七、叫ばぬ檻
檻の中、彼女はひとり。それは見世物の檻ではない。愛の牢獄。自ら望み、自ら足を運んだ、夫の書いた舞台。仮面に覆われた観客たち。その中に、あの人はいる。いるはず。
けれど……誰だかわからない。声も、目も、匂いも、何一つ掴めない。繋がっているのは、たったひとつだけ――右手首の赤いリボン。
彼が「これをつけているとき、お前はどんなに乱れても、俺の女だ」と言った。
彼女は、その一本の赤を信じて、檻の中で沈黙の淫らな舞をはじめた。
声を出せないから、涙で訴える。
快楽の波が押し寄せるたび、心が引き裂かれそうになる。
でも、リボンだけがある。
この右手に、きつく結ばれた、あの人との唯一の絆。
(ここにいて、私の壊れていく姿を、ちゃんと見ていて)
仮面の男が、彼女の腰を強く引き寄せる。
アナルにねじ込まれる何か――
彼女は小さく身を震わせる。
(ああ、お願い……見てて……あなただけに、私、こんなに乱れてるの)
誰に触られても、誰に貫かれても、彼の目の中の自分だけを意識する。
目が合ってない。名前も呼ばれない。抱かれてもいない。
それでも……その不在が、愛しさを極限まで引き上げる。
離れれば離れるほど、
見えなければ見えないほど、
その存在は強烈に焼きついていく。
そして――
ラスト、彼女は全身を震わせながら、絶頂の中でギャグを噛み切り、叫んだ。
「――アナタぁ……ッ……見て、くれた……?」
エピローグ 誰かの手
舞台が終わり、観客が去ったあと、
誰かがそっと彼女の腕からリボンを解く。
一瞬、涙がこぼれそうになる。
だが、その人物は何も言わず、
そっと左腕に同じ赤いリボンを結び直す。
彼女の目から、ぽろりと雫が落ちた。
それだけが、
「終わったよ」と教えてくれる、
夫からの答えだった。
そして「祈りにも似た欲情」
リビングの照明を落とし、男はひとり、再生ボタンに指をかけた。
画面に現れたのは、妻の素顔だった。マスクも、リボンもない。
舞台の終わり、全ての客が去ったあとの映像――
夫自身はその場を離れていた。カメラだけを残して。
しかし、そこに映るのは、見たことのない“女”だった。
【映像の中の妻】
仄暗い照明の中、ベンチに腰かけ、脚をゆっくり開く。
誰もいないはずの空間で、笑っていた。
「……まさか、あんた、まだ見てるんでしょ」
カメラのレンズを指でなぞるように撫でながら、
甘ったるい声で、続けた。
「そうやって私を“信じてる”顔で、
ひとりで興奮してるの、バレバレだよ」
男の喉が、ゴクリと鳴った。
映像の中の彼女は、すでにレオタードを脱ぎ捨て、あのリボンすら外していた。
そして――どこから現れたのか、別の男の手が、メラの画角に、ゆっくりと忍び込んだ。
妻は抵抗しない。むしろ、迎え入れるように脚を絡ませ、愛撫を求め、唇を差し出す。
(……まさか……)
夫の手が、止まる。
これまでのすべて――彼女が演じてきたものは、“彼のため”だったはずだ。演技であり、約束だったはずだ。
でも今、これは違う。
信じようとすればするほど、疑念が熱くなる。
カメラの奥で喘ぎ、知らない男の名を呼び、
果てながら呟く。
「……見てたら、ちゃんと抜いてよね。あなた……」
現実 誰もいない部屋
再生が終わっても、部屋には彼女はいない。
出張だと言って、昨夜から連絡もない。
信じたい。だが、この映像は……
(これは、“俺のための嘘”なのか?
それとも、“彼女のための真実”なのか……?)
男は無言のまま、手を下ろす。脳裏に焼き付いて離れない――他人に抱かれながら、カメラ越しに語りかけてくる妻のまなざし。
嘘でもいい。演技でもいい。
たとえ、裏切られていたとしても――
(それでも、俺は……欲情してる)
男は目を閉じ、溢れそうなものを飲み込むようにして、静かに絶頂へと導かれていった。
最後に漏れた言葉は、
痛みでも怒りでもない、たった一つの祈りだった。
「……お願いだ、ウソであってくれ……」
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