――第42話――
「ぐわぁぁぁぁ、どうすんだオレ!」
足がないことに気付いて頭を抱えた。
自分のマシンは、レンのマンションの駐車場。
いったい、いつになったら、アイツ(車)は出てくんだ!
辺りを見回してみたが、タクシーの姿はどこにもない。
走って帰れないこともないが、ここ最近のドタバタ騒ぎで練習をサボり気味のオレ。
ここからなら車で約15分ほどの距離だから、駆け足だと時速6キロと仮定して、えーと、なんて考えてたら、背後で可愛いクラクションが鳴らされる。
振り返ると、ピカピカに光ったパールピンクの軽自動車が近づいてきた。
オレのすぐ横に止まり、真新しい車体から顔を出したのは、なんとシノちゃん。
どうやら遅くなったシゲさんを心配して迎えに来たらしい。
グットダイミングぅ!!!
「送っていってやる。」
当然。
シゲさんの心遣いでアパートまで送ってもらうことに。
さっきまでの話しが、まだ胸の中でわだかまっていたが、シゲさんはシノちゃんが目の前にいるからか、おくびにも出さない。
しょせん考えたって詮ないこと。
オレも、今はあいつ等のそばにいてやりたい気持ちのほうが強かった。
「タカさんのアパートでいいんですか?」
車に乗り込むなり、すぐにシノちゃんが訊ねてきた。
「うん、わかる?」
「はい、お父さんを連れて何度も行ってますから。」
あ、そ・・。
シゲさん、覗きにいくのに、シノちゃんに送ってもらってたのかよ・・。
車内は女の子の車らしくフローラルな香り。
やっぱり女の子らしく車も非常にコンパクトで小さい。
小さすぎて、あ、足が伸ばせない・・。
せまっ!
狭い後部座席に膝を抱えるように押し込まれた。
シノちゃんは、すぐに車を出してくれた。
しかし・・・。
今後の対処はどうする?
顔の見えない襲撃者。
輪郭だけははっきりしてきたが、状況はさらに複雑になった。
父親の出現にずっと脅えていたシホ。
コトリを奪われるかもしれないという恐怖に、あいつは毎日震えていた。
いや・・・あいつが恐れていたのは、たぶん違う・・・。
父親が目の前に現れたとき、抗わずにコトリを差し出してしまう自分を恐れた・・・。
たぶん・・そうだ・・・。
その懸念は、十分にあった。
浴室の中でコトリを愛撫していたシホの姿が脳裏から離れない。
あれは、父親に差し出すためにコトリを慣らしていたのではないか?
そんな邪推ばかりが頭に浮かんで、なかなか消えていかない。
オレも他人のことは言えないが、シゲさんの口ぶりじゃシホの父親ってのは、かなりのド変態らしい。
年端もいかないシホに手を付け、身体まで売らせて、あげくに自分の娘を妊娠させて子供まで産ませている。
とても、まともな神経の持ち主じゃない。
そんな父親の元に帰るとなれば、手放しでって訳にはいかないだろう。
なにより一度裏切って、逃げ出した過去がある。
そのド変態オヤジに、許すかわりにコトリを差し出せと交換条件を出される可能性は高い。
いや、交換条件なんか出さなくても手を出すか・・・。
それを承知しているから、早めにコトリを慣らしている。
考え過ぎかとも思うが、そうでなければ、あんな奇異な行動に説明がつかない。
父親が目の前に現れたとき、シホは、コトリを道連れに自ら父親の元に走る可能性がある。
どれほどひどい虐待を受けても、シホはいまだに父親の呪縛から解き放たれていない。
オレには理解もできないが、奇しくも、レンの妹が病院で似たような体験を教えてくれたばかりだ。
近親相姦には魔力がある。
メグミちゃんは、父親との関係を嫌悪しているにもかかわらず、いまだにその支配から逃れられないでいる。
兄の存在が拠り所となっているが、その関係が完全に終わったわけではない。
世間からは理解されない禁断の領域に取り残され、最後にすがってしまうのは、やはり断ち切ることのできない血の絆。
神をも恐れない所業でも、このひとだけは理解してくれるという連帯感。
なにより恐ろしいのは、他人からは決して得ることのできない背徳感と、たとえようもない快楽をもたらす絶妙な身体的マッチング。
心では否定しても身体は抗わない。
いや、抗えない。
メグミちゃんは、父親から呼ばれるとダメだとわかっていても向かってしまうと言っていた。
そして嫌悪する対象に抱かれているはずなのに、途方もない快楽を得て、精神が安定するとも。
シホも、同じなのではないか。
今のシホはひどく不安定で、父親を畏れていながらも、心の中では欲している。
刑務所に収監されていた父親が釈放されたとわかった今では、心の揺れはピークに達していることだろう。
だからこそ、シゲさんは休暇を与えてまで、オレに24時間シホたちを見張れといったのだ。
彼女が父親の元へ走る可能性があることに、早い段階から気付いて警戒していた。
レンとメグミちゃんの関係は、オレとシホの関係に似ている。
そして、メグミちゃんと父親の関係は、そのままイコール、シホと父親の関係だ。
ダメだとわかっていても、父親の元へ向かってしまったメグミちゃん。
根性なしのレンは逃げ出して、彼女を見捨てた。
はたしてオレは、シホが自発的に父親の元へ帰ろうとしたとき、彼女を止めることができるのだろうか?
蒼白な顔となって父親を求めるシホに、オレの声が伝わるのか?
対処の難しい問題となりつつあった。
想像もできなかった真実を聞かされ、オレはやはり動揺していたのかもしれない。
「あ、そうだ・・えっと・・・。」
なにがあっても、あいつ等を守ってやろうと決めたはずだった。
「あの、悪いんだけどさ・・・。」
なのに、オレはやっぱりそれをまだ現実のものとして受け止めていなかったんだ。
だから、判断を誤った。
さっさと帰ってやれば良かったものを、駐車場を出ようとしたところで、オレはシノちゃんに言ってしまったのだ。
「あのさ、先に車を取りに行きたいんで、ちょっと寄り道してもらっていいかな?」
このひと言が、最悪の形で強烈なしっぺ返しをオレに食らわせることになる。
シゲさんは、行き先を変えたオレを振り返りもせずに、ちらりと見ただけだった・・・。
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