【7】
単刀直入に言うと、教習所は何とか存続の方向で決まるそうだ。
原井は、町の施策をほぼ一任されている。
どうやら、町の予算から教習所に補助金を支給する様だ。
矢島とは旧知の仲、というのが決め手らしい。
幸子は、その理由に対して素直に喜べなかった。
それに、簡単に補助金が出せるのだろうか。
原井は自分の権限があれば何とかなると言っていたらしいが、本当に大丈夫なのか・・・。
とはいえ、森浦教習所の即閉鎖を回避出来る可能性が高まったのは、とりあえず一安心といったところだろう。
だが、やはりというべきか原井は条件を出してきた。
今回は補助金を支給するが、もちろん幾らでも出せるわけではない。
また、補助金では一時凌ぎにしかならないし、どちらにしても数年後の閉鎖は免れないのが現実。
つまり、これからは原井も教習所経営に介入する、といったものだった。
実際、財政問題に長けているのだから原井が関われば心強いかもしれない。
あまり原井と接する機会は増えてほしくないが、こればかりは仕方無いだろう。
そして原井は早速、改革に打って出た。
まず、手始めに週明けの月曜日に行われるのが教官のスキルチェックだ。
原井自身が教習生役として乗り込み、教習生に接する態度や指導法を査定するのが目的だという。
確かに、近年人気の教習所は教官の指導法に定評がある。
原井が教習生役では誰もが萎縮するだろうが、最初の取り組みとしては間違っていないかもしれない。
しかし、全教官ではなく代表として1人だけを見極めるというものだった。
また、その代表は副所長である由英だというのだ。
人当たりも良く運転技術は全教官の中でも1番だから、心配無いとは思う。
問題は、原井の人間性だ。
難癖をつけそうな様相が、原井からは窺い知れる。
幸子は、それだけが心配だった。
だが、由英は幸子の不安を一蹴する。
「まぁ、確かに近寄りがたい雰囲気はあるよな。
でも、それとあの人が今まで成し遂げた事は別だろ?
実際に話してみて、やっぱり経済学に関しちゃ本物だなぁって思ったよ。
彼なら、教習所を立て直してくれるんじゃないか。
それに、スキルチェックはあくまで形式的なものだって原井さんは言ってたし。
幸子が思ってる程、悪い人じゃなさそうだけどなぁ。」
幸子が応接室を去った後、どんな話し合いが行われていたのかは分からない。
由英の報告を聞いた限りでは、教習所存続に向けた打ち合わせだけでプライベートな話は無かったそうだが、きっと原井の実績に感銘を受けたのだろう。
「幸子、たくさん苦労をかけてきたけど俺もまだまだ頑張るから。
神様だって、俺達を見放したりしないさ。
晶も中学生になったし、父親として格好いい所を見せないとな。
あっ、夫としてもな。」
「もう、こんな時に何言ってるのよ。」
今のままでも、十分過ぎるほど素敵な夫だ。
幸子の顔が、それを物語っていた。
「さぁ、これから忙しくなるぞ。
風呂に入って、英気を養うとするか。」
由英は、そう言って風呂場へと向かった。
晶だけでなく、由英の笑顔にも日頃から元気をもらっている。
幸子は、改めて夫を支えていくと決心した。
ただ、無視出来ない気がかりな事もある。
応接室を去る際、声を掛けられた時に見た原井の表情だ。
底気味悪い笑みで、こちらを眺めていた顔。
それが、どうしても忘れられない。
取り返しのつかない事態に、陥らなければいいが・・・。
幸子はあの顔が頭から離れず、その度に危惧せずにはいられなかった。
そして、それは刹那の如く現実となったのだ。
翌朝、いつもの様に誰よりも早く起きる幸子。
朝食を作っていると、由英も台所へやってきた。
「おはよう。」
その言葉で、普段通りの1日が始まる。
幸子の料理を美味しそうに食べる由英の姿も、何気無い日常の光景だ。
変わった事といえば、幸子の様子が落ち着いているという事だろう。
毎朝、この時間は慌ただしく動いていた。
朝食を作り、家事を出来るだけ済ませる。
皆が食べ終えた後、皿洗いをしてから着替えて出勤。
そんな朝を毎日過ごしていたが、今日は違う。
何故なら、この日は由英が早番で幸子が遅番となっていたからだ。
晶が中学生になったので、幸子もこの春から適度に遅番が組み込まれる事になったのだ。
副所長である由英の立場を考えて、幸子が自ら申し出たのだった。
森浦教習所の営業時間は、朝9時~夜20時。
しかし、土曜日は18時までと短縮されている。
元々は平日と同様の20時までだったが、教習生の減少により土曜日は18時に繰り上げられたのだ。
遅番の就業時間は1時間後の19時までなので、幸子が自宅に着くのは大体19時半だろう。
晩御飯に関しては、由英が簡単に作れる程度まで幸子が出勤前に下ごしらえをしておくので、支障は無かった。
「行ってらっしゃい。」
由英を見送った後、幸子はゆっくりと家事をこなした。
早番の時には断念する掃除も、何とかなりそうだ。
着替えはもちろん、化粧をする時間にも余裕がある為、思わずいつもより入念に整える。
類い稀な美貌を、更に引き立たせた。
「それじゃあ、行ってくるからね。
昼食は冷蔵庫に入ってるけど、野菜も残さず食べるのよ。」
「分かってるって。行ってらっしゃい。」
土曜日で、休日の晶。
その息子に見送られ、幸子は家を出る。
遅番の出勤時間である昼前、幸子が教習所に到着した。
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