【6】
応接室は、割りとシンプルな内装だ。
部屋の角に台座を置き、その上に造花を生けた花瓶がある。
壁には時計が掛けられているが、至って普通の時計だ。
目立っているといえば、ガラス製のテーブルぐらいだろう。
入口から見て部屋の中心に大きなガラス製テーブル、そのテーブルを挟んで左右に横長ソファーが置かれていた。
一方に由英と矢島、もう一方に原井と側近らしき人物が座っている。
その男とも、目が合った瞬間の視線は邪な感情が入り交じっていた。
由英と、同年代ぐらいだろうか。
原井や矢島ほど肥満ではないにしろ、醜怪な雰囲気は垣間見えた。
警戒せずにはいられなかったが、幸子は冷静を装い近付いた。
「失礼します。」
一声掛け、テーブルの上にお茶を置く幸子。
お茶を置く時の中腰になる体勢は、グレーのパンツが下半身に張り付いている。
下半身の肉付きは際立ち、全身の肉感的な姿を象徴していた。
勘違いかもしれないが、視線が集まっている気がしてならない。
ここから、さっさと退出した方が良さそうだ。
お茶を全て置いた幸子は、出入り口へ向かう。
しかし、矢島に呼び止められてしまった。
「あぁ幸子君、ちょっと待ちたまえ。
原井相談役、彼女は牧元幸子と言いまして、うちの優秀な事務員なんです。
さぁ、ご挨拶させていただきなさい。」
原井に、幸子を紹介する矢島。
何故、頼んでもいないのに挨拶をしなければいけないのか。
ただの事務員が、そこまでする必要があるのか。
余計な事をした矢島に、幸子は思わず苛立った。
とはいえ、この状況で挨拶をしないわけにもいかない。
幸子は、嫌々ながら原井に挨拶した。
「牧元幸子と申します。
よろしくお願い致します。」
もしかしたら不粋な挨拶と捉えられるかもしれないが、幸子は敢えて簡素的なものにした。
単なる事務員が、長々と喋るのもおかしいと思ったからだ。
これで、応接室から出ていける。
幸子は、ホッと溜め息を吐く。
だが、原井からは何の返答もなかった。
何故なら、その原井は幸子を夢中で眺めていたからだ。
至近距離で、顔から身体まで舐め回す様な視線。
特に、豊乳と下半身には釘付けだった。
日常茶飯時とはいえ、この視線はどうしても嫌悪感を抱かずにはいられない。
すると、ようやく原井が発した。
「・・・・・綺麗な奥さんじゃないか。」
不敵な笑みを浮かべ、由英に話し掛ける原井。
声質も粗野で、見た目通り高圧的な雰囲気を感じさせた。
しかし、それよりも引っ掛かった事がある。
「あれ、どうして私達が夫婦だと思ったんですか?」
そう、なぜ夫婦だと知っているのか。
由英が尋ねたという事は、由英は教えていない様だ。
もちろん、幸子も言うわけがない。
原井の言葉は、幸子に猜疑心を持たせるのに十分だった。
ところが、その疑問をある人物が推論する。
またしても、矢島だ。
「牧元君と幸子君の苗字が、同じだからだよ。
牧元君は、最初の挨拶で名乗っただろう。
それで、夫婦だと直感した。ですよね?」
「・・・あぁ、そうだ。」
先程と変わらぬ謎めいた笑みを浮かべ、原井も同調する。
確かにその理屈は納得も出来るが、幸子はどうしても妙な違和感を拭いきれなかった。
何だか、担がれている様な感覚だ。
だからといって、それを追求するのもおかしい。
由英と夫婦である事を知っていたとしても、原井に何の得があるというのだ。
男達に対して、警戒心が強すぎなのかもしれない。
幸子は、その疑問をそれ以上考えなかった。
すると、矢島は更に幸子の話を続ける。
「教習所内でも、おしどり夫婦で有名でしてね。
夫を支える良き妻、といったところでしょうな。」
盛り上がるなら女の話題だろう、という矢島の単純な思考が感じられた。
「本来は教官として働いていたんですが、その時から評判が良くて教習生にも人気があったんですよ。」
「・・・ほぅ、教官をね。
そんなに優秀なら、なぜ事務員になったんだ?」
原井の言葉に、幸子の表情は強張った。
事務員になった理由は、思い出したくない。
もちろん、教習生に襲われた出来事が原因だからだ。
当時は新聞でも小さな見出しで取り上げられたが、名前も出ていないし既に忘れられている。
原井が、何も知らないのは当然だ。
そもそも、その話は教習所内でも禁句であり外部に詳細は洩らさない事になっていた。
田舎だと噂がすぐに広まるという懸念もあるが、何より息子の晶に知られない為だ。
小学生の子供に、自分の母親が他の男に襲われたという事実はショックが大き過ぎる。
その為の配慮として、外に洩らす事は一切厳禁となった。
幸子が事務員として働ける環境をつくる為に、矢島が作った暗黙のルールである。
他の男性教官達も積極的に協力し、この事件の風化に一役買ったのは言うまでもない。
そんな暗黙のルールのおかげで、幸子は引き続き教習所で働く決断が出来た。
それなのに、その矢島が蒸し返すきっかけを作ったのだ。
幸子自身、吹っ切ったつもりでいても完全に忘れる事は出来ない。
当時の記憶が、再び蘇ってくる。
しかし、それにすぐ反応したのは由英だった。
「あっ・・・そういえば、早く片付けなきゃいけない仕事を頼んでたよな?
もう、戻った方がいいんじゃないか?」
「えっ・・・えぇ。」
幸子は、由英が気を利かせているのだと察した。
妻の窮地を、何度も救ってくれる。
由英に目配せで伝え、幸子は応接室を出ようとした。
これ以上、さすがに引き留められはしないだろう。
応接室の扉を開け、安堵する幸子。
ところが、廊下に出る直前だった。
「あぁ、幸子君と言ったか。
これから、長い付き合いになるんだ。
よろしく頼むよ。」
原井の言葉に、幸子は軽く会釈して部屋を出た。
その日の夜、食べ終えた晩御飯の片付けを済ませた幸子は、由英から話し合いの詳細を聞かされた。
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