――第52話――
ものすごい速さで景色がスライドした。
タイヤが悲鳴を上げて、シノちゃんの操る軽自動車がドリフトする。
やっと停車した時には、オレもシゲさんも車体の外に飛び出していた。
駆け出した勢いそのままに、シホを担ぐ男の元へ向かおうとしたところで、黒のベンツが立ちはだかるように猛然と突っ込んできた。
危うく轢かれそうになり、コンクリートの地面を蹴って寸でで避けた。
勢い余って転がり、体勢を立て直そうとしているところにベンツから飛び出してきた黒い影が、すぐさまオレに向かって襲いかかってくる。
素早い動きだった。
ひゅっ!と風を切って繰り出された回し蹴り。
スウェーしてかろうじてかわしたが、わずかに届いた前髪が、チリ、と焦げた。
こいつは・・・。
(襲撃者のうち、ひとりは間違いなく手練れだ・・・。)
シゲさんのいっていた、あいつか?・・・。
全身黒ずくめの男は、じっとオレを見ていた。
奇襲に失敗したら今度は観察する気になったらしい。
やべ・・・。
闇雲に向かってくる相手なら得意の乱打戦に持ち込むことも可能だ。
だが、どうやらこいつにはそれが通用しそうにない。
じっとこちらを見据えて、食い散らかすタイミングを見計らっていた。
腕に自信があるから、自分の「間」で料理する機会を窺っているのだ。
この野郎・・・。
男からは、ひどく強烈なオーラが感じられた。
いわゆる「格」という奴だ。
修羅場は多く経験してきたが、こいつほど圧力のあるファイターは覚えがなかった。
奴は、じっとこちらを見据えている。
外灯の光りは届いているが、顔には暗い影ができて表情がよく見えない。
きっと笑ってんだろうよ・・・。
そんな気がした。
さて・・。
左手を前に突き出し、ゆったりと腰を落として構えた。
接近戦の基本姿勢。
左手はデコイ。
本命は右。
乗ってくれるかな?・・・。
久しぶりに感じた高揚感。
これほど背筋を震わせてくれた相手はシゲさん以来久しぶり。
目の前の男に、なぜかシゲさんと同じ匂いを感じていた。
じりっ、とにじり寄って、前に出ようとしたときだった。
「和磨ぁっっ!!!」
男の後ろでシゲさんが叫んだ。
オレが目の前にいるにもかかわらず、その声に反応して男が呆気なく振り返る。
「よう、いっちゃん、久しぶりだなぁ。」
「カズ!おとなしくこの場から立ち去れ!」
シゲさんが木刀を構える。
「なんだよ、久しぶりに会ったってのに、ずいぶんとつれねえじゃねえか。」
男は臆する様子もない。
シゲさんは冷静だった。
「タカ!シホのところに行け!」
あ、いけね、忘れてた。
慌ててベンツを飛び越え、オフロード車に向かう。
ドアは、まだ開いていた。
黒い車体に背中をもたれさせて地面に置かれていた白い肌。
なぜかシホは車の中に放り込まれていなかった。
「シホっ!」
慌てて駆け寄ろうとしたところで、目の前に立ちふさがったのは、さっきとは違う影。
まあ、そうなるわな・・。
「どけ・・・。」
いってみたが、相手に動じた様子はない。
ずいぶんと痩せた男だった。
年齢は、たぶんオレと同じくらい。
身長は向こうのほうが少しだけ低い。
ラッキー♪
なんて思ったのも束の間、にらんだ先で男がスーツの内側に手を入れていった。
抜き出した手のひらに握っていたのは、暗闇の中でも鋭い光りを放つナイフ。
すっと、がに股になって腰を落とした奴は、低い姿勢を保ちながらオレに向かって独特の構えをとった。
げっ!こいつナイフ使いかよ!?
持ち方で慣れているとすぐにわかった。
マン・トゥ・マンの格闘戦なら、おそらく地上最強はナイフ使いだ。
修練を極めたナイフ使いに適う奴はまずいない。
ただし、修練を極めたら、の話しだ。
互いにジリジリと摺り足で移動しながら、円を描くように対峙した。
描いた円はなかなか縮まらなかった。
ナイフ使いの前に迂闊に飛び込むなんざ、殺してくださいと言っているようなもんだ。
向こうが先に動くのを待っていた。
どんな格闘でも先手を取るのが基本だが、ことナイフ使いに関してだけは勝手が違う。
相手の動きを何手先まで読めるかが勝負の分かれ目になる。
こいつは左手にナイフを握っている。
胸の下に構えていた。
手の甲が上になっていた。
ってことは、利き腕じゃない。
こっちはブラフだ。
本命は右。
きっと途中で右手に持ち替える。
ってことは、オレよりも背が低いから、まずは下から入ってきて、左手はブラフだから、えーと・・・。
先に動いたのは向こう。
やっぱり下から入ってきたが、突いてきたのではなく、払うように横一線にナイフを走らせた。
入り方もうまかった。
左手に移動しながら、右と思わせて、そのまま左側から姿勢を低くして入ってきた。
流れるように入ってきたものだから、わずかに対処が遅れた。
大きく伸ばした奴の腕が、オレの腹をかすめていく。
そのまま返す刀で、反対に払ってくると思っていたオレの意表を突いて、奴は流れのままに、くるりとその場で一回転すると、今度は下から腕を伸ばしてナイフを縦に走らせた。
地面すれすれの位置から、驚くほど態勢を低くした奴のナイフが、一直線に真上に上がり、オレの鼻先をかすめていった。
あ、あっっぶねえええええぇぇ!!
たった2度だけの単調な攻撃で終わったから助かったものの、あれを連続でやられていたら、オレは間違いなく血塗れになって地面に転がっていただろう。
奴はなぜか単発で攻撃を終わらせると、わずかに間を開けてオレとの距離をとった。
間を詰めようと踏み出した瞬間、耳元を何かがかすめ、パン!と遅れて乾いた音が耳に届いた。
「ミノ!なにしてやがる!さっさとそいつを叩っ殺して女を連れてこい!」
オレに銃口を向けながら叫いていたのは、3人目の男。
やば・・・飛び道具まで出てきたよ・・。
ベンツのドアを楯にしながら、そいつはオレに銃を向けていた。
前門の狼、後門の虎とは、まさにこのこった。
「キェェェェェェエッッ!!!」
そのとき突然湧いた、けたたましい叫び。
大和撫子だろうが女の子だろうが、剣道の気合いはすさまじい。
腹の底から響くような掛け声とともに、だんっ!と一気に踏み込んだシノちゃんは、5メートルほどの距離を一瞬にしてゼロにしてしまい、3人目の男が持っていた銃を木刀で華麗に叩き落とした。
「タカさん!こっちはまかせて!」
うは♪惚れちゃいそう。
銃にもビビらず、毅然と立ち向かっていくあたりは、さすが春雷重丸の娘。
あいよ、と心の中で返事をして、視線を戻した瞬間だった。
いきなりオレの視界を塞いだ黒い影。
ナイフ使いが、目の前に立っていた。
目の前なんてもんじゃない。
まさに目と鼻の先。
オレの腹を押していたのは、奴の握るナイフの切っ先。
まずった!
視界から外したわけじゃない。ずっと目の端に捕らえてはいた。
意識が、ほんのわずかシノちゃんたちに向いてしまった。
そのほんのわずかの隙を、奴は見逃さなかったのだ。
一瞬覚悟した。
「タカぁ!!!!!」
そのとき、いきなり空から降ってきたコトリ。
なんだお前!
どっから湧いて出た!
救いの女神登場!!
しかし、ナイフ使いのほうがコトリの落下よりも一瞬早かった。
まったく動じる様子のなかったあの野郎。
トン、とバックステップしながら伸ばした右腕で、オレの胸を突いてきた。
やられた!
え?
オレの胸の上にコトリが落ちてくる。
体を真横にしたままで、その落ち方は、まさしくフライングボディアタック。
「おわっ!!!」
受け止めるのが精一杯で、思わずこけていた。
「大丈夫か、コトリ!?」
柔らかい体が腕の中。
「うん♪」
愛らしい笑みに思わずホッとするも、今は戦闘の真っ最中。
こんな所を襲われたらひとたまりもない。
コトリを腕に抱えたまま、視線を周囲に走らせた。
意外なことに、ナイフ使いは、こちらの様子を遠巻きに眺めていただけだった。
「ママ!!!」
ナイフ使いの後ろで意識を失っているシホにコトリが気付いた。
ナイフ使いに気を取られていたオレは、一瞬反応が遅れて、コトリを腕から離してしまった。
「コトリ!」
シホの身体は、ナイフ使いの真後ろにあった。
そのシホに向かってコトリが一直線に走っていく。
急いで掴まえようとしたところに、また何かが降ってきた。
「どはっ!」
「ごふっ!」
どすん、ばすんと、地響きでも起こしそうな、いかにも重たげに落ちてきたのは大男がふたり。
下敷きになりそうになり、転がりながら慌てて避けた。
ふたりは、ごろごろと転がって着地するや、すかさず態勢を整えて四方へと目を走らせる。
図体がでかい割に身のこなしはよかった。
コトリを見つけて大男のひとりが叫んだ。
「このガキぃ!!!」
どうやら、こいつらも奴らの仲間らしい。
コトリは、ナイフ使いの横を呆気なくすり抜けていた。
奴は、余裕しゃくしゃくでポケットに両手を突っ込んだまま、コトリには見向きもしなかった。
「お前らの相手はこっちだ!」
大男たちがコトリを追いかけようとするのを慌てて止めた。
奴らがオレに気付いて振り返る。
はは・・こりゃ、やべえな。
オレの前には、ナイフ使いと大男がふたり。
ちらりと後ろの様子を確かめると、シノちゃんは銃を向けていた男と格闘中。
今度は銃の替わりにナイフを手にしていた第3の男。
意外と動きがスムーズで、シノちゃんも少し苦労してる。
あの野郎、なかなかやるじゃねえか。
シゲさんもオレが最初に闘った相手とにらみ合いを続けていた。
ふたりに助けを求めることはできそうにない。
1対3かよ・・・。
状況を把握したのか、大男ふたりは狙いをオレに切り替えたようだった。
オレを挟むように、ふたりが左右に移動しながら広がっていく。
その隙間に入ってきたナイフ使い。
やばいどころじゃないんですけど・・。
手ぶらの相手なら3人でもなんとかなる。
だが、一人はナイフ使いだ。
あの野郎に攻撃参加されたら、まず防ぎきれない。
あいつ等の向こうで「ママ!ママ!」とコトリが必死にシホを呼んでいた。
泣き出しそうな声が、いじらしかった。
しゃあねえな・・・。
守ってやると心に決めた。
こりゃ、マジで命落とすかもしれねえな・・。
でも、かまわない。
あいつ等のいない世界のほうが、オレには辛い。
ゆっくりと大きく息を吐き出した。
静かに腰を落として、意識を集中しながら左手を前へと大きく突き出す。
丹田に気を込めて、手足へと送る。
こっからはマジの本気モード!
ありゃ、かぶったか?
どっちだっていい!!
一気に突っ込もうとした、その時だ。
突如オレの背後から飛び出してきたふたつの影。
新手か!?
飛び出した影は、オレの横をすり抜けると、そのまままっすぐ奴らに向かっていった。
ふたつの影がしなやかに跳躍する。
ひとりは右の大男。
もうひとりは、左の大男に対峙して、すぐさま攻撃を仕掛けていく。
くるり、くるりとオレの目の前で、ふたつの影が華麗に舞う。
誰だ?・・。
身のこなしは、まったく鮮やかなものだった。
おそらくどちらも格闘経験者。
それもかなりの腕前だ。
ふたりとも複数を相手にした近接戦闘に慣れていた。
大男たちに加勢しようとナイフ使いが割って入いろうとするが、ものともしない。
あの身のこなしはアマチュアじゃない。
間違いなくプロだ。
勢いに任せてオレも突っ込んだ。
背中を向けていた大男のひとりに、思いっきり跳び蹴りをぶちかます。
派手に大男がつんのめって地面に叩きつけられる。
「あんたら、誰だ!」
その大男と闘っていた影と、身を入れ替えて背中合わせに構えた。
「よう、坊や。ずいぶんと派手にやってるねぇ。楽しそうだから俺もまぜてもらいに来たよ。」
背中から聞こえたのは聞き覚えのない声。
振り向いた。
あ?
声に覚えはないが、その顔には見覚えがある。
もみ上げからあごまで伸ばした厳ついひげ面。
その顔は・・・。
お隣の陸上自衛官さん!!
そこに割って入ってきたもうひとつの影。
「早く彼女とコトリちゃんを確保しよう。」
冷静沈着な声。
きりりと絞まった端正な顔。
あ、あなたは・・・。
2階の海上保安官さん!?
「な、なんでふたりが?・・・。」
3人で背中合わせに構えてた。
「話しは後々。重丸さんも苦労してるようだから、早めにこっちを片付けちまおうぜ。」
言ったのは、陸上さん。
「やっかいなのが一人いるみたいだから、取りあえずゴリラのほうを先に倒そう。僕は左のほうに行くよ。あとはふたりにお任せする。ナイフ持ってる奴には気を付けて。」
すぐさま海上さんが突進していった。
「じゃあ、坊やにはナイフ野郎の牽制でもしてもらおうかな。無茶はしなくていいからな。玉砕なんて流行らねえんだから、カッコつけんなよ。注意を惹きつけるだけでいいからな!」
言うが早いか、陸上さんがゴリラ2に向かって突っ込んでいく。
なんで、あのふたりが・・・?
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