――第53話――
「相変わらず、腕は落ちてねえな、いっちゃん・・。」
まったく動じた様子もなく、重丸の目の前に立ちはだかっていた黒ずくめの男。
「はあ、はあ・・・・。」
重丸の吐く息が荒い。
目の前に立ちはだかる和磨を鋭い眼光で睨みつけていた。
気合いは十分だったが、正面に構えた木刀の先が小刻みにブレて止まらなかった。
「嬉しいぜ、いっちゃん、昔のままでよ・・・。」
「はあ、はあ、お前は・・だいぶ変わったがな・・・。」
いいや、こいつこそ昔のままだ・・・。
昔のままどころか、さらに進化して完全な化け物になりつつある・・・。
「おう、そうかい。まあ、いっちゃんも昔はダチを売るような奴じゃなかったからな、お互いに変わったってことで痛み分けにしとこうぜ。」
「はあ、はあ、そうか、それはありがたいことだ・・・。だったら、このままおとなしく青森へ帰れ・・。」
くそ・・・たった一太刀さえも、入れることができないとは・・・。
「そりゃあ、無理だ。ツグミはきっちり連れて帰る。保護者が子供を引き取りに来ただけだ。なにもそんなにムキになるこたぁねえだろう?」
「保護者だと?貴様、どの面さげて言ってるつもりだ?シホは・・・シホは絶対に渡さんぞ!」
命に代えても守ってやると約束した。
「ああん?しほ?誰だそりゃ?・・・・ああ、確かいっちゃんの娘にもうひとり、そんなのがいたっけな。行方不明になったんだっけ?・・・・なんだ、そういうことか・・・。」
なぜ、志帆のことを?・・・。
「貴様、なぜ志帆のことを知っている!?」
志帆が行方不明になったことは、こいつに話していない。
「決まってんだろ?」
重丸の目の前で、残忍なほどにやけていった顔。
唇の端を大きく吊り上がらせた。
そこに立っていたのは、まさしく人間の皮を被った悪魔。
「うちにいたからだよ。」
勝ち誇ったように笑っていた。
「き、貴様ぁ・・・。」
薄々予感はしていた。
あまりに出来過ぎていた志帆とツグミの酷似。
ツグミは、知らぬ存ぜぬと首を振るばかりで、いまだに教えてはくれない。
だが、話が出来すぎている。
同じ名前、同じ誕生日、そして、マグダラのマリア。
キリスト教徒でもマグダラのマリアの聖名祝日を知るものは少ない。
ツグミは間違いなくなにかを知り、そして、それを隠している。
だからこそ、ツグミに固執したのだ。
「貴様!俺の娘をどうしたぁっ!!!」
日の当たる場所に出ることのなかったツグミが志帆を知っている。
それは、つまり志帆が同じ境遇に置かれていた可能性を示唆している。
ツグミは、かたくなに知らないと言い続けた。
そんなはずはないのだ。
彼女は確かに娘に会っていたはずなのだ。
だが、それを認めようとしなかった。
和磨の支配下から逃れてもなおだ。
それはつまり、話したくとも話せない状況にあったということだ。
ツグミの表情を見ていてわかった。
つまりは、そういうことなのだ。
「貴様・・・いったい・・・いったい、俺の娘になにをしたんだっ!!!!」
しかし、だからといって割り切れるはずがない。
怒りは頂点に達していた。
「おいおい、勘違いすんな・・・。」
勘違いだと?・・。
にやけた顔が許せなかった。
そこにいたのは、俺の知っているカズじゃない。
「貴様・・・殺してやる・・・。」
気が付けば地面を蹴っていた。
殺す勢いで、突きに出た。
何が何でも吐かせるつもりだった。
「おっとっ!!!」
だが、冷静さを失った剣に正確さはなかった。
「惜しかったな。あと5歳若けりゃ、入ってたかもしれねえな。」
ズボンのポケットに両手を突っ込みながら悠然と構える和磨に、慌てる素振りは微塵もない。
「はあ、はあ・・・志帆は・・・志帆はどこにいる・・。」
嘲りや皮肉など、どうでもいい。
重丸の脳裏には幻の娘の所在、その一点しかない。
和磨は答えない。
傲然と佇みながら、嘲るような表情で重丸を眺めているだけだ。
「答えろ!!和磨ぁぁぁっ!!!」
血液が沸騰している。
沸騰しすぎて網膜が赤く染まり、見るものすべてが血に塗れているような気さえする。
重丸の叫びに、和磨が、しょうがねえな、といった顔をした。
表情は、にやついたままだった。
和磨には重丸の娘など、どうでもいいことだった。
だから、彼は無慈悲に答えることができた。
「もう、いねえよ・・・。」
あっけない答えだった。
「やっぱり・・・やっぱり、お前のところに居たのか?・・・。」
声が震えた。
声だけじゃなく、手足が震えた。
愛してやれなかった幻の娘が、まさか、かつての友の所にいたとは。
しかも、欲望の捌け口とするための道具とされていたとは。
きっと、そうなのだ。
ツグミがさせられていたのと同じ事を、和磨は、志帆にも強いたのに違いないのだ。
だから、ツグミは事実を伝えることができなかった・・・。
「いない、とは・・・いないとは、どういうことだ!?」
声は震えたままだった。
志帆は生きていた。
その事実だけで驚愕に値した。
生きていて欲しいとは望んだ。
だが、あまりにも情報が乏しすぎた。
生きている痕跡がなさ過ぎた。
あきらめたくはなかったが、あきらめざるを得ない状況がずっと続いていた。
だから、重丸は志帆をあきらめた。
しかし、あきらめることができたおかげで、ツグミを「志帆」として蘇らせることができた。
志帆は捜索願を出されていたが、「失踪宣告」はされていなかった。
つまり法的には、まだ生きていた。
居住の実態がなければ住民票は消えるが、死亡が確定しないかぎり戸籍は復活する。
ツグミと入れ替えることで志帆を蘇らせることは可能だった。
10歳ほどの歳の開きはあったが、女性の見た目ほど誤魔化しの効くものはない。
化粧をしてしまえば年齢など幾らでもごまかせる。
現にタカはまったく気付いていなかった。
戸籍さえ復活すれば、そこにコトリを紛れ込ませることは、役所勤めの重丸には造作もないことだった。
不正には違いないが、ひとを助けるための不正だった。
人の世は、ときとして悪が必要となることがある。
必要だからこそ、人類発祥から悪が消えたことは一度もないのだ。
重丸には重丸の価値観と倫理感があった。
そして、己の信じた価値観と倫理感に従い、ツグミを志帆として生き返らせた。
志帆が死んだとあきらめたからこそ、可能となった入れ替えであった。
「やっぱり・・・やっぱり志帆は、生きていたんだな!!!」
だが、志帆は生きていた。
そして、目の前の男が、その所在を知っている。
「いっちゃんよ・・、そんな死んでんだか生きてんだかわかんねえ娘よりも、もうひとり立派な娘がいるじゃねえか?欲かかねえで、そこで大立ち回りしてるお転婆娘だけで我慢しておけよ。なかなか立派な娘なんだろう?べっぴんさんだし、頭だっていい。市長さんに花束までくれてやることのできる娘なんて、そうそういねえぞ・・・。
そんないい娘がいるんだからよ・・・、欲かいて他人様の娘まで盗るんじゃねえよ・・・。」
「そんなことは聞いてない!志帆をどこにやったと聞いてるんだ!!!」
「しほ、しほって、うるせえんだよ。そんなに大事なら鎖に繋いで飼っとけ・・・。ああ、鎖に繋がれてたっけな・・・。もっとも、飼い主は俺じゃねえけどな・・・。」
「き、貴様ぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
怒りに我を忘れた。
まんまと和磨の挑発に乗せられた。
重丸は怒りにまかせたまま飛び込んでしまった。
上段からの面一線。
冷静さを失った男が、この肉体を凶器と化していた男に適うはずがなかった。
「ぐぅっ!!!」
和磨の拳が、がら空きになった脇腹に深々とめり込んでいた。
重丸のすぐ横に、和磨の顔があった。
「さっきのは撤回するわ・・・。老いたな・・・。こんな挑発に乗るとは・・・。」
顔色ひとつ変えず、耳元でささやいた。
「ぐはっ!!!」
一瞬で、意識を断ち切るほどの強い衝撃。
意識を切られなかったまでも、もはや、重丸に反撃する力はなかった。
その場に膝をついてくずおれそうになった。
「し、志帆は・・・志帆は・・・どこに・・いる?・・・・。」
執念が、重丸に膝を突かせなかった。
なんとか和磨にしがみついて昏倒することだけ免れた。
志帆に対する思いだけが重丸の意識を繋いでいた。
だが、そんな重丸に和磨は冷たい目を向ける。
「知らねえよ・・・。」
スーツを掴んでいた重丸の手を和磨が握った。
その手を引き剥がしただけで、いとも容易く重丸はその場に倒れた。
倒れた重丸を和磨は冷たい目で見おろしていた。
重丸に意識はなかった。
渾身の一撃だった。
和磨はしばし、その場に立ちつくした。
向こうでは、まだトリヤマたちが大立ち回りをやっている。
遠くからはサイレンの音も聞こえていた。
それは間違いなくこちらへと近づいている。
誰かが通報したらしい。
これだけ騒げば、通報もされる。
粛々とやるはずだったのが失敗した。
だが、襲撃そのものが失敗したわけじゃない。
やれやれ・・・。
和磨は、きびすを返した。
一歩踏み出して立ち止まる。
振り返った。
倒れる重丸を見つめた。
そこには昔となにも変わらない顔があった。
「心配すんな・・・生きてっからよ・・・。」
意識の切れた重丸に、その声が届いたかはわからない。
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