【5】
4月初旬の木曜日、中学生になった晶は楽しく過ごしている様で、幸子も晴れやかな気分に浸っていた。
山を切り開いた場所にある森浦教習所は、周りに木々が生えている。
この時期になると、毎年少しずつ新緑の香りが漂い始め、何とも心地よい。
日曜日は、家族で何処かに出掛けよう。
気持ちが逸り、幸子は週末の予定まで立てていた。
春の訪れに、つい心が弾んでしまう。
翌日の金曜日、そんな幸子の運命を変えてしまう人物はいきなり現れた。
この日はグレーのスーツとセットになっているグレーのパンツ、中に白いYシャツとベージュのストッキング、黒のハイヒールという出で立ち。
豊乳の存在感は当然だが、パンツスタイルは下半身の肉付きが明瞭に表れる。
特に肉尻の量感は、淫獣の恰好の的といっていい。
昼下がりの午後、事務室でいつも通り事務作業をしていると、急に教習所内が慌ただしくなった。
「何かあったのかしら。
恭子ちゃん、知ってる?」
「いえ、でも只事じゃなさそうですね。」
事情を知らない幸子達も、異変に気付いた。
教習所コース内で事故でもあったなら、一大事だ。
状況が気になり、仕事に手がつかない。
だが、真相は全く違うものだった。
「幸子っ!!」
由英が、焦った様子で幸子に話し掛けてきた。
「あなた、どうしたの?もしかして、事故?」
「いや、その心配は無用だ。
実はな、今から相談役が来るらしい。」
「えっ、相談役?今日、そんな予定は入ってないわよね?」
「あぁ、だから驚いてるんだよ。
一応、ただ視察するだけって言ってるみたいだけどな。」
確かに、教習所存続の件で視察するという話は聞いていた。
しかし、予定ではまだ先だったはずだ。
あまりにも、突然過ぎる。
やはり、身勝手な性格の様だ。
「でも、念の為に昨年度の決算書は用意しておこうと思ってさ。
資料室に、全部保管してるんだよな?」
「えぇ。重要書類のファイルは、まとめて資料室に保管してあるわ。」
「分かった。あっ、2人は普通に仕事してていいからな。」
由英は、小走りで資料室へ向かった。
「何だか、いきなり忙しくなってきたわね。」
もうじき到着するであろう人物に、幸子は苦笑いを浮かべながら呆れていた。
そして数分後、教習所内にざわめきが起こる。
人騒がせな相談役が、やってきた様だ。
応対は、所長の矢島と副所長の由英がするらしい。
副所長という立場だから仕方無いのかもしれないが、こんな面倒事まで対応しなければいけない由英に、幸子は同情した。
とはいえ、自分の仕事もまだ残っている。
幸子達は、事務作業を続けた。
「ここにも、入ってきますかね?」
「来るんじゃない?まぁ、そこまで畏まる必要も無いでしょ。」
幸子の予想通り、程無くして事務室の扉が開いた。
由英と矢島の後ろから入ってくる人物に、一瞬だけ視線を送った幸子。
原井稔雄(はらいとしお)、63歳、名前と年齢は既に聞いている。
顔も、町が発行している広報誌で見た時にある程度は覚悟したが、眼前にすると更に鬼畜な印象だった。
悪相な顔付きで、他人を侮辱する我欲の塊の様な雰囲気が漂っている。
体型は、矢島とほぼ同じ肥満体。
高そうなスーツを着ているが、似合っていない。
きっと、私腹を肥やしてきた賜物だろう。
こんな男にすがるしかないのかと思うと、先行きが不安でたまらない。
すると、辺りを見回していた原井と目が合ってしまった。
その瞬間、幸子は激しい悪寒に襲われる。
まるで、品定めでもしているかの様な何ともいえない不快な視線だった。
この男と関わってはいけない、女としての危機感がそう伝えているのだろうか。
だが、それを救ったのは由英だった。
「では、応接室へご案内致します。」
やはり、幸子にとって由英は救世主の様だ。
原井の視線は、耐えられるものではない。
しかし、由英は幸子の心情を察したわけではなかった。
むしろ、今の由英にそんな余裕は無いだろう。
原井が機嫌を損ねれば、教習所存続の話も白紙になる可能性だってあるかもしれない。
副所長として、対応を間違ってはいけないのだ。
それでも、由英は無意識にまた幸子を助けた。
「恭子ちゃん、悪いけど応接室にお茶を運んできてくれないかな。」
由英にしてみれば、その言葉に深い意味は無い。
誰であっても、来客にお茶を出すのは当然である。
恭子に頼んだのは幸子よりも後輩だし、若い女性がお茶汲みをした方がいいのではと思っただけだ。
とはいえ、結果的に幸子は安心した。
原井と接するのは、出来るだけ避けたい。
教習所の命運を握る人物と関わらないわけにはいかないが、なるべく接したくはなかった。
今日は、このまま顔を合わせずに帰ってほしい。
だが、幸子のそんな切実な想いを1人の男が阻んだ。
「いや、古川君にはこれから町役場に書類を届けに行ってもらうんだ。
幸子君、お願いしていいかな。」
「えっ・・・・・はっ、はい。」
矢島の指命に、困惑する幸子。
別に、町役場に書類を届けるのはどちらでもいいはずだ。
幸子は、腑に落ちなかった。
だからといって、断る選択肢も無い。
夫の立場を、悪くするわけにもいかないのだ。
由英達が応接室に向かうと、仕方無くお茶を淹れた。
「それじゃあ牧元さん、町役場に行ってきます。」
「えぇ、行ってらっしゃい。」
幸子は気が進まなかったが、事務室を出て奥に進んだ。
廊下は狭くなり、1番奥に職員専用の裏口がある。
幸子達職員は、そこから出入りしていた。
その手前にあるのが、応接室だ。
向かいには、教習生との共有トイレが男女別にあった。
お茶を運ぶ幸子は、応接室の前で立ち止まる。
そして、ノックをすると室内へ入っていった。
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