勇斗さんに愛された次の夜、主人に求められました。
「昨夜はどうだった」
ベッドの中で私の乳首を捻りながら主人が聞きます。
「勇斗さんに愛していただきました」
「中に出されたのか」
「・・はい、、」
主人にはすべて正直にお話しするお約束になっています。
「良かったのか」
主人が乳首に吸い付きました。
「アアッ、アフッ、、ごめんなさい、、」
「何度逝ったんだ」
「アヒッ、何度も、、、ごめんなさい、何度も達しました」
「数えきれないくらいか」
数えきれない、、たしかに私は昨夜勇斗さんに抱かれて数えきれないくらい何度も何度も絶頂させられました。
お若い勇斗さんは私のお口に一度、そして中に4回も射精してくださったんです。
「紗江、お前妊娠したいんだろう」
主人の言っている意味がよくわかりませんでした。
主人は私をこうして責めるのが好きですが、勃起が続かず私の中に射精することは殆どありません。
その代わりに、バイブや電マなどで私を追い詰め、逝かせて弄ぶのです。
ですから主人が私を妊娠させるなどということは出来ません。
「え、、?」
私が理解できずにいると、主人は私の膣に指を入れながら「勇斗の子を孕みたいんだろう」と言いました。
勇斗さんは主人の前の奥様のお子さんです。
私とは血のつながりがありません。
私と勇斗さんは愛し合っていますが、義理とはいえ母と子です。
それに前途のある勇斗さんが私の子の父親になるなんて絶対にあってはならないことです。
「でも勇斗さんはまだ16歳ですし、前途のある方ですから」
「俺の子として認知してやるから、妊娠させられたいなら勇斗の子を孕んでもいいぞ」
「でも、そんな、、」
主人がなぜそんなことを言うのか理解できませんでした。
すると「その代わりに紗江、お前は俺の奴隷になれ」
「奴隷?」
一体何を言っているのかますます理解できなくなりました。
主人は私の膣を抉る指を二本に増やしてグイグイと奥を責めながら「性の奴隷だ」と言いました。
「お前がMなのは秘書だったころからよく分かっている。お前の身体は勇斗に可愛がられるだけでは満足できないはずだ」
「アウッ、アアア、あなた、そんな」
主人は私の急所を捏ね回しながら、とんでもないことを提案してきたんです。
でも、それは私の願望の奥底に眠らせていたものを揺り動かす言葉でした。
「ど、どんなことをなさるおつもりですか」
私はたしかに勇斗さんに妊娠させられたいと妄想することはよくありました。
でも16歳の息子に妊娠させられるなんて、現実では絶対あってはならないことです。
それに主人が私をM女性として弄びたいというのは、一体どんなことをしたいのか不安で堪りません。
「なに、大したことはしないよ、普通のマゾ嬲りだ。あと、たまにお前をショウに出したり、M妻交換したりかな」
「そ、そんなこと、無理です、あなた、許して」
主人は尖り切ってしまった私の蕾に電マを当てながら、激しく指で抉り込んできました。
私が激しく達したことで、私は主人の提案を受けたことにされてしまいました。
私は20年前に大学を卒業して主人の会社に入りました。
当時主人は40代半ばのエネルギッシュな社長でした。
決断力、交渉力、先見性、行動力いずれも人並外れて供え持つ辣腕社長でした。
私は入社して人事部に配属されましたが、その後すぐに社長秘書となりました。
前任の秘書の方が妊娠されて退職されたからです。
社長秘書となって3か月ほどした頃、社長の出張に同行を命じられました。
初めての出張で緊張もしましたが、社長のお仕事を間近で見られるのは私には嬉しいことでした。
そしてその出張先のホテルで私は初めて社長に抱かれたのです。
社長は当然のように私を部屋に呼び、そして抱きました。
私は少し抵抗したものの、相手が社長ということもあり最後まで抗いきれずに身体を許してしまいました。
社長のセックスは今まで私が知っていたものとは比べ物にならないくらいに、激しく情熱的で、そして上手でした。
まだ大学を出たばかりの性の経験人数も3人ほどしかいなかった私は、気がおかしくなるくらいによがり狂いました。
その晩から私は社長の秘書であると同時に、愛人のような関係になりました。
出張にはほぼ毎回同行させられ、会社の帰りや接待の後などにもホテルに連れて行かれたのです。
当時私にはお付き合いしている方がいましたが、その人とはお別れしました。
社長にはまだ20代の奥様がいらっしゃいました。
私が入社して3年ほど経ったころ、その奥様と社長の間にお子様が生まれました。
それが勇斗さんです。
ところがそれから10年くらい後に、奥様はお病気で亡くなられてしまいました。
勇斗さんはまだ小学5年生でした。
奥様が亡くなられて一年ほど経ったころ、私は会社を退職して社長の身の回りのお世話や家事をするために社長のお宅に入りました。
勇斗さんはお優しいお子さんですぐに私になついてくださいました。
そして勇斗さんが中学生になられた年に、私と社長は結婚いたしました。
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