「オートバイに乗ると言う事」
理沙子が明確にバイクに興味を持ったのは中学2年生あたりだった。理沙子が育った地域はツーリングに訪れるライダーが多く駅前やスーパーに行くと地元ナンバーを探すのが難しいくらいだった。
(1980年代でコンビニも道の駅もありません)
最初は何をしているのかわからなかったが旅、特に一人旅はしてみたい、まずこの田舎町から出たいと思った。
ライダーは殆ど男性だが気の良い人ばかりで駅前などで話しかけてくる場合もあった。友達といてジュースを奢ってもらう事もあり学校では知らない男性と話さないようにと言われたが女子の間ではカッコいい男性なら、と話題になる。
理沙子は当時はまだ男性の免疫がなく友達が話し自分は黙っていたが中学3年あたりに男性を知り会話もするようになる。
バイクは気持ち良い、自由がある、風が心地よい、群れても群れなくても旅は楽しい
ありきたりながらライダーの話を聞いて自分も乗りたいと思い高3で車と一緒にバイクの免許を取った。
大学進学から1人暮らしになり地元を離れ自由になる。バイクは両親が反対したが、1人暮らししたらいずれは勝手に買うだろからと渋々認めてくれて何とかスズキハスラー50を中古で買った。
下宿先の近所のバイク屋で買い納車となった。
ヘルメットもグローブも買い揃えた。最初はレーサーレプリカが欲しかったのでフルフェイスのヘルメットを先に買っていたのだが、初心者で価格などからハスラー(オフロード)になったのだ。とりあえずバイクなら、自分のバイクが手に入るのなら何でも良いという気になっていた。
シューズまでは買えずスニーカーで引き取りに行った。ジーパンにダンガリーシャツを着ていた。
バイク屋の主人、青山は40歳で日に焼けた既婚男性だ。バイク屋と言っても街中で扱うのは8割がスクーターであり、たまに自転車のパンク修理もする。
正直、理沙子のイメージとは違っていたが何台か理沙子好みの400c cが置いてあり、話を聞いて優しい青山の人柄と格安と言っでも良いハスラーの価格で決めたのである。
店先にピカピカに磨かれたハスラーが置いてあった。黄色に青いラインが映えている。マフラーあたりに錆がありプラスチック類に劣化があったが青山がオイルを塗り目立たなくしてくれた。
書類と説明を受けキーを受け取り跨ってみると何とか足はつく、キックスタートの練習をしてから青山が赤いスクーターに乗りガソリンの入れ方をガソリンスタンドまで付いてきて教えてくれた。
軽く並走して理沙子の運転を見て青山は
「あとは1人で慣れて行ってください、何かあればいつでも来てくださいね、じゃあ、気をつけて」
見送る青山はぴちぴちのジーパンの理沙子の尻を見て良い尻だなと心の中でつぶやいた。
ぴちぴちのジーパンは下半身のラインを教えてくれる裾から見える足首あたりは筋肉を感じさせ垂れ気味ながら質感のある尻は何よひ魅力的だった。
理沙子は自分の股間に挟まる自分のバイク、パンパン言いながらなかなか前に進まない、信号で止まるとたまにふらつく、全ての車に抜かれた。
怖い顔して抜いていく車、たまに家族連れの子供が手を振ってくれる。手を振りかえす余裕はかい、ひたすら集中した。
行きたい場所があったバイクを買ったら1番に行きたい場所、それは海であった。まだ観光客を迎えるには早い春の海、海の家はトタンや板で塞がれている。
浜辺から堤防があり道があり海の家の列があった。堤防の際にバイクを停めグローブを外すと汗ばんでおりヘルメットを脱ぐと一気に潮風に包まれたようだ。幸い生きている自販機があり缶コーヒーを買い堤防に腰掛けバイクを眺めながらタバコも吸った。
黄色い車体は見れば見るほど愛おしい、やっぱり男の子か?バイクに名前を付けてみたりするのか?色々な今後が見えてきた。私のバイクと言うか相棒である。タバコ二本吸う間に愛しさが増した。
理沙子はバイクを押しながら堤防にあるコンクリートの小さな建物の陰に入った。
バイクに跨り股間をシートに擦り付ける。ジーンズのチャックの硬さか?
「うっ、ヤバっ、我慢出来ない、はあっはあっ」
ハンドルを持ちシートに擦り付けながらオナニーが始まり止められない。シートでは刺激が足りずバイクを降りコンクリートの建物にもたれバイクのフロントタイヤをジーンズ越しに股間に押し付けた、バイクとセックスしている気持ちになるが絶頂には程遠く最後は壁にもたれて自分の指でバイクを目の前に絶頂を迎えていた。理沙子にとってオートバイに乗ると言う事は、自由になると言う事で性的な事と直結している理沙子であった。
下宿に帰ったのは青山と別れてから3時間後であった。ホッとして下宿前で立ちゴケした。真横に倒れアスファルトがこんなに硬いのかと実感した。
一階の管理人が来てくれて一緒に起こしてくれて初めての日は幕を閉じた。
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