幼い頃はお人形さんのようだと、大人たちから言われていた記憶がある。
そろばん、ビアノ教室、水泳、習字、学習塾……。
習わせられるものは何でも通わされ、貴女の為だと自由のない子供時代を過ごしてきた。
ストレスは慢性的なものになり、それでも学校では真面目な良い子を演じ続けなければならなかった。
だからだろうか……大人の都合で振り回される日々から逃れたくて、性への目覚めは早かった。
体の発育も早かったこともあり、小学4年生の後半には生理がはじまった。
その頃から親に隠れて自慰行為を始めるようになり、中学生になる頃にはオーガズムを覚えていた……。
体は高校生なみなボディラインになり、初体験は中学生2年のときに経験した。
とてつもなく痛かったけれど、親への反抗心から学校や家では良い子を演じ、内緒でセックスに溺れる10代を送った……。
顔も体も男好きをする女だと男たちには重宝され、複数プレイにも挑んで初めて失神を経験することになった。
セックスそのものも好きだったが刺激が足りなくなり、軽い露出まがいの行動をするようにもなった。
気分がとにかく良くて、何よりも興奮するのだ。
就職してからもそれは変わらなかった。
胸元の緩いアウターを着たり、下着を透けさせることは当たり前……。
清楚だと勘違いした自分たちの理想を当てはめられ、ずっと息苦しかった。
結婚すれば落ち着くかとも思ったけれど、子供が生まれてからより酷くなってしまった。
子供が小学校の高学年になると働きに出ようと決心し、専門学校に通って資格も取得した。
そして募集していた数ある中の、一つを選んだ。
朝倉真由美は自分の嗅覚の鋭さを、自画自賛したい気持ちになった。
最初から怪しいと、そう思っていたのだ。
やたらと性の領域を知りたがるなんて、どう考えてもおかしいのだから……。
エステティシャンのユニフォームも丈が異常に短いし、その下はアンダーを履かせずに下着のままだなんて…………ドキドキする。
そうしてやっと真由美はエステティシャンとして、デビューを飾った。
最初は助手について施術のイロハを学び、場数を踏んでいよいよソロデビューすることになった。
下着の種類はとくに指定されることはなく、好きにしていいということらしい……。
初回からあまりエグいものはと考えて、真由美はユニフォームに合わせて白い無地の下着を選んでみた。
無地といってもデザインは野暮ったいものではない。
サイドは細く腰骨の上に乗り、斜め上にやや切れ上がった大人のデザインである……。
ポイントは、フロントの透けたレース部分であるのは間違いない……。
朝倉真由美は44歳には見えない清楚で大人しい虚像で本性を隠し、オイルやタオルなどのものをセッティングして待機していた………。
今どきの若者だとの言われように、辟易していた。
自分たちだって若者だった頃が、実際にあっただろうに……。
今日は予備校をサボろうかな………。
そう思いながら駅前を歩いていたとき、声をかけられた。
メンズエステ、無料期間中………。
手渡されたチラシには綺麗な大人の女性たちが、笑顔でズラリと並ぶ姿が載っているではないか。
どうせ実際はブサイクなおばさんが出迎えるのだろうと思ったが、どうせムシャクシャしているのだ。
無料ならばと、島崎裕貴は20歳なったばかりの無鉄砲さでエステ店へと向かった。
何のことはなく、いつもお店の下を通っていたと知って笑ってしまった。
繁華街にあるビルの2階などを見て歩くことはないから、気が付かなかったのだ。
裕貴は飲食店脇の階段を上がり、その扉に手をかけた………。
何だかいい香りがして、気恥ずかしくなった……。
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