それから数日後…
「ここね?」
スマホを取り出して住所を確かめ、表札にも”緑川”とある。
さしていた日傘を閉じ、薄いピンクのノースリワンピの上から腕にかけていた白のカーディガンを羽織ってから呼び鈴を押した。
手には勤め先のデパートの紙袋が二つ。一つにはデパートに入っているスイーツ店のホールケーキ。
もう一つにはいくつかのタッパと食材が入っている。
”はい?”インターホンの向こう側から低い男性の声がして
”あの…こんにちは…さとみの…母でございます…”
”あ!はいはい、少し待ってくださいね”
幾分声のトーンが上がったように優しい感じの声が聞こえ、少し安心した。
「いや~暑い中、来て頂いてすみません。さぁ、入ってください」
玄関に現れた人は色が黒く、恰幅もよく、短く揃えられ白髪混じりの髪は整えられていて、服装もスラックスに裾がインされたポロシャツ。
余所行き用の準備をしてくれてたんだとわかり、少しうれしくて、微笑みながらエアコンが聞いた家の中に案内して貰った。
「どうも、改めまして、初めまして。いつもさとみがお世話になっているようでありがとうございます。さとみの母でございます」
和室に案内された私は少し仰々しく三つ指をついて頭を下げながら言うと
「いやいや、やめてください、お母さん。こっちこそわざわざ来て貰って申し訳ない。本当ならこっちから行かないといけねえのに」
「いえいえ、こちらこそ。カニや果物、高価なものを頂いて、ありがとうございます。これ、つまらないものですが、どうぞ」
お辞儀をしながら持ってきたホールケーキの袋を差し出す私よりも低く頭を下げるように
「いや、もうお母さんやめてください、これ以上、下げる頭がなくなるんで」
…
…
しばらくお辞儀合戦をした後
「お台所、お借りしてもいいですか?お茶でも淹れますね」
立ち上がってキッチンに向かおうとする私を制止するように
「いやいや、お母さん、そんなのオレがしますんで、座っててください」
「おいしい茶葉があるんで持ってきたんですよ。だから任せてください」
押し問答しながら二人でキッチンに立ち、お茶を淹れ、和室のテーブルを挟んで向かい合いながら私たちは一息ついた。
一息ついたものの、子供の話くらいしか話題もなく、すぐに会話が途切れ、沈黙が続いてしまい
「あの…そろそろ食事の準備しますね、さとみさから話を伺われていますかね?」
そう言いながら時計を見るとまだ11時過ぎ、5分も会話が続かなかった…そう思いながら
「お台所、もう一度お借りしますね?」
「すみません、ではお願いします」
今度は押し問答もなく、私はキッチンに立つことができた。
カーディガンを脱ぎ、持ってきたエプロンをつけてから
「包丁やまな板、お皿とか適当に使わせてもらいますね」そう言いながら返事を待たずに
ジャガイモや玉ねぎを紙袋から取り出し、皮を剥きながら、持ってきたタッパをキッチンテーブルに並べていった。
「待ってる間、ビールでも飲まれます?」
キッチンから和室の方を見ると正座して恐縮している聡を見ながらこれも持ってきたクラフトビールとタッパに入れて持ってきたカツオのマリネをお皿に移して。
「そんな足崩してくださいよ」
務めて明るく振舞うように言いながらマリネの皿とグラス二つ、テーブルに置いてから聡の隣に座り、ビールを開け、一つにはなみなみと注ぎ、もう一つには1/3くらい入れ、
「かんぱーい」
聡にグラスを持たせて、持ったグラスをカチンとあわせてから飲むと
「あ~おいしい!午前のビールは背徳だけど最高ですね」
恐縮しながらごにょごにょ言う聡に空回り気味の私は捲し立て、キッチンに戻りながら
「あと、30分くらいでできるので飲みながら待っててくださいね、そのマリネも一応私が作ったので」
「うまい」「こんなの食うの久しぶりだな」…キッチンにも聞こえてくる聡の声に笑みを向けながら持ってきたタッパから
ほうれん草のお浸しと切り干し大根をそれぞれ小鉢に移し、残ったマリネも。お椀に作った肉じゃがを入れ、あとはご飯とみそ汁も。
テーブルに並べ終え、エプロンを外してからこれも持ってきたワインボトルを持ち
「ワインに合う食事じゃないかも知れないけど、これも飲んでください。お酒がお好きと聞いたので」
聡とテーブルを挟んで正座してグラスを渡してワインを注ぐと
「お母さんもどうぞ。さとみちゃんからお母さんもお酒が好きだと聞いてるので。どうぞどうぞ」
取り上げるようにボトルを手にした聡が私に注いでくれた。
「では、あらためまして、かんぱーい」ワインが入ったグラスを向けると、重ねるようにグラスが触れ
「いただきます!」拝むように聡が食事にお辞儀した
…
…
大人しい内気そうな雰囲気の和広くんと違って父親は豪快という言葉が似合う悪く言えばガテン系のおじさんで、”この父親からよく和広くんみたいな子が育ったな~”
そう思いながら食事とお酒を楽しんでいると向こうも楽しんでいるようで段々と会話が弾むようになった。
「お母さんはお若く見えるけどおいくつなんです?」
「43ですよ。お父さんこそおいくつなんです?」
「若いな~4年前にうちのが亡くなって、その時46だったから随分若い!オレは54です!」
「これからって時に亡くなられて随分大変だったんですね?」
「はじめは、何やってもダメだったけど、ダメならダメなりに何とかなるもんですよ」
「いえいえ、そんなそんな…和広くんは真面目でいい子に育てて、立派ですよ」
「そんなことねえですよ、さとみちゃんこそ、賢いお嬢さんでうちのやつになんか勿体ねえくらいですよ」
「いえいえ、うちの娘はそんな…まだまだでしてね…」
…
…
食事がほぼ片付き、洗い物をし、持ってきたホールケーキを切り分け、コーヒーを楽しむころにはお互い打ち解け饒舌に会話できるようになっていた。
キッチンの洗い物を終え、コーヒーを飲みながらの会話も話題が尽きそうになったので
「では…そ…」”ではそろそろ私はこの辺で”と帰宅の話を切りだそうとした時、被せるように聡が言い出した。
「ここまでして貰って申し訳ない。何かお返ししねえといけないが、今は何も返すものがない」
”さとみの言った通り、律儀な人ね”そう思いながら黙って聞いていると
「だからせめて今日のところは身体で返させてくれませんか?」
まだ酔いが残る中”??”黙って聞いていた中、一瞬疑問符が頭に浮かんだあと、”わ~、ほんとに言うんだ”そう思っていると
「もちろん無理にとは言わねえがお母さんさえ良ければ是非返させてください」
畳に額がつくほど頭を下げる聡に
「はい…ではお願いします」
本当に言われるとは思ってなかったので断る理由を考えておらず、返す言葉もなく、それに深々と頭を下げるのを見てると何か悪いと思い、気付いたら答えていた。
…
和室と廊下を隔てる襖の向こうから小さく物音がして、さとみがいることに気付いたけど”もういいわ、見せてあげるわ”そう心の中で呟いた。
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