第54話
陸上さんと海上さんが闘っている。
それぞれに相手をしていたのは、ゴリラ1とゴリラ2。
肉の鎧が分厚いせいか、ゴリラ1,2ともに、なかなか簡単に倒れない。
だが、海上さんも陸上さんも戦闘のプロだ。
うまい具合にゴリラ1,2をシホたちから遠ざけてくれた。
オレの前にいたのは、ナイフ使いだけ。
そのナイフ使いの後ろには、シホとコトリ。
「ママっ!ママっ!」
シホはまだ意識が戻らない。
さっさと起こせコトリっ!
こいつさえぶっ倒せば、シホたちを奪い返せる。
だが、そう簡単に行きそうにない。
「よう、ナイフ野郎・・。テメエ、いったいどういうつもりだ?」
簡単にいかないのは闘っていないからだ。
「テメエ、やる気がねえのか?」
さっきからずっと見合ったままだった。
互いに構えているが、距離が縮まらない。
押せば引いて、引けば押し返してくる。
そんな状況がずっと続いている。
なに考えてやがる?・・・。
ナイフ使いと闘ったことはほとんどなかった。
これだけ本格的な奴となると皆無だ。
それだけに、こいつの思考が読み取れない。
これが戦術なのだとすれば、迂闊には動けない。
「ママっ!!」
コトリが弾けた声を出した。
やっとシホが意識を取り戻したらしい。
「コ、コトリ?・・・コトリっ!!!」
目覚めたシホが、すぐさまコトリを抱きしめる。
大事な宝物を盗られまいとするような仕草だった。
何からなにまで似ているふたり。
わずかに輪郭が違うだけで双子のような顔をした似たもの母子。
なんでお前下着なんだ?
「シホ!そこを動くなっ!!」
シホの目がタカに向けられる。
「タカ・・くん?」
年下のくせに君付けしてんじゃねえよ。
いらん心配ばっかり掛けさせやがって。
明日からは「タカ様」って呼ばせてやる。
・・・・・・・・。
やめた。
コトリは絶対「バカ様」って言うに決まってる。
「いいかっ!!絶対にそこを動くんじゃねえぞ!!」
勝手に動き回られたら、こっちの算段が狂う。
取りあえず、どうにかして目の前のナイフ野郎を遠ざけなけりゃならない。
陸上さんからは、牽制だけでいいと言われたが、こっちもそれほどおとなしいわけじゃない。
取りあえず仕掛けてみっか?
一歩、前に出た。
あれ?
ナイフ野郎があっさり構えを解いた。
もうやめた、と言いたげに、無造作にナイフを内ポケットへと仕舞っていく。
「どういうつもりだ?」
「そろそろ潮時さ・・・。」
「潮時?・・。」
「耳、すましてみな・・・。」
ああ?
殺気を放っているときは気が付かなかったが、近くにサイレンの音が聞こえていた。
誰かが通報したのだ。
「お前、何もんだ?」
こいつはシホを奪いに来た襲撃者だ。
だが、他の奴らとは違う。
うすうす気付いていた。
「誰だっていいさ。」
ナイフ野郎は、いきなりきびすを返して無防備に背中を向けた。
ツカツカとシホたちのほうへ向かって歩き始めた。
ナイフ使いが近づいてきたのを見て、シホがコトリを奪われまいとするように抱え込んだ。
コトリは、歯を剥き出しにして、男を見上げながら威嚇するように唸っている。
お前、犬か?
「嬢ちゃん。悪いけど、そこ、どいてくれるかい?車、動かしてえんだ。」
ああ?
シホがコトリを抱いたまま、恐る恐る車を離れる。
離れたのを見届けて、ナイフ野郎は無造作にオフロード車に乗り込んだ。
オレは、すぐさまシホたちのところに駆け寄った。
「大丈夫か?」
見たところケガなどはしていないようだった。
「なに?あいつ?」
コトリが、シホの胸の中で怪訝そうな目を向ける。
まったくオレも同意。
コイツらは確かシホたちをさらいにきたはず。
ナイフ野郎の思考が、全然読めない。
シホの肩を抱き寄せて、ナイフ野郎の動きを追い続けた。
奴がオフロード車のエンジンに火を入れる。
重低音の爆音を轟かせ、2,3回エンジンの空吹かしをさせると、いきなりタイヤを空転させて、陸上さんたちと闘っているゴリラ1,2めがけてオフロード車を疾走させた。
4人の間に割り込むようにオフロード車が突っ込んでいく。
猛然と突っ込んできたマシンに驚いた4人がそれぞれの方向に飛び散った。
蹴散らすように疾駆したかと思ったら、オフロード車は一度も停まることなく勢いそのままに走り去ってしまった。
闇夜に灯る赤いテールランプが瞬く間に小さくなっていった。
なんだありゃ?
「大丈夫だったか?」
見送りながら、細い肩を引き寄せて、もう一度シホに訊ねた。
なんで下着姿なんだよ?
震えていた細い肩。
子供みたいなあどけない顔が、泣きそうな目でオレを見上げていた。
「うん・・・。」
緊張感から解き放たれてホッとしたのか、シホはコトリを腕に抱えたまま、倒れるように胸の中にもたれかかってきた。
受け止めて、抱きしめた。
本当に細い身体だった。
剥き出しになっていた華奢な肩が痛々しかった。
こいつの過去なんか関係ない。
震えている背中を腕の中に包み込んで、素直にそう思った。
オフロード車が突っ込んだことで一時的な狂乱は治まったが、戦闘はまだ続いていた。
ベンツのそばでは、第3の男と闘っているシノちゃんが苦労している。
木刀を構えるシノちゃんの腕を持ってしても叩き伏せることができないとは、あいつもかなりの手練れらしい。
「いいか、ここを動くなよ。」
「タカくん・・・。」
不安そうな目が見上げていた。
つぶらな大きな瞳が、行かないでくれ、と訴えていた。
「大丈夫だ。お前らは必ずオレが守る。」
シホの頬を手にとった。
自分でも意外だったが衝動は抑えられなかった。
コトリが見ていてもかまわなかった。
シホに口付けた。
重ねた唇を離すと、潤んだ瞳が見つめていた。
その瞳の中にあったのは、絶対的な信頼感。
もう一度、口付けた。
さてと・・・。
シホの腕の中でコトリが泣きそうな顔になっていた。
コトリの頬も手のひらにとった。
「お前はチューしてくんないの?」
笑いながらいってみた。
コトリの顔が、くしゃ、と歪んだ。
泣きながら身を乗り出してきたコトリは、細い腕を伸ばして、縋るように首にしがみついてきた。
すぐに小さな唇を押しつけてきて、一生懸命キスをしてくれる。
シホよりもずっと長くキスをした。
しゃくり上げて、鼻水をすすりながらも唇を離そうとしないコトリが、可愛らしくて仕方なかった。
こんないいもん、誰がひとにやるかよ・・・。
つか・・・。
いい加減、離れろ!
いつまでもやめようとしないコトリを無理に引っぺがして、ふたりを見た。
「いいか?ここから、絶対に動くなよ・・・。」
オレに向けられていたのは、信頼の眼差し。
わずかに輪郭が違うだけの双子のようなふたりが、オレを見つめながらゆっくりと顔を頷かせた。
よしよし、あとでたっぷり可愛がってやっからな。
いよいよ今夜から始まる親子丼。
満足の笑みを浮かべて、ふたりに背を向けた。
よっしゃ!エネルギー充填完了!!
どっちから加勢に行く?
ベンツの手前では、第3の男とシノちゃん。
左手のアパート前では、ゴリラ1,2と闘う陸上さんと海上さん。
あれ?
そういえば、シゲさんの姿が見えないことに気がついた。
どこにもシゲさんの姿がない。
目をこらして薄闇の中を探した。
シノちゃんの軽自動車の向こう側にうつ伏せに倒れる人影を瞳が捉えた。
あれは・・?
シ、シゲさんっ!!
間違いない、あのスーツはシゲさんだ!
やられたのか!?
慌てて駆け寄ろうとした、そのときだ。
「きゃあああっ!」
突如、背中から湧いた鋭い悲鳴。
「シホっ!!」
慌てて振り返ると、シホが黒ずくめの男に髪を鷲掴みにされていた。
「よう、兄ちゃん・・・。見せつけてもらって申し訳ねえが、こいつは俺のもんなんだ。悪いけど、返してもらうぜ・・・。」
シホの髪を握ったまま、黒ずくめがいった。
こいつが、シホの・・・。
てめえがド変態オヤジか!と悪態をつきかけて、とっさにその声を呑んだ。
コトリの耳に入ったらやばい。
コトリは、シホの腕に抱かれたままだった。
あいつは何も知らない。
近親相姦の果てに生まれた子だなんてわかったら、コトリが傷つくことは必至。
じっ、と黒ずくめを睨めつけた。
黒ずくめは、羽交い締めにしたシホとコトリを盾にしながらジリジリと回って、ベンツのほうへと向かっていく。
あれで逃げる気か?
させるわけにはいかなかった。
ベンツの中に逃げ込まれたら終わる。
ナイフ野郎のときと同じように、爆音だけを残してあっという間に暗闇の彼方に消えてしまうことになる。
そうなったら手の打ちようがない。
何とかしなければ。
だが、格闘をやっているものならばわかるが、「格」という目に見えないオーラは確実に存在し、そして、黒ずくめの身にまとう強烈なオーラが、なかなかオレを容易に踏み込ませなかった。
張り詰めた空気が伝播したのか、シノちゃんと第3の男も、じっと互いを見合ったままで指先ひとつ動かさないでいる。
シノちゃんと第3の男は、ベンツの真後ろで対峙していた。
「シノちゃん、離れてろ・・・。」
どうにも正攻法では、うまくいきそうにない。
玉砕覚悟で突っ込むつもりだった。
乱打戦に持ち込むことができれば、勝機が見えるかもしれない。
しかし、何が起こるかわからないから、できるだけ人払いをしておきたかった。
「タカさん・・・大丈夫ですか?」
シノちゃんの声にも不安の色がある。
シノちゃんにも気配で黒ずくめの男がただ者でないと気付いたのだろう。
「わかんない。でも、やってみるしかなさそうだわ。」
「では、気をつけてください。」
シノちゃんの視線は、第3の男に向けられたままだった。
タカにいわれたとおり、ジリジリと下がりながら第3の男との間合いを広げていく。
タカの斜め後ろでは、陸上さんたちがゴリラどもと闘っていた。
圧倒はしてるが、まだ、とどめを刺すまでには至っていないらしい。
決め手を欠いて、泥沼化しているといったところだった。
「動くな、コトリ・・・。」
お転婆娘は、シホごと黒ずくめの男に抱きかかえられていた。
男の腕に、いまにも噛みつきそうな顔になっている。
目を見ればコトリの考えてることなんてすぐにわかる。
ヘタなことはさせたくなかった。
あいつに逆らえば、たとえ子供でも容赦はしない。
そう思わせるだけの冷酷な眼差しが、タカに向けられている。
大きく息を吐いて、腰を落とした。
最初の跳躍にすべてを掛ける。
その一歩で奴との勝負が決まる。
いつの間にか、背中にびっしょりと汗をかいていた。
覚悟を決めたものの、なかなか、その一歩が踏み出せない。
恐ろしいのではなく、奴にまったく隙がないのだ。
しょうがねえ・・・。
一か八か・・・行ってみるかっ!!
覚悟を決めた、その瞬間だった。
意外な方向から刺客が放たれた。
シノちゃんと対峙していたはずの第3の男が顔も向けず、唐突に腕だけを振って、それまでシノちゃんに向けていたナイフをオレに向かって投げたのだ。
気配を読まれて、先手を打たれた。
当てずっぽうの割には狙いは正確だった。
ナイフの切っ先がまっすぐに、こっちへと向かって飛んできた。
「くっ!」
上体を反らして、とっさに後方へと飛んだ。
鼻先をナイフがかすめていった。
あ、あぶ!・・・。
体勢を崩して、その場に倒れ込んだ。
転倒した視界の先で、黒ずくめの男がシホたちをベンツの中に引きずり込もうとしているのが見えた。
やべっ!!
「きえぇぇぇぇぃっ!!!!」
慌てて立ち上がろうとしたところに、今度はシノちゃんの凄まじい気合いが夜空の下に響いた。
第3の男の手からエモノがなくなったと見るや、シノちゃんがここぞとばかりに襲いかかったのだ。
上段に構えた木刀で第3の男を叩きに出た。
予想していたのか、第3の男はアスファルトを強く蹴って後ろへ飛んだ。
だが、目の前の小娘の跳躍力を甘く見ていた。
第3の男が、とん、と地面にかかとをつけても、まだ娘は迫って飛んできた。
一気に間合いを詰められそうになり、第3の男は慌ててまた飛ぼうとした。
だが、焦った奴はバランスを崩して、後方によろけた。
たたらを踏んでよろけた先には、シホを車中に引きずり込もうとしていた黒ずくめがいた。
ふたりは激しく交錯して、黒ずくめの手から握っていたシホの髪が解き放たれた。
「逃げろっ!シホっ!!」
自由になったシホの姿が見えた。
タカは、声の限り叫んだ。
だが、次の瞬間、
え?
何が起こったのか、わからなかった。
ベンツの重々しいドアが閉められる。
黒ずくめの乗り込む後部座席のドアが閉められると、第3の男も運転席に飛び込んでいった。
間髪をおかずに耳をつんざくような爆音が夜空の下に轟いた。
壮絶なホイールスピンをかまして、白煙を巻き上げながらベンツが勢いよく走り出す。
タイヤを鋭く鳴らしながら走り去っていくベンツのテールランプが、あっという間に暗闇の向こうに消えた。
それを見送るだけで、呆然とその場に立ちつくすしかできなかった。
なぜだ?・・・どうして?・・・。
どんなに考えても、わからない。
コトリの泣く声が聞こえる。
シノちゃんに抱えられながら、アスファルトに膝を突いたコトリが、ベンツの消えた闇に向かって、ママ!ママ!と大きな声で泣いていた・・・。
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