俺たちゃ、最高のコンビだった。
「如月の百倍返し」とあだ名されるほど、徹底的に相手を叩き潰そうとする
俺を宥めて、抑えんのが英次の役目。
思慮深く、イライラするくらい慎重で、いつまでも動こうとしねえ、英次の
ケツを引っぱたくのが俺の仕事だった。
まったく、俺たちゃいいコンビだったぜ。
「何かあったら、俺がカチ込んでやる。
だから、テメエは安心して銭稼げ。」
経済ヤクザじゃねえが、大学まで入ったことのある英次は、組のシノギをう
まく回すことで、利ザヤを稼ぎ、組に莫大な利益をもたらしたことによっ
て、金バッチになった。
何か揉め事が起こる度に、出張って、時には力でねじ伏せながら、ケツから
英次をバックアップしつづけた俺も、同じ頃にオヤジから直杯を受けた。
組じゃ、一番若い舎弟だった。
それを、面白く思わなかった奴もいただろう。
あの三隅の野郎が、そうだ。
俺は、舎弟になって、すぐに自分の組を起こしたが、英次はそうじゃなかっ
た。
「倖田組ぃ!?」
「ああ、そこの代紋を継げとさ。」
倖田組の組長は、円組の中でも最長老の組長だった。
近々引退するって、話しは、俺たちの耳にも届いていた。
本来なら、よほどのことがねえ限り、組の代替わりは、直近のナンバー2で
ある若頭に継承される。
そして、織笠のオヤジから杯を卸してもらって、直系の若衆になる。
世襲でもねえ限り、それが俺たちの渡世のしきたりだ。
倖田組の若頭は、長年、渡世人として組を仕切ってきた三隅。
だから、本当なら三隅が代を受け継ぐはずだった。
だが、織笠のオヤジは、敢えて、そうはしなかった。
その頃から、芽室たちとの確執が表面化し始めていた。
何かと、うちのシマに粉をかけて来やがっているのも承知していた。
オヤジは、三隅に不穏な動きがあるのを、いち早く察知してたんだろう。
それで、子飼いの中でも穏健派であり、最も信用できる英次に、白羽の矢を
立てたわけだ。
「大丈夫かよ?」
「ああ、自信はねえが、まあ・・・オヤジもあそこまで言ってくださるん
だ。
やるだけ、やってみるわ・・・。」
まったく、あの野郎はいつもそうだった。
ちったあ、景気のイイことでも言えばいいのに、いつも自信なさげに喋りや
がる。
おかげで、こっちは毎度ヒヤヒヤさせられたぜ。
それでも、何とかしちまうのが英次のすげえところだった。
だからこそ、織笠のオヤジも英次を頼ったに違いねえ。
そして、オヤジの目は間違っちゃいなかった。
英次は、立派に倖田組を引き継いで、名実ともに円組の中でもナンバー2の
組織に押し上げた。
あんな若けえ身空で、たいした奴だ。
だが、その若さを妬んだ野郎がいる。
そして、その野郎が・・・・英次をハメやがったんだ・・・。
まだ時間は、8時を少し過ぎたばかりだった。
どこかで見ているのかも知れねえ。
和磨は、辺りを注意深く探りながら、寂しい廊下を歩いていた。
かなり、でかいマンションだった。
そのくせ、人の住んでる気配は、ほとんどなかった。
隣のビルを見ても、灯りのついている窓は、少ししかない。
バブルが吹っ飛んで、いきなり景気が冷え込んだ。
構想時には、予約が期待できたマンションも、この景気の冷え込みには勝て
なかったらしい。
懐かしいドアを前にして、和磨は立ち止まった。
英次が死んでから、ここにやってくるのは2度目。
美羽とふたりで、英次の遺品を整理して以来、ここにやってきたことはな
い。
二度と来ることはないと思っていた。
この部屋を手放すつもりはなかった。
英次は、ここに眠っているだけだ。
和磨は、そう思い込みたかった。
ドアノブに手をかけると、すぐにドアは開いた。
なんで、あの野郎が鍵を持ってやがる・・・。
倖田組には、まだ英次の遺品が残されていた。
そこで、手に入れたのかも知れない。
深くは、考えなかった。
中に入ると、灯りはついていなかった。
ゆっくりと、歩を進めた。
リビングに入ったところで、不意に灯りがついた。
「よう、遅かったじゃねえか・・・。」
こちらを向いて応接用のソファに、三隅が座っていた。
後ろに、ふたりの男が立っている。
情けねえ野郎だ。用心棒なしじゃ、何も出来ねえかい?
後ろに立つ、ふたりの男のうち、ひとりのスーツの胸が不自然に膨らんでい
るのに気がついた。
はっ!こんな狭いところじゃ、ハジキは役に立たねえよ。
狭い家屋内の接近戦では、鍛え上げた拳にかなう武器がないことを、和磨は
知っていた。
「ひとりか?」
三隅が訊ねた。
「ふっ・・テメエとは、違う・・・。」
落ち着き払った声だった。
「まったく、小憎らしい野郎だな。
黒滝と言い、テメエと言い、まったく目障りでしょうがねえ。
だが、黒滝の野郎は無様にくたばった。
ざまあみろってもんだ。
バカが、こっちの狙い通りに踊ってくれたよ。
テメエも、すぐにでも、ここであの世に送ってやってもいいんだが、
それじゃあ、死んでも死にきれめえ。
せめてもの情けだ。
どうして、あのバカが死ぬことになったのか、今から教えてやるよ。」
和磨は、挑発に乗らなかった。
三隅の後ろに立つふたりに、目を向けていた。
どちらから、先に倒すか。
それだけを、考えていた。
「なあ、如月・・・黒滝の野郎は、なんであんなバカなマネをしたんだと思
う?」
「知るか。」
目は、後ろのふたりに向けたままだった。
英次が凶行に及んだ理由は、いまだに謎のままだ。
倖田組の残った組員たちに聞いても、理由がわからないと言っている。
「おかしいとは思わねえか?
あれだけ、織笠のオヤジに黒滝は可愛がられてたんだ。
それが、なんであんなバカなマネをした?」
「テメエ等が、何か仕組みやがったんだろうが。」
じゃなきゃあ、あの英次が、オヤジに刃物なんざ向けるわけがねえ。
「本当に、そう思うのか?」
「なに?」
和磨は、三隅に目を向けた。
「黒滝の野郎は頭がキレる。それは俺も認める。
だが、そんな頭のキレる野郎が、
簡単に俺たちの手に乗ったりすると思うか?」
「何が言いてえんだ!?」
「黒滝は、俺たちが考えるような罠にハマるほどバカじゃねえ。
だから、俺だって、ずっとアイツの下で、煮え湯を飲まされてたんだ。
だがな・・・
ありゃあ、偶然だったんだ。
たまたまだったんだよ。
俺は、見つけちまったんだ。
すげえ、面白えもんを見つけちまったんだよ。」
三隅は、愉快でたまらないといった顔をしていた。
何を言わんとしているのか、和磨には、わからなかった。
「アレを見たときは、笑いが出たぜ。
これで、黒滝を抑えることが出来る。
アイツを使って、倖田組を牛耳ることだって夢じゃねえ、ってな。
だが、話しは、もっと面白え方に進んでったよ。
さすがは、速見の親分さんだ。
頭のキレが俺たちなんかたあ、訳が違う。
倖田組どころか、円組そのものを乗っ取っちまうんだからな。」
「何を見たって、言いてえんだ・・・・。」
「まあ、慌てんなよ。
それは、これからたっぷりと見せてやるからよ。
その前に聞きてえんだが、お前と黒滝ってのは義兄弟だったよな?」
「ああ、それがどうした?・・・・。」
「義兄弟ってのは、穴兄弟ってことなのか?」
「なにぃ・・・・。」
「けけっ・・・まったく、テメエは、目出てえ野郎だよ。」
「なんだと、コラッ!!」
「粋がるんじゃねえよ。
時間は、たっぷりとあるんだ。
その前に、もうひとつ俺に教えてくれや。
黒滝の野郎が、この世で一番恐れてたモノって、なんだ?」
「そんなもん知るか!」
「けっ!義兄弟のくせにそんなことも知らねえのかよ。
なら、俺が教えてやるぜ。
黒滝は、意気地がねえように見えたが、意外と芯は強え野郎だった。
ここ一番って時の決断力もあったわ。
さすがに織笠のオヤジが見込んだだけのことはある。
あのまま生きてりゃ、さぞイイ親分になったろうよ。
見かけによらず、肝っ玉はデカかったんだ。
どんな敵だろうが、あの野郎は、負けるたあ思っちゃいなかった。
だが、そんなアイツが、たったひとつだけ恐れるモノがあった。
それはな・・・」
三隅が、不敵な笑いを浮かべた。
和磨は、じっと三隅を睨みつけていた。
三隅の口元が歪んだように吊り上がる。
満を持したように口を開いた。
「くくっ・・・それはな・・オメエだよ。
あの野郎は誰でもねえ、オメエを恐れたんだよ!!」
それは、たまたま偶然だった。
三隅は、集金のトラブルで、黒滝を捜し回っていた。
銀行が閉まる前までに、黒滝の判断を仰がなければならない事態が起きた。
ヘタをすれば、数千万単位の金を失うことになる。
そうなれば、指を詰めるどころでは済まされない。
何度もケータイを鳴らしたが、空しくコール音を響かせるだけだった。
やむなく、三隅は、黒滝のこのマンションを訪れた。
黒滝は、いた。
「ああ、ケータイは、夕べ飲み屋に置いてきちまったんだ。」
黒滝は、電話に出なかった理由を教えてくれた。
上半身は、裸だった。
いかにも慌てたように、ズボンのベルトは締めてもいなかった。
女か・・・。
三隅には、すぐに察しがついた。
集金のトラブルは、黒滝の判断で事なきを得た。
だが、ほっとした途端に、腹がしぶり始めた。
夕べ食った牡蠣が悪かったらしく、朝から腹の調子が良くなかった。
「すいませんが、便所を貸してもらえやせんか?」
親のところに突然押しかけてきて、挙げ句に、便所まで貸せとは厚かましい
にもほどがある。
だが、三隅は、この若い組長にあまり敬意を払っていなかった。
厚顔の為せる技だったろう。
「ちょっと、ごめんなすって。」
「おい!ちょっと待て!」
進入を拒もうとする黒滝を押しのけて、三隅は便所へと走り込んだ。
そして、そこで見たのだ。
わずかに開いていた、寝室の扉。
ベッドの上から、白い肌を露わにして、不安げにこちらを覗いていた女の顔
を。
なにっ!?あれは・・・。
見覚えのある顔だった。
三隅も何度か会ったことがある。
便所の中でしゃがみながら、三隅は頭を巡らせた。
初めは、驚きしかなかった。
だが、次に、不思議な笑いが込みあげてきた。
三隅は、何食わぬ顔で便所を出ると、黒滝に頭を下げて、玄関を出た。
エレベーターに乗り込み、ドアが閉まると、もう、笑いは止まらなかった。
「おい・・・」
三隅が、顎をしゃくると、背後のふたりが動き出した。
「如月・・・テメエに面白えもんを見せてやる。」
残忍な笑みだった。
初めから用意されていたのか、窓際の壁に大きなスクリーンが広げられる。
もうひとりは、三隅の座るソファの前のテーブルの下からプロジェクターを
取り出すと、それを、テーブルの上へと置いていった。
「感謝しろよ。わざわざテメエのために、こんなでけえスクリーンで特別上
映してやるんだ。」
三隅は、卑下た笑いを浮かべた。
すぐに、部屋の灯りが落とされた。
和磨は、身構えた。
耳をそばだてて、気配を探った。
あのふたりは、動いていない。
プロジェクターのレンズから、強烈な光がスクリーンに向かって放たれた。
まぶしいくらいに部屋の一隅が照らされ、和磨の正面に3人の姿が浮かび上
がる。
三隅は、ソファにふんぞり返って、足を組んでいた。
手にリモコンらしきものを持っていた。
まだ、和磨はスクリーンを見ていなかった。
この状況下で、奴らから意識を放せば、間違いなくやられる。
しかし、スクリーンに映し出される影は、目の端で捉えていた。
「ああっ!!・・・・。」
突如として聞き覚えのある声が、スピーカーから大音量で流れだした。
なにっ!?
それまで、奴らに向けていた意識が、たちまち切れた。
思わずスクリーンに目を向けていた。
聞き覚えのある声。
スクリーンの中で絡み合っていたふたつの裸体。
背筋を冷たいものが駆け抜けた。
心臓が凍りついた。
「美羽・・・・。」
唸るように、声に出していた・・・。
思えば、おかしなことだらけだった。
初めは、俺も札入れの総会に出席する予定だった。
直前になって、英次から義理事を頼まれた。
わざわざ、俺が出張るほどの用事でもねえ。
そんなことよりも、オヤジと英次だけで、札入れに向かわせる方が心配だっ
た。
英次は、拝むように頼んでいた。
おかしかったのは、家に帰ると、美羽までが、英次から義理事を頼まれたの
を知っていたことだ。
「おみやげは、生八つ橋でいいからね。」
美羽は、鼻から俺が行くものと決めてかかっていやがった。
義理事の場所まで知っていやがった。
仕事の話しを、家でしたことはねえ。
それは、英次も同じだ。
決して人様に胸張れる仕事じゃあ、なかった。
だから、美羽の前では、仕事の話しをしねえのが、俺と英次の暗黙の決め事
だった。
「だめよ、お兄ちゃんのお願いなんだから、行ってあげて。」
美羽は、渋る俺をなんとか行かせたがった。
「お願い・・・ねっ!」
可愛い顔でねだりもした。
どうするか考えてたところに、あのオヤジの言葉だ。
「オメエは、敵が多い。
今回は、大人しく英次の言うとおり、義理掛けに行ってこい。」
おそらく英次が、オヤジを説得したに違いねえ。
オヤジにまで言われちゃ、さすがに俺も断れねえ。
仕方なしだったが、札入れの前日、俺は関西に飛ばざるを得なかった。
オヤジたちが、罠にハメられてたなんて、気付きもしねえで。
おかしな事は、まだあった。
組が襲われて、俺が若い奴から連絡を受けたのは、襲撃から二日も経ったあ
とだった。
「なんで、すぐに知らせなかった!!」
「く、黒滝のオジキから言われてたんです!
オヤジは、密命を受けて動いてるから、絶対に連絡を取るなって!!」
小突いた若けえ奴は、泣きそうな顔をしながらそう言った。
それでも、おかしいとは思ったんだろう。
三日目になって、やっと連絡してきやがった。
俺は、オヤジや英次が殺されて、組が一大事ってときに、馬鹿面カマしなが
ら、物見遊山で祇園巡りなんかしてたわけだ。
なんで、英次がそんなことを言ったのか、解せなかった。
だが、そんときの俺には、そんな事を考える余裕すらなかった。
組の無事を確かめて、慌てて家に戻れば、美羽の姿はなかった。
てっきり掠われたんだと、思っていた。
だが、美羽は、夜になって帰ってきた。
まるで、幽霊みたいな面だった。
無理もねえ。
たったひとりの兄貴が殺されたんだ。
美羽は、俺の顔を見ても、泣きもしなかった。
魂が抜けたみてえになって、ぼんやりと座り込んでいただけだった。
声を掛けてやる事さえも出来やしなかった。
そして、それからだ・・・美羽の俺を見る目がおかしくなったのは・・。
膝が震えて止まらなかった。
三隅たちが、目の前にいる事さえ忘れかけていた。
覚えのある背中。
美羽によく似た顔の、千手観音菩薩。
白い手が、その千手観音菩薩を掴んでいく。
「お兄ちゃん!!・・・・お兄ちゃん!!・・・。」
足を拡げきっていた。
浅黒い肌に、必至になってしがみついていた。
英次のケツが、やたらと艶めかしく動いているのが、ひどく悲しくてならな
かった。
見覚えのある部屋だった。
それは、すぐ目の前にあった。
「どうだ?・・なかなかの迫力だろう?」
卑下た笑い。
薄闇に野郎の顔は、はっきりとは見えなかった。
だが、きっと、腐れたブタみたいな顔で薄笑いを浮かべていたに違いねえ。
どうしてだ・・・・。
それしか、頭にゃなかった。
英次の寝室を、斜め上から映していた。
ベッドが正面から丸写しになっていた。
女が体位を入れ替えた。
四つん這いになって、カメラの方を向いた。
美羽・・・。
乱れた長い髪から覗く、あどけない顔。
マッチ棒が2本も乗るって、自慢してた長い睫毛。
「ああっ!!・・・お兄ちゃん!気持ちいいっ!!気持ちいい!!」
英次が、尻を掴んで腰を叩きつけ始めると、美羽は狂ったように叫びだし
た。
まだ、幼さが抜けきらねえ声。
和磨は、この声が、好きだった。
「まさか、あの黒滝にこんな趣味があるとはな。
まさしく、犬畜生にも劣る奴らだぜ。
だが、おかげで、俺様にも運が巡ってきたんだから、文句も言えねえか。
黒滝の野郎、このビデオを見せたら、顔を青くして震えてやがったぜ。
よっぽど、オメエが怖かったらしいな。
泣きながら、勘弁してくれって、土下座までしやがった。
あんときゃ、ほんとに気持ちよかったぜ。
あとは、オメエが察する通りさ。
あのバカ野郎、あれほど可愛がってくれたオヤジを、
オメエ怖さに簡単に刺しちまいやがった。
まったく、あきれた野郎だぜ。」
そうかい・・・そういう訳かい。
これをネタに英次を脅しやがったのかい・・・。
この・・・くされ外道ども!!
後先なんざ考えなかった。
ただ、目の前の三隅を、ぶっ殺してやりたかった。
「おっと、見せんのは、これだけじゃねえんだ。」
気配を察した三隅が、慌てて和磨を止めにかかる。
後ろのふたりが、わずかに身構えた。
「まあ、そう慌てんなよ。まだ、面白えもんがあるんだからよ。
おい・・・。」
三隅が顎をしゃくると、手下のひとりが、プレーヤーのディスクを入れ替え
た。
「テメエには、とことん地獄を見せてやるよ。」
勝ち誇ったような笑み。
すぐにスクリーンに、映像が映し出される。
うっ!
息を呑んだ。
三隅がスクリーンの中に映っていた。
あの椅子は・・・この部屋じゃねえか!?
三隅は、今と同じように目の前のソファに座っていた。
裸だった。
開いた足の間に、女が跪いていた。
女の頭は、しきりに上下している。
水の跳ねるような、クチュクチュといやらしい音が、スピーカーから聞こえ
てくる。
女は、縛られていた。
両手を後ろ手に縛られ、胸に縄を掛けられいた。
三隅が、女の髪を掴んだ。
股の間に埋めていた顔を引き起こした。
美羽!!
美羽は、トロンとした目で三隅を見上げていた。
口のまわりが、いやらしく濡れ光っていた。
やっぱり捕まってたのか!
とっさにそう思った。
和磨が慌てて戻ったとき、美羽は家にいなかった。
夜になって、やっと帰ってきた。
組が襲撃されて、三日間の空白がある。
その間に、美羽は、三隅に掠われていたのだ。
和磨は、そう思い込んだ。
そう思いたかった。
だが・・・・そうじゃなかった。
「明日になりゃあ、ぜんぶ終わる。」
くぐもった声だった。
それは、スピーカーから聞こえてきた。
「約束通り、お兄ちゃんは、助けてくれるんでしょう?」
すがるような美羽の声。
「ああ、オメエがちゃんと、如月の野郎を関西に行かせりゃあ、約束通り、
兄貴は助けてやる・・・。」
なん!?・・・。
「そこで、あの人は死ぬのね。親分さんが殺してくれるのね。」
「ああ、その通りだ。」
スクリーンの中の三隅は笑っていた。
「そうなったら、お兄ちゃんが組を継げるんでしょう?
親分さんのあとに、お兄ちゃんが組長になるんでしょう!?」
「ああ・・・だが、如月の野郎が生きてる限り、
オメエの兄貴は組を継げねえ。
織笠のオヤジが死んだとしても、如月が黙っちゃいねえからな。
それどころか、オメエの兄貴は如月に消されるかも知れねえ。
いや、きっと殺すな。
如月にとっちゃ、オメエの兄貴は目の上のたんこぶなんだ。」
「嫌!!お兄ちゃんが、死ぬなんて絶対に嫌!!
ちゃんと言う事をきくわ!
だから、お兄ちゃんを助けて!」
悲痛な叫び声が、部屋の中に響いた。
「オメエ次第だ・・・。オメエが頑張りさえすりゃ、兄貴は助かる。」
「何でもする!どんな事でもする!!」
「なら、如月を殺せるか?」
三隅が、カメラに向かって、にやけた笑みを浮かべた。
三隅は、カメラの位置を知っていた。
和磨に、見せつけようとしたのだ。
「殺せる・・・。」
小さな声だったが、美羽は、はっきりと、そう答えた。
その声を聞いたとき、和磨の中で、何かが壊れた。
「そうか。なら、兄貴は殺さねえでやる。
その代わり、オメエは、これから俺に従うんだ。」
三隅が、美羽のアゴを掴んだ。
「はい・・・。」
美羽は、小さく頷いた。
「立て・・・。」
三隅に言われて、美羽が立った。
「自分で挿れるんだ・・・。」
美羽は、縛られた不自由な身体のまま、カメラの方を向きながら、ゆっくり
と尻を沈めていった。
三隅が指を添えた。
「ああっ・・・」
「いい道具だ・・・これからは、俺がたっぷりと可愛がってやる。
たまには、兄貴に会う事も許してやる。
だが、もうオメエは俺のもんだ。
俺の奴隷だ。
わかったな・・・。」
「ああっ・・・奴隷になります・・・親分さんに・・・尽くす奴隷になりま
す・・・。」
美羽は、自分から尻をくねらせた。
「ああっ!・・・いいっ!!・・親分様!!気持ちいいっ!!・・・・」
中腰の不自由な姿勢のまま、妖しく尻をくねらせながら、我を忘れたよう
に、悶えつづけた。
自分から、欲しがっているのが、ありありとわかった。
「へへっ・・・バカな女だ。
オメエがいなくなりゃ、兄貴が円組を継げると、
本気で信じ込んでやがった。
もっとも、そう思い込ませたのは、俺たちだがな。
本当なら、オメエにも消えてもらいたかったんだが、
うまい材料が見つからなかった。
消すのは諦めて、どこかに消えててもらう事にしたのさ。
オメエがいりゃあ、何かとやりづらいからな。
オメエの女房が手伝ってくれたおかげで、
うまい具合に事は運んでくれたよ。
こっちの思惑通りだ。
これほど見事にハマるたあ、オレも思っちゃいなかった。
これも、黒滝の野郎が、全部ひとりでひっかぶってくれたおかげだな。」
もう、和磨の耳には、何も聞こえてなかった。
立っている事さえも、出来なかった。
膝が抜けたように、和磨はその場にへたり込んだ。
美羽は・・・俺が死ぬものだと思い込んでいた。
いや・・・俺が死ぬのを期待したんだ・・・。
英次を助けるために・・・。
三隅にハメられたのは事実だったかもしれない。
だが、美羽は選んだのだ。
和磨が死ぬ事を・・・。
「ついでだから教えてやる。
どうしてあのふたりが家を出なきゃならなかったのかをな。
美羽がしゃべってくれたよ。
黒滝の野郎、まだガキだったあの女に突っ込んだんだとよ。
それが、親にバレて、家にいられなくなったらしいわ。
で、家を飛び出したところを、織笠に拾われたって訳だ。
テメエも間抜けだよな。
美羽は、鼻から黒滝の女だったんだよ。
テメエと所帯を持つ前から、あのふたりは出来てたんだ。
そしてな、テメエと所帯を持ってからも、
あのふたりは、やりまくってたわけだ。
まったく目出てえ野郎だよな。
マメ泥棒は、オメエの目の前にいたって訳だ。
いいや、マメ泥棒はオメエの方か?」
三隅は、声を出して笑った。
部屋中に響き渡るほど、派手な大声で笑った。
それは、高らかな勝利宣言だった。
「テメエのガキも、ほんとにテメエのタネなのかね?
まあ、いい。
オメエも聞いたろう。
美羽は、もう俺のもんだ。
今頃、荷物まとめて、家を出てる頃だろうよ。
笑っちまうよな。
兄貴が死んで、散々泣きわめいてたが、一生面倒見てやるって言ったら、
すぐに寝返りやがった。
落ち目んなったオメエに未練はねえとよ。
一生贅沢させてくれんなら、俺に尽くすとさ。
まったく、女ってなあ、魔物だわ。
まあ、なんだな・・・
オメエも黒滝も、あの女に破滅させられたみてえなもんだな。」
三隅が立ち上がった。
勝ち誇った笑みを浮かべて、和磨に近づいてきた。
「女を見る目がなかったテメエを恨みな。」
手に、拳銃を握っていた。
銃口が、和磨の頭に向けられる。
和磨は、うなだれていた。
魂を無くしたかのように、ただ俯いて床に目を向けているだけだった。
激鉄が上げられる。
三隅が、引き金に指をかけた。
和磨は、動かない。
死んだように、動かない・・・。
不意に銃口が下げられた。
「とっととぶっ殺しちまおうと思ったが・・・やめた。
テメエのその腑抜けたツラ見てたら、考えが変わったよ。
テメエは、殺さねえでおいてやる。
そのまま無様に生き延びてやがれ。」
三隅は、拳銃をケツにしまうと、部屋を出て行こうとした。
だが、何かを思い出したように、また戻ってくると、和磨の耳元で囁いた。
「オメエのあの可愛いガキも、まとめて面倒見てやるよ。
ガキでも突っ込めるってのは、美羽で証明済みだからな。
ふたり並べてやってやる。
ビデオが出来たら、オメエにも送ってやるよ。」
三隅が声を出して笑う。
和磨は、ぼんやりとした意識の中で、その笑い声を聞いていた。
どこを、どう通って帰ったのか覚えていない。
ようやく家にたどり着いた頃には、夜中になっていた。
三隅が言ったとおり、家の中に美羽の姿はなかった。
はじめから予想していたから、驚きもしなかった。
子供部屋のドアを開けると、そこには穏やかな顔をして眠る娘の姿があっ
た。
美羽は、娘だけは連れて行く気にならなかったらしい。
それとも、後から連れて行くつもりなのか・・・。
(ふたり並べて、やってやる。)
脳裏に、三隅の股の間に跪く、ふたりの姿があった。
和磨は、娘の寝ているベッドに歩み寄った。
美羽によく似た顔だった。
目の中に入れても痛くないほどに、可愛がっていた娘だった。
お前も、いずれ俺を裏切るのか?・・・。
英次と美羽は、和磨を裏切っていた。
ふたりで、通じ合い、影で和磨をあざ笑っていた。
あれほど愛していた美羽は、和磨を殺すとまで言ってのけた。
あっさりと裏切って、三隅の元へはしった。
もう、なにも信じられなかった。
(テメエのガキも、ほんとにテメエのタネなのかね?)
そうなのかよ・・・ツグミ・・・。
静かに布団をめくりあげた。
痛々しいほどに、幼い肢体が目の前にあった。
拾ったばかりの頃は、美羽もこんな身体だった。
あの身体で美羽は、男を知っていた。
英次の女だったのだ。
ツグミは、あの頃の美羽よりも、まだ幼い。
だが、すぐにあの女と同じ年頃になる。
お前は、誰にも渡さねえよ・・・。
寝ている娘を、両腕に抱え上げた。
「パパ?・・・」
大きな瞳が眠たげに開かれる。
和磨は、何も言わなかった。
静かに部屋を出た。
そして、ふたりの姿は、その夜から、消えるのだった。
俺を殺さなかった事を後悔させてやるよ・・・。
復讐に執念を燃やした和磨が、また渡世の世界に戻ってくるのは、それから
2年後である。
和磨は、如月組の代紋を、再び同じ地に掲げた。
若い者は、すぐに集まった。
殺されたとばかり思っていた和磨が、再び戻ってきたことで、それまで行き
場を失い、やむなく他の組に身を預けていた、かつての身内も、組を捨て
て、続々と和磨の元に集結した。
如月組であったという理由だけで、散々冷や飯を食わされた。
だから、もう彼らには未練などなかった。
正義は、和磨にあった。
若い者達は、それを知っていた。
和磨が鍛え上げた若者たちだった。
和磨の男気に惚れて、一緒に戦った命知らずの猛者たちだった。
和磨は、不思議と潤沢な資金を抱えていた。
如月組は、たちどころにかつての勢いを取り戻した。
慌てたのは、三隅だ。
幾度となく如月組に攻勢をかけたが、ことごとく返り討ちにあった。
如月組の若者たちは命など惜しんでいなかった。
もはや、彼らには如月組だけがすがるべき、よすがなのだ。
ここを失えば、彼らには帰るところがない。
命を惜しまない若者たちに、かなうはずなどなかった。
三隅は、なんとか状況を打開しようとしたが、どうにもならなかった。
血で血を洗う抗争になりかけたところで、ようやく手打ちが入った。
同じ組同士で争うなど、愚にもならない。
円組が疲弊していくのを虎視眈々と狙う本間会が、同じ地にいるのだ。
如月組の戦闘力は侮れない。
ならば、いっそのこと取り込んだ方がいい。
速見は、得意のソロバンを弾いて、その答えを導き出した。
手打ちに望んで、和磨が出した条件はふたつあった。
ひとつは、元の縄張りを返すこと。
もうひとつは、織笠の杯をそのままにすること。
速見にしてみれば、そのどちらもたいしたことではなかった。
三隅に代替わりしてから、円組の支配力は激減した。
三隅は、無能な男だ。
組をまとめていくだけの求心力もない。
しかし、本間会がこの地で隆盛を極めていくのは防ぎたかった。
防波堤代わりになりゃ、いい・・・。
如月は、かつての円組を復活させる腹づもりだろう。
その為には、必至に円組の縄張りを守ろうとするはずだ。
ならば、こっちはそれを利用すりゃあいい・・・。
もはや速見体制は、盤石のものとなり揺るぎようがなかった。
和磨ひとりが孤軍奮闘したところで、阿宗会にヒビが入るとは思わなかっ
た。
速見は、その条件を呑んだ。
しかし、速見も条件を出した。
円組に対し、上納金を課したのだ。
組織に属する以上、上納金は、当たり前の話しだ。
まったくのフリーでは、組織に示しがつかない。
それすらも拒むようならば、阿宗会の全力を持って叩き潰すつもりだった。
和磨は、その条件を呑んだ。
法外な歩合であったが、あっさりとそれを受け入れた。
こうして、三隅との間に、手打ちの儀が執り行われた。
三隅は、あの時、和磨を殺さなかったことを後悔していた。
苦渋の選択だったが、速見には逆らえなかった。
「へっ!やっぱり、あん時テメエを、ぶっ殺しておけば良かったぜ。
もう、今さら後の祭りだがな。
だが、上納金だけは、しっかり治めてもらうぞ。
シノギの45%だ。
これだけは、きっちり払ってもらう。
誤魔化そうとなんかすんなよ。
テメエんところの台所は、しっかり押さえてんだ。
もし、誤魔化したり、足りなかったりしたら即戦争だ。
それだけは、忘れんな!」
シノギの45%と言えば、組を運営して行くにはギリギリのラインだ。
まったく実入りがないに等しい。
速見は、しっかりと如月組がこれ以上肥大しないように、予防線を張ったわ
けだ。
「いらねえ心配すんな。
金は、きっちり払ってやる。」
和磨は、不敵な笑みを浮かべていた。
まったくと言っていいほど、三隅を恐れていなかった。
あざ笑うかのような視線を、三隅に向けていた。
「へへっ・・・美羽は、相変わらずいい声で泣きやがるぜ。」
それは、三隅にできた精一杯の虚勢だったのかもしれない。
「そうかい。去年、娘も生まれたらしいじゃねえか。」
「な、なんで、それを・・・。」
フン、バカ野郎、テメエのことなんざ、こっちはすべてお見通しだよ。
「テメエも盛んなことだな。
正妻に3人も産ませて、さらにイロの美羽にまでガキを作ったのかい。
まあ、せいぜいどっちも母子共々、可愛がってやんな。」
もう、美羽になどに、未練はなかった。
今、美羽は27才。
あと、10年もした頃は、しっかりと脂も乗ってることだろうぜ。
娘の方もな。
だが、その前に・・・。
「いいか、金の件だけは、忘れんじゃねえぞ!」
手打ちの儀が終わっての別れ際、三隅は、しつこいほどに和磨に言い放って
いた。
それで勝ったつもりなんだろうが、そこが、テメエの浅はかさだよ。
金は、払ってやるさ。
もっとも、稼ぐのは俺じゃねえがな。
それから一週間後、三隅の正妻と末娘が、消えた・・・。
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