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夢から覚めたような感覚を引きずったまま、理人は図書館のあちこちをウロウロしていた。そうして萌恵を見つけたとき、彼女は視聴覚ルームの端末の前で考え事をしていた。
「モエ」
「あ、マサトくん」
「何かわかった?」
「うんとね、二年前の七月二十日の朝刊記事にね、こんなのが載ってるんだけど」
「どれどれ」
と理人は萌恵の横から割り込んで画面を見てみる。二人の腕が触れているので、萌恵は恥ずかしそうに横目を送る。
しかし、理人のその表情は驚きに満ちていて、いまにも何かを叫びそうな雰囲気だった。顔が少し青い。
「この記事、どう思う?」
萌恵は尋ねてみたけれど、理人からの返事はない。
「どうしたの?マサトくん、なんか変だよ?」
もう一度だけ訊くと、理人はようやく口を開いてくれた。
「いま、何時?」
萌恵は腕時計を見て、
「十時をちょっと過ぎたところだよ」
とつたえた。それを聞いて理人はますます気持ちが悪くなった。萌恵に別行動にしようと言ったときから、まだ二十分も経っていなかったからだ。
遥香との出来事はおそらく、一時間以上にもおよぶハードなものだったはずで、それを考えると計算が合わない。
「ごめん、今日は帰る」
そのセリフだけを残して、理人は視聴覚ルームを出て行ってしまった。
寂しい空気に包まれたまま立ち尽くす萌恵。そしてひらめいた。
当時、二十五歳の今井遥香という女性が発見された『第四書庫』の場所に行ってみようと、職員の一人に尋ねることにした。
「場所は教えてあげるけど、中には入れないからね」
そう言った職員の表情はどこか浮かない感じがしていて、妙に印象に残った。
萌恵が書庫のドアの前までたどり着いたとき、空気に花の匂いが差し込む感じがあった。
この匂いは、もしかして──。
そんなふうに誰かの存在を察した瞬間、目の前のドアが勝手に開いて、中から綺麗な女性が出てきた。思った通り、今井遥香だった。
「こんにちは、比留川萌恵ちゃん」
いきなり自分の名前を言い当てられて、思わず胸を押さえる萌恵。ちょっぴり驚いたけど、心臓はちゃんと動いている。
「新聞、見たんでしょ?」
と遥香。たぶん二年前の新聞のことを言っているのだろう。
「うん、見た。だけど、お姉さんがここにいるってことは、病気が治って退院できたってことだよね?」
「もう昔の話よ」
『イエス』とも『ノー』ともとれない曖昧な返答で、歯切れが悪い。
どうぞ、とドアを半開する遥香のそばを通って、萌恵は書庫の中へ入った。この人には聞きたいことがたくさんある──。
部屋の中は古い洋館の書斎みたいな落ち着きがあって、メルヘンの世界に憧れる年頃の萌恵は、無邪気に
「うわあ」
と感嘆する。
「素敵な部屋でしょ。女の子なら誰でも好きだと思う」
遥香は少女のような笑顔でそう言った。
「本がいっぱい」
「どれでも自由に読んでいいからね。だけどあなたたち、図書館に来たのは勉強のため?それとも、もっと別の理由?」
「それはその……。最初はみんなで新聞を読もうってことになって。そうしたらボッチくんとかハカセくんが病気になっちゃって。何か変だよねってマサトくんと二人で話してたんです。それで──」
「学校で噂になってる『幽霊説』が浮上してきたわけね?」
言おうとしたことを遥香に言われて、萌恵は軽く頷くだけにした。
「それ、半分当たってる」
「え?」
血の気が引いていく音が聞こえそうなくらい、萌恵はその場で凍りついた。涼しいのを通り越して、肝試し的な恐怖さえ感じる。半分幽霊で、半分人間とでも言いたいのだろうか。
「あの子たちみんな、普通じゃ体験できないことが経験できたって、すごく喜んでた」
と遥香はしゃべり出した。男子三人の顔が萌恵の脳裏に浮かぶ。
「まだ小学生だとか、もう小学生だとか、生きてくために学ぶこと自体に年齢や性別は関係ないの。何かにつけて親が物事の良し悪しを決めつけて、こそこそ隠したり無闇に禁止してしまうから、子どもはいつまでたっても大人になれない。身体は成長していくのに、心だけが未熟なまま置いてけぼりにされている。……ちょっと話が難しいかな?」
遥香が萌恵の目線に合わせて屈むと、少女は無言で首を横に振る。
「萌恵ちゃんは女の子だけど、どんなことだって男の子には負けたくないでしょ?勉強も、恋愛も、それから大人の世界も」
大人になんかなりたくない──なんて感情的なセリフを言ってやりたいのに、結局は何一つまともな言葉が出てこない。目の前にいる人物が幽霊と人間のハーフなら、自分は大人と子どものハーフかもしれない、萌恵はそう思った。
「健太郎くんと、博士くんと、理人くん。あなたが好きなのは、理人くんだよね?」
「ちがう」
と萌恵は頬を赤らめる。自分の気持ちは誰にも知られたくない。たとえ相手が幽霊だとしても。
「彼がここで私とどんなことをしていたのか、何を見たのか、あなたにも教えてあげる」
あくまでもお姉さん目線を変えずに、遥香は萌恵のすぐそばで、自らの胸を服の上から撫でまわしはじめる。
金縛りみたいに、萌恵はそこから動けない。ただじっと遥香の行為を見ているしかなかった。
「ここをこうすると、とっても気持ちがいいんだよ」
着衣をシワにしながらバストを揉む遥香の片手が、そろそろと萌恵の胸部に伸びていく。そこはまだ発育途中の薄い膨らみしかなくて、ロリータ趣味でもなければ見過ごしてしまうだろう。
大人の大きな手のひらが、少女の小さな木の実に触れる。その一瞬、萌恵は肩で息をした。明らかに胸のあたりが熱くなっていく。
早熟な心と未熟な身体のバランスが保てなくなって、全身がぼうっと空中に浮かんでいるみたいだった。
「好きな男の人に愛されるためのレッスンだから」
萌恵の胸をやさしく撫でながら、遥香は自分のスカートの中に手を入れて、そのまま下着を脱ぎ捨てた。
そして隠しておいた男性器型の玩具を手に取り、さっきまでショーツを被っていたその部分へ、一直線に入れていく。
*
つづく
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