔でこう言った。
「あの図書館できみたちが体験したことは、ほかの誰にも言っちゃだめだよ。もしも、この中の一人でも約束を破ったら、そのときは……、ひょっとしたら……」
*
その夏、比留川萌恵は初潮を迎えた。
*
おわり
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